第十七章⑨ 安息のために
ベブルたちの前に見知らぬ風景が浮かび上がった。この時代よりも、ベブルたちの時代よりも、文明がずっと後退しているように見える。
その景色が浮かび上がると同時に、ナデュクの研究室の風景が消え去った。
ベブルが言う。
「おい、これはどうなってるんだ」
「それは『星隕』の見ていた風景だ。場所は、フグティ・ウグフ。おそらくいまから一年以内だ」
ナデュクは説明した。だが、ベブルからは彼の姿は見えない。
「『星隕の魔術師』というのは、未来の人間じゃないのか?」
ムーガはそう訊いた。それに対して、ナデュクはすぐに答える。
「あいつは三十年後の世界から来たが、実は、この時代にも生きている。……もちろん、まだ子供だけどな」
景色が揺れ始めた。足音が聞こえる。この視界の持ち主が走り始めたからだ。
その先には、五、六歳程度の年齢の、ひとりの少年がいた。
「ユテノ!」
「おっそいなあ、オレディアル。クラムお姉ちゃんは、今日は用事があるんだってさ。遠いところに行くって言ってた」
ユテノと呼ばれた少年が、そう言った。
〜〜〜
「ユテノ……、オレディアル……?」
ムーガが驚き、呟くように言った。
「どうした?」
「いや……、なんでもない」
ベブルの問いに対して、ムーガは首を横に振るだけだった。
「どうしたんだよ?」
「ううん。ただ……。知ってる子供の名前と同じなだけ……」
〜〜〜
「ふうん。まあ、すぐに帰って来られるさ。それまでに、魔法の腕を磨いておけば喜ばれる。まさかお前、クラム・ソーフロリア師がいなければ、なにもできないのか?」
オレディアルは相手を馬鹿にしたように言った。ユテノは大声で反論する。
「そんなことないさ! お前こそ、ムーガ姉ちゃんがいないと、なんにもできないくせに!」
〜〜〜
「あ……」
ムーガがまた声を漏らした。自分の名前が出されたのだ。驚かないほうがおかしい。ベブルはなにも言わなかった。
〜〜〜
オレディアルは肯定する。
「そうだな。僕の力など、ルーウィング師に比べれば無に等しい。確かに、ソーフロリア師は『フグティ・ウグフ魔法学校』を建てた偉大な先生だけど、ルーウィング師に比べれば……」
「姉ちゃんを馬鹿にすんなよ!」
「それは仕方のないことだ。ソーフロリア師は普通の人間なのだから。かたや、ルーウィング師は世俗を超越されたお方だ。比較にならない」
ユテノは怒っている。
「むかつくなあ。俺はムーガ姉ちゃんも嫌いじゃないよ。でも、クラム姉ちゃんのほうが頭いいと思う」
「どうだろうな。ルーウィング師は、飄々としているように見えて、実は勉強熱心なお方なんだ。時々見なくなるけど、そのときは部屋に篭って、魔法の勉強をなさってるんだ」
オレディアルのその主張に、ユテノは反論する。
「でもそれは、クラム姉ちゃんもやってるじゃないか。クラム姉ちゃんは魔法学者なんだからな!」
〜〜〜
「ガキの喧嘩が目に余るな」
ベブルはぼそっと、そんなことを口にした。
ムーガも同意する。
「うん。知ってる子供たちによく似てるから、すぐにでも喧嘩を止めさせたいんだけど……」
すると、彼女の言ったとおりに、喧嘩を止めさせる声が掛かる。
〜〜〜
「これ、何を騒いどるんじゃ」
「ルーウィング先生!」
オレディアルはそう言い、声の主のほうを向いた。
そこにいたのは、間違いなく、ムーガだった。彼女はまばらに生えた草を踏み、歩いて来る。
「元気がいいのは結構なことじゃが。仲間内で、些細なことで喧嘩をするもんじゃないぞ」
〜〜〜
「あ……、あれ……」
ムーガは、オレディアルの目に映る自分の姿を見た。
服装は、臍や太股を出しているいまの彼女とは対照的に、長いスカートのワンピースを着て極力露出を抑えた格好をしている。だが、その美しい顔は、少しも違うところがなかった。
彼女はワンピースの上に白いローブを羽織っている。その上から身につけている飾り防具にはルメルトス派の印が描かれていた。
「お前……、だな」
ベブルはムーガに言った。彼女は頷く。
「……うん」
〜〜〜
いままで頑固だったオレディアルは、やけにあっさりと従う。
「はい。わかりました。……それはそうと、ルーウィング先生。今日こそは『魔法学校』で講義をするのですか?」
それを聞いて、ムーガは微笑む。ただ、少しだけ残念そうに。
「悪いんじゃが、今日からは少し用事があってな。しばらくここには帰れんのじゃ。クラムからは聞いとらんかったか? あやつも共に行くんじゃが」
ユテノがはっとして言う。
「そうか、クラムお姉ちゃんは、ムーガお姉ちゃんの用事について行くのか……」
「うむ。倒すべき、怪物の居場所がわかったからのう」
〜〜〜
ムーガは言う。
「やっぱり、この喋りかた、恥ずかしいね……」
ベブルはすぐには答えられなかったが、やがて、返答する。
「そうだな……」
〜〜〜
「遂に、見つかったのですか! 予言の怪物が!」
オレディアルは興奮気味だった。
「そうじゃな。爺さんは、わしにそやつを倒すよう遺言を残したからのう。ちょっと行って、軽くいたぶって来てやろうと思うんじゃ」
何気なく、ムーガは凶悪なことをさらりと言った。
話をしていると、岩山を下りて、彼女の後ろから別の男がやって来る。黒い袖なし外套を羽織ったウィードだった。彼は言う。
「ムーガさん。もう行きますよ。フェンムさんやスィルセンダさんもいらっしゃってますし」
「おお、そうか」
ムーガは振り返ってウィードにそう返した。それから、また子供たちのほうを向いて、微笑み、こう言ったのだった。
「それじゃあ、お主ら、わしらが居らん間も、勉強に励めよ」
「はい!」
オレディアルとユテノは揃ってそう答えた。
〜〜〜
そこで、映像は暗転した。
ベブルが言う。
「この時代のこことは全然違うぜ。あれじゃ、俺の時代のほうがまだましだ。あれは本当に学術都市フグティ・ウグフなのか?」
「でも……、オレディアルとユテノは、わたしの知ってる子供なんだ……。いまもフグティ・ウグフに住んでるし……」
ムーガは不安そうにしている。それから彼女ははっとして、台座の外にいるであろう、姿の見えないナデュクに声を掛ける。
「これ、本当に『星隕の魔術師』の見たもの? どう見てもこれは、オレディアルの見たもののようなんだけど」
フィナがムーガを呼ぶ。呼ばれたムーガは彼女のほうを向く。
「ムーガ。『星隕』の本名は、オレディアル・ディグリナートだ」
ムーガは驚きのあまり息を呑む。
「そんな……。じゃあ、あのオレディアルが、わたしを殺そうとして未来から来たってこと?」
「お取り込み中悪いが、早速、続きに行くぞ」
外から、ナデュクの声がした。
〜〜〜
次に映し出された風景は街だった。だが、それは街というにはあまりに粗末だった。だがそれは、ナデュクが言うには、フグティ・ウグフの街なのだった。
オレディアルはフグティ・ウグフの街を歩いている。
〜〜〜
「教師のいない『魔法学校』へ、自習のために向かっている途中だったと、本人は言っていたな」
そう説明したのは、ベブルたちの後ろにいる、ウェルディシナだった。
〜〜〜
だが、オレディアルが『魔法学校』に到着することはなかった。
突然、街全体が強烈な衝撃波によって吹き飛ばされたからだ。
オレディアル自身の身体も、軽々と宙を舞う。
家は壊れ、人は地面に叩きつけられ、大地が割れ、空が叫びをあげる。
一瞬にして世界は崩壊し、全てが瓦礫と化した。
オレディアルは瓦礫に埋もれ、その中で、意識を失った。
〜〜〜
あまりにも突然のできごとに、ベブルも、フィナも、ムーガも、声を発することさえできなかった。
外から、ナデュクが言う。
「こうしてまず、平和の日々は終わった……、と」
「これは……、なにが起こったんだ?」
ようやく、ベブルは声を出すことができた。
「じきにわかるわ」
外にいるディリアがそう言った。ナデュクは外で装置をいじっている。
「じゃあ、次だ。数年が経ったあとだ。オレディアルは魔術師になって、白いローブを羽織っている」
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