第十八章

第十八章① 折れた心のままで

 デルン帝国に対する反乱軍『けがれなき双眸そうぼう』と『アールガロイ真正派』が消滅し、ヴィ・レー・シュトとシムォルの街が滅亡してから、四日が経過した。


 ベブルたちには、現在のところ、どうすることもできない。


 全世界はファードラル・デルンのものとなり、逆らう勢力はもはや存在しない。



 ナデュク・ゼンベルウァウルの隠れ工房アトリエの中で、ベブル、フィナ、ムーガの三人は、ただじっとしていることしかできなかった。


 窓の外は、星空に埋め尽くされていた。また、一日が終わろうとしている。


 フィナとムーガは、寄り添って眠っている。姉妹みたいだと、ベブルは思う。


 スィルセンダとウィード、そしてレミナの三人は、いまだに見付かっていない。無理もないことだ。全世界の人間がデルン帝国の支配下にあるため、誰かに見つかることは、そのままファードラル本人に見つかることを意味するのだから。現在、その三人は反乱軍の中心人物として追われている。


 この四日間、黒ローブの魔術師たち——ナデュク、ウェルディシナ、ディリアは、魔法の道具を使ってなにかの調査を行っていた。その内の一部は、ウィードたちを探すためのものだと、ナデュクはベブルたちに言っていた。


++++++++++


 その次の日、捜していた三人が見つかったと、ナデュクが言った。そして彼は自ら出向き、三人を連れ帰って来た。


 真剣な表情で、ウィードは謝る。


「すみません、ムーガさん。“赫烈かくれつの審判”を破壊しようとしたんですが、どうにも相手が強くて……。結局、それはできませんでした」


 危険な目に遭っていたはずだというのに、開口一番、ウィードはムーガに対する謝罪の意を述べたのだった。


 ムーガは首を横に振る。


「構わないよ。みんな無事で良かった」


「我々が“赫烈の審判”の破壊に成功していれば、少なくともヴィ・レー・シュトの消滅は防げたのだと思うと、非常に残念です」


 レミナがそう述べると、ムーガはまた、かぶりを振るだけだった。


「仕方ないよ」


「でも、ムーガ。これでは外へ出ることもできませんわ。貴女は、世界中で敵視されているのだから……。本当に、酷いものでしたわ」


 スィルセンダは腕を組んでいた。


「うん。……そうみたいだね」


 その声には覇気がなかった。ムーガはうつむいたが、その顔には、ほんの少しの自嘲的な笑みが浮かべられていた。人のために尽くしたというのに、全人類を敵に廻すことになってしまったのだ。笑っていなければ、精神が壊れてしまう。


「それで、ムーガさん。次はどう出るんです?」


 いま帰ってきたばかりのウィードは、もう次の行動のことを考えていた。


 しかし、ムーガにはまだなにも考えがない。彼女はまた、首を横に振る。


「なにもないよ。どうしたらいいのか、全然わからないから」


「デルンをぶっ殺す。やることなんて、それひとつだ。どんな風にやるのかは、まだ考えてるんだがな」


 そう言ったのは、窓の傍の壁にもたれているベブルだった。


「その場合、攻めるのはやはり、デルンタワー」


 フィナがそう言うので、ベブルは無言でうなずく。


 ウィードは真剣な面持ちで言う。


「つまり、デルンタワーへ攻め込むのを、もう一度やるんですね?」


 それをベブルが肯定する。


「ああ」


「でも、デルンタワーを上下方向から挟み撃ちする作戦はもう無理ですよ。一度やってしまいましたからね。レイエルスから降りる経路はもう使えません」


 確かに、ウィードの言うとおりだ。デルンタワーを上から攻撃するには、神界レイエルスからの魔導転送装置を使用する必要がある。だが、それは元来ファードラル・デルンが設置したものなのだ。一度失敗したからには、二度と、その経路を利用させてはくれないだろう。


「では、普通に下から攻めるしかありませんわね」


 スィルセンダが溜息混じりにそう言った。


「では、そのための方法が問題となるのですね」


 レミナが問題を明確化した。確かに詰まるところ、どう攻めるかが問題なのだ。



 そこへ、別室にいたナデュクが入って来る。彼は帰ってきてすぐに自分の部屋に戻っていたが、そこから出てきたのだ。


「そうそう、それが問題なんだよな」


 室内の全員の視線がナデュクに集まる。彼はいまや、『真正派』の象徴である黒いローブを羽織ってはいない。アーケモス中の人々が、デルンのために黒いローブの『真正派』の生き残りを探し出して殺そうとしているのだから。


 ナデュクはそれから、部屋の中央の卓によりかかり、続けて言う。


「その方法については色々と考えてる。使い魔を飛ばして、あちらさんの様子を探ってるからな。ただ、向こうも魔法の専門家だから、ばれないように使い魔を飛ばすのが、なかなか……」


 ベブルが言う。


「それを続けてくれ。いまはそれしか方法がない」


「まあ、任せてくれよ。覗きは得意中の得意だからな」


 ナデュクは両掌を天井に向け、肩を竦めて溜息をついた。


「覗き……、ですか」


 ウィードは苦笑いした。ここで彼はようやく、いつもの表情を取り戻したのだ。これまで平和なときには、彼は常時苦笑いを浮かべていたはずだ。


 ナデュクも微笑う。そして彼は、室内の女性陣を指差す。


「そうさ。特に、綺麗なお嬢さんがたを覗くのは大得意だからな。気をつけたほうがいいぜ」


「なにそれ……」


 ムーガが不安そうに言った。


 その隣に立っているベブルは、苦虫を噛み潰したような表情をする。


「おい、てめえ。そんなことしやがったら、デルンをぶち殺したあとで、お前も一緒に始末してやるぞ」


 その様子を見て、ナデュクは、はははと笑う。


「別にいいさ。気の済むまでその鉄拳で殴ってくれれば。そうだなぁ、これまでの襲撃の分まで、まとめて殴ってくれるといい」


「お前な……」


 ベブルには、呆れてものも言えなかった。


「さあて、用事だ、用事」


 ベブルの返事を待たずに、ナデュクは踵を返し、部屋を出て行こうとした。彼はその『用事』のために、この五日間、ずっと研究室に篭りきりなのだ。昼間はウェルディシナやディリアも手伝っているようだが、どうやら彼は、夜も碌に寝ないで作業を続けているらしい。


 ベブルたちにとっては、ナデュクを頼りにする以外、方法がないのだ。


 だが、当の本人は、至って気楽そうにしている。少しもつらそうな素振りを見せることがない。そんな彼は、ぼそっと、次のようなことを口にする。


「……どうせ、あとで殴られるんなら、いまのうちに見れるだけ見よう」


「おいコラ」


「ちっ、聞こえてたか……。冗談だよ、冗談」


 ナデュクは笑いながら、部屋を出て、扉を閉めた。


 部屋に残された全員が、揃って溜息をついた。こんな緊急時にも冗談を言える、ナデュクのその性格の軽さに呆れ返っているのだ。


 しかし同時に、一同はナデュクのふざけた言動によって救われてもいるのだ。この顔ぶれの中で、いつも明るい雰囲気をつくってきたムーガが最も落ち込んでしまっている。必然的に、この集団は暗くならざるを得ない。それをナデュクは、無理矢理に持ち上げているのだ。『銀の黄昏』の構成員だったときも、その一団を纏めていたのは、最年長のオレディアル・ディグリナートではなく、実質的には彼だったのだろう。


++++++++++


 それからムーガは、ウィードたちに、ナデュクたちに見せられた三十年後の未来の話をした。彼女の本当の敵は“イフィズトレノォ”であること。そして、彼女はそれに負け、それは彼女の身体を乗っ取って世界を滅ぼすのだということを。


 現段階でも、ムーガは大勢の人々を不幸にしたのだ。ジル・デュール、『穢れなき双眸』、『アールガロイ真正派』、シムォル、そしてヴィ・レー・シュト。これらの街や組織は彼女のために滅んだ。


 これではまるで、ムーガはこれからずっと、人々を不幸にしていくかのようだ。


 ウィードたちは、ムーガがずっとしおれてしまっていることについて疑問をもっていた。彼らは、彼女は戦いに破れ、大勢の人が死んでしまったことを悔いているのだろうと思っていた。確かに、半分はその通りだ。だが、まさかこの先もこの調子で続いていくなど、思ってもみなかった。


 加えていま、。これではもう、どうしようもなかった。


 ムーガはもはや、『アーケモスの救世主』たる自信を完全に喪失している。


 ウィードは彼らしいいつもの慰めの言葉を口にしたが、それでもムーガの心境はどうにもならなかった。言葉では解決できない問題なのだから。


 ベブルがぴしゃりと言う。


「うだうだ考えんのは止めにしようぜ。デルンをぶち殺す。それだけだろ。いま、俺たちがやらなきゃなんねえのは。難しいことは後回しにしようぜ」


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