第十七章⑪ 安息のために

「ひゅう、やっこさんのお出ましだぜ」


 軽々しくそう言ったナデュクは、杖を手に構えていた。


 三十七歳になったオレディアルの前には、ナデュク、ウェルディシナ、そしてディリアがいた。そしてその向こうには、“神の幻影”となったムーガが荒廃した大地に舞い降り、地面から少しばかり浮かんで、両手を広げて佇んでいた。四人はこれから女神と戦うのだ。


「絶対に攻撃は受け止めるな! 消されるぞ! 避けるんだ!」


 オレディアルは仲間たちに向かって叫んだ。


 しかし、ディリアは耳を貸そうとしない。


「うるさいわねえ。わたしの力を見くびってるんじゃないの? おじさん。こんな奴、『真正派』に掛かればあっという間だわ」


 ウェルディシナは髑髏どくろの杖を回転させながら、じりじりと詰め寄っている。この頃の彼女の前髪は、それほど長くもなく、現在のように髪で片目を隠しているようなことはしていなかった。


「その通りだ。我々は『アールガロイ真正派』の中でも高い魔力を持っている。侮ってもらっては困るな」


「行くぜ!」


 先制攻撃を仕掛けたのはナデュクだった。“光の魔法クウァルクウァリエ”を投げ付け、連続して杖で殴り掛かるが、女神は微動だにしなかった。


 相手の強さを感じ取り、ナデュクは瞬時に三歩分下がった。


 “イフィズトレノォ”が右手を掲げる。すると、いままでナデュクがいたところに、光の柱が出現する。それに巻き込まれていれば、いまごろ彼は生きてはいないだろう。


「ひゅう、危ねえな」


 おちゃらけたようにナデュクは言ったが、その内容は彼の本心だった。


「確かに、結構やるようね。だけど、わたしじゃなく、、問題はないわよね」


 ディリアは手に持っていた水晶の杖を振り回し始めた。すると、彼女の隣に、もうひとりの彼女が現れた。それは魔法で作られた偽者だった。


 三人の仲間に任せきりにするわけにもいかないので、オレディアルは自ら、魔導銃剣で斬りかかった。しかし、女神の身体には傷ひとつ付けることができない。


 “イフィズトレノォ”はすっと腕を振る。オレディアルはそれを素早く回避すると、退いたところから魔導銃を連射した。だが、それが効いている様子はない。“神の幻影”が腕を振り終わると、彼は素早くその懐に飛び込み、またその大剣で切り付けた。


「やるじゃねえか」


 ナデュクが言った。


 オレディアルが斬り付けては離れて射撃をするという攻撃パターンを取っている間、別の方向から“イフィズトレノォ”に向かって魔法が撃ちつけられていた。それはナデュクのものだった。


 やがて、直接斬り込むのにディリアが参加した。それは彼女の本体ではなく、彼女が魔法でつくり出した、肉体を持たぬ魔法生命体だった。


 しかし、“イフィズトレノォ”との戦いに熟練しているオレディアルほど、ディリアの魔法人形はうまく動かなかった。あっけなく、二、三度の攻撃の後に、女神の一撃で潰されてしまう。そうするとディリアはすぐに、次の自分の複製を作って対応する。


 ウェルディシナは、ナデュクがいるところとは反対の側から、”イフィズトレノォ”に向かって魔法を放っていた。


 しかし、どれだけ攻撃しようと、女神に傷を付けることはおろか、その動きを止めることさえできない。


 不意に、“イフィズトレノォ”が横様に飛んだ。この動きを、四人の中の誰も、予見できなかった。


 女神の放った衝撃波がウェルディシナの頭に直撃し、彼女はそのまま、真っ赤な血飛沫を上げ、力なくその場に倒れたのだった。


「エルミダート!」


 オレディアルは声をあげたが、ウェルディシナを助けに行っている暇はなかった。“神の幻影”はいまも、絶え間なく攻撃を続けているのだから。


「ちょっと貴女、大丈夫なの?」


 しかし、ディリアがウェルディシナの助けに入ってしまった。そして、運の悪いことに、この瞬間、“イフィズトレノォ”の破壊の力が発動したのだった。


 その力はディリアの身体を軽々と空中に打ち上げ、そして粉々に消滅させた。


 オレディアルは叫ぶ。


「駄目だ! こんなはずではなかったのだ! ゼンベルウァウル、お前だけでも逃げてくれ!」


「そういうわけにもいかんだろう」


 ナデュクは杖を振り回しながら、オレディアルの視界に現れた。そもそも、彼は“イフィズトレノォ”を見ていたのだ。そこへ現れたということは、ナデュクはひとりで“神の幻影”に近付いているということだ。


「まずい、逃げるんだ!」


「こうするのさ!」


 ナデュクは大きく杖を振った。その瞬間、四人の周りに巨大な光の魔法陣が現れ、彼らは別の場所に転移されたのだった。


〜〜〜


 映像は消えた。代わりに、ベブルたちの周りには、ナデュクの研究室の風景が現れた。


「ここまでだ」


 ナデュクは座り込んで装置を操作していたが、溜息をつきながら立ち上がった。彼はベブルたちに言う。


「この戦いでウェルディシナは右目を失い、ディリアは肉体を失った。ディリアのいまの身体は……、この映像で出てきた、最後の、魔法でつくられた操り人形だ。あれがなければ、彼女は今頃ここにはいない」


「わたしが……、このふたりを?」


 ムーガは振り返り、いままで部屋の隅で様子を見ていたウェルディシナとディリアのふたりのほうを見やった。ふたりのほうは、彼女に目を合わせようとしなかった。


 ふたりはまだ恐怖しているのだ。


 ナデュクは溜息をつきつつ、両手を挙げる。


「このふたりに関しては、もうどうしようもないのさ。これを見せた意味を解ってもらえるかな? 俺たちは、して欲しいんだ。だから、“イフィズトレノォ”との戦いには俺たちが協力する。代わりに、俺たちがデルンを始末するのには協力してほしい。これまで、あんたがた三人を襲ったことに関しては……、謝る。すまなかった」


 ベブルは怒るかに見えたが、すぐに態度を軟化させる。


「すまなかった、だと……。だが、あんな奴を相手に戦うには、そうするしかないかもしれんな。だが、それでも、ムーガやデューメルクを殺そうとしたのは、俺は許せねえ」


 そう言われてなお、ナデュクの態度は毅然としている。


「その償いは、あとで気の済むまでさせてもらう。デルンを始末して、“イフィズトレノォ”を封じたらいくらでも……、な?」


 ベブルはそれに反対できなかった。恋人と仲間を殺そうとした敵であるというのに、ナデュクがいま言っていることは正しいからだ。


 ベブルは渋々認める。


「わかった。だが、すべて終わったら責任を取って貰う。それでいいな?」


「もちろんだ」


 ナデュクは力強く答えた。


++++++++++


 そのあと、ヴィ・レー・シュトも“赫烈の審判”で焼かれたということを、ベブルたちは聞いた。『穢れなき双眸』も自然消滅し、事実上、デルンに対抗する勢力はなくなった。


 ジル・デュールに続き、シムォル、ヴィ・レー・シュトがムーガ絡みの出来事で滅んだため、彼女の評価は、世界中で急降下した。もはや彼女は、アーケモスにとって、『救世主』でも何でもなく、『疫病神』でしかないのだ。


 ナデュクの工房は本人曰く、「デルンには絶対に見付からないところ」にあるという。そのため、ベブルたちはそこに泊めてもらうことにした。彼らは空きの部屋を与えられ、そこで眠ることになった。社会的に居場所を失ったウェルディシナもディリアも、同様に部屋を借りていた。


 ナデュクが一番ゴミゴミとした部屋——彼がいつも研究に使っている部屋で眠ることになった。だが、彼は「いいんだよ、慣れてるから」と言って、魔法の道具の山の中で眠りに就いてしまった。



 ベブル、フィナ、ムーガの三人は、三人で一室をあてがわれた。毛布を被って壁にもたれたまま、フィナはすでに眠っている。その寝顔を、窓から差し込む月の光が照らしていた。ナデュクが言うには、窓の外の景色は、ここから見たものではないらしい。魔法の力によって、この部屋は完全に外界と隔離されているので、窓の外の景色は、アーケモス上のどこか別の場所から見たものの複製だということだ。


 ベブルは反対側の壁にもたれかかって、その月を眺めていた。どこか別の場所から見たものだとしても、それは綺麗だった。


「ねえ、ベブル」


 フィナの隣に座って毛布を被っているムーガが、部屋の反対側の壁にもたれているベブルに話し掛けた。


「まだ起きてたのか」


 ベブルが静かに言うと、ムーガはうなずく。


「……うん」


「どうした?」


「わたし……、死んだほうがいいのかな?」


「なに言ってんだ」


 ベブルは一蹴した。


「でも、わたしはこの先、アーケモスを滅ぼすことになるんだし……」


「あっちのお前には、俺が付いてなかった。だが、こっちのお前には俺が付いてる。大丈夫だろ」


 ムーガはうつむき、笑う。


「そ、か。……そうだよね」


 ベブルは自分の右手を見る。


「問題は、この『力』だ。こうなると本格的に、これが神界レイエルスの力だってわかってくるな……」


「そうだね」


「それで、最後にはレイエルスからお迎えが来るわけか。とんでもねえ話だ」


「……うん」


「ま、とりあえず、寝ちまおうぜ。ここしばらく色々ありすぎた。少し整理しないとな」


「……うん」


 それから、ムーガはじっとうつむいていたが、やがて顔を上げた。


「わたしが死んだら、ベブルはどう思う?」


 ベブルは顔を顰める。


「はあ? そりゃ、嫌に決まってるだろうが」


「それで、どうするの?」


「どうもできねえよ。そうだ、どうしようもねえよ。そのあとは……、どうなっちまうんだろ。見当もつかねえな」


「わたしが死んで、みんなが助かるんだったら、どうする?」


 ムーガは更に質問してきた。だが、ベブルはそれにすぐに答える。


「その逆をしてやる。お前ひとりを生かして、他の奴らには死んでもらう」


「……凄いね」


「だが、“イフィズトレノォ”に乗っ取られたお前は、お前じゃないだろう? だから俺は、“イフィズトレノォ”のヤツをぶっ殺す。お前を取り返す」


「それも……、凄いね。そうか……。“イフィズトレノォ”が、わたしの倒すべき相手だったんだ。それで、それを倒すには、ベブルが手伝ってくれる」


「ああ」


「じゃあ、負けるわけないね。それに、それを倒したら、わたしはもう、戦わなくていいんだね」


「そうだ」


「スィルセンダと、ウィードと、レミナ……。無事かな」


「だといいな」


「そうだね」


 それからムーガは、また沈黙していた。泣き出すのかとベブルは思ったが、そうではなかった。彼女は顔を上げ、微笑んだのだ。


「ベブルと一緒だったら、負けるわけないね」


 月明かりに照らされている。


 それからムーガは、また言う。


「おやすみ、また明日」


「ああ、おやすみ」


 ベブルも、窓の傍に座ったまま、そう返した。

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