第十七章⑧ 安息のために
草原を越えて、“魔導車”二台が到着したのは、“炎の洞窟”と呼ばれる洞穴だった。
ムーガは“車”を停め、それを降りた。それを見て、ベブルも同様に“車”を降りる。別の一台のほうからも、ウェルディシナ、ディリア、そしてフィナが降りて来たところだった。
「無事だったんだな、デューメルク」
ベブルが言うと、フィナはうなずく。
「戻って来られてよかった、リーリクメルド」
「ああ、お前の作戦のお陰だ。恩に着る」
そう言ってから、ベブルは視線をウェルディシナとディリアのほうへ向ける。
「こいつらは何でお前と一緒にいるんだ?」
気まずそうに、魔女ふたりはベブルを見返していたが、なにも答えなかった。
ムーガは細い指を唇に当てる。
「そうじゃな……。こいつらはわたしを殺そうとしたんだ。そんな奴らがここにいるのは、おかしい」
魔女たちの代わりに、フィナが説明する。
「ボロネで出会った。わたしたちに協力したいそうだ」
「協力?」
ベブルはふたりの魔女を睨み付けるように見た。ややあって、ウェルディシナが切り出す。
「『アールガロイ真正派』が……、消滅した」
「なに?」
「まさか、シムォルが……?」
ムーガがそう言うと、ふたりはうなずいた。
ディリアが説明する。
「ええ。“
「そんな……」
ムーガは両膝を地面に付き、その場にくずおれた。
そこへ、ウェルディシナが付け加える。
「ヴィ・レー・シュトの『
「そんな、そんな……。わたしがいないばっかりに……」
ムーガはそう呟いた。
ベブルはムーガに訊く。
「そうだ、戦いはどうしたんだ? デルンタワーは落とせたのか?」
ムーガは首を横に振る。
「わたしは、ベブルがデルンに捕まったって話を聞いて……、無我夢中でここに来たんだから……。フィナだけに協力を頼んで、デルンに押さえられてる転送装置を強行突破して……」
「戦いの途中で、か?」
ムーガは堪え切れなくなって、叫ぶように言う——後半は完全に泣き叫んでいる。
「そう……。ご、ごめんなさい! わたし、ずっと『救世主』になろうと思ってた。この戦いで死ぬかもって思ってた。でも、ベブルが捕まったって聞いたら……。『救世主』になんてなれなかった! 全然駄目だった! 中途半端なことをして……、結局はこれで、みんなが不幸になった!」
ベブルには、なにも言えなかった。戦いの途中で、仲間を見捨てて別の場所に行ってしまうのは、集団の頭としては間違いなく不適格だ。それによって多くの死者を出してしまったのだから、その責任は非常に大きい。
だが、そうしてムーガは、ベブルを救おうとしたのだ。ベブルは、自分が彼女にどれほど大切に思われているか、よく知っていた。いまや彼女の心の拠り所が自分自身であるということも。いまここで正論を根拠に彼女を責めれば、彼女は拠り所を失うことになってしまう。
だからといって、取って付けたような慰めの言葉しか思い浮かばないのも事実だ。ムーガのしたことは、あまりにも大きな過失なのだから。
ムーガは地面に両肘を付き、嗚咽を漏らしていた。
ベブルには、掛ける言葉が見付からない。彼はただ、無言で、地面にしがみ付く彼女の両肩を抱き締めた。
ディリアは溜息をつく。
「わたしたちは、貴方たちと休戦協定を結びたいの。ルーウィング、わたしたちは、貴女のあの姿しか見ていなかったから……、正直、貴女がこんな人間だとは思わなかったわ」
「なんだと?」
そう言って睨んだのはベブルだった。瞬間的に、ディリアは少し肩を竦める。
「こんな……、心のある人間だとは思わなかったのよ。世界を滅ぼすくらいだから、もっと、悪魔みたいな奴だと思ってたのよ。デルンなんかよりもずっとね」
「世界を、滅ぼすだと?」
ベブルの言葉を、今度は、ウェルディシナが肯定する。
「そうだ。ムーガ・ルーウィングは『アーケモスの救世主』ではない。“神の幻影イフィズトレノォ”となって、アーケモスを滅亡させるのだ」
「なんだと……?」
ベブルにはわけがわからなかった。
この言葉にはムーガもさすがに反応し、顔を上げ、ウェルディシナとディリアのほうを見た。彼女の顔は、汚れた手で拭いたために、涙と泥とで汚れていた。
ベブルは背後の気配に反応した。“炎の洞窟”の中から、誰かが歩いて来たのだ。それは『飛沙の魔術師』と呼ばれている、ナデュク・ゼンベルウァウルだった。明るい調子で、彼は言う。
「ルーウィングは『アーケモスの救世主』じゃないわけじゃないんだ。ただ、未来では、倒すべき怪物に負けちまった。それだけの話だ」
「お前は……!」
ベブルは立ち上がり、戦闘体勢を取ろうとした。
ナデュクは微笑いながら両手を肩まで挙げる。
「待てって。俺たち三人は、あんたらと手を組みたいんだ。俺たちには、デルンすらも始末できないしな。問答無用で危険要素を取り払うよりも、危険要素そのものに危険を自覚してもらうことにしたのさ」
「どういうことだ?」
「未来の未来を見てもらう。こっちだ」
それだけ言うと、ナデュクは洞窟の奥へと引き返していった。
その後姿を見ているだけで、ベブルは立ち尽くしていた。一体、なにが起こっているのか、まったく見当も付かない。
フィナがベブルの傍までやって来た。彼女の歩き方は、やはりどこかおかしかった。そういえば、十六、七日前には、彼女は左足を引き摺って歩いていたはずだ。どうやら、まだその足がうまく動かないらしい。
フィナは、ベブルを真っ直ぐに見据える。
「行こう」
「ああ、そうだな……」
ベブルが答えると、ムーガも立ち上がり、服の袖で顔を拭いた。顔に付いた泥はまだ残っている。だが、涙は止めたようだ。
「わたしも行く。わたしが怪物に負けて、アーケモスを滅ぼす……? どういうこと? どうしてそんなことが未来に起こるの? ……知りたい。知らなくちゃ」
ベブルたち三人と、ウェルディシナとディリアは“炎の洞窟”の中に入っていった。ここはその昔、火竜が巣食っていたといわれる洞穴だったが、現在は特に危険な生き物は棲息していないようだ。
ウェルディシナとディリアは、ベブルたちから、とりわけムーガから距離を置いて歩いていた。そして時折、彼女らは恐怖を含んだ眼差しで、ムーガのほうを見る。
奥には、散乱する計測器具類と共に、魔導転送装置があった。ナデュクはもういない。彼はもうこの先に転位したのだろう。
「ここは、以前は『真正派』が調査していた」
ウェルディシナはそう言って、彼女の右目を常に隠している長い前髪を撫でていた。まだ落ち着かないのだ。
ベブルたちがなかなか転送装置に入ろうとしないので、ディリアが促す。
「……大丈夫よ。『真正派』の造った転送装置はデルンのものではないのだから。これを使ったところで、デルンに居場所が割れるようなことはないわ」
ここはディリアの言葉を信じるしかない。ベブルたちはその転送装置に入ることにした。
++++++++++
三人が出たところは、閉ざされた部屋だった。
窓はあるが、その外は、塗り潰されたように真っ黒だった。完全に外界と隔離された場所であるらしい。
「ようこそ、俺の研究室へ」
部屋の中にはナデュクがいた。彼はなにか、台座のような形をした装置の横に立っていた。
そのうちに、ウェルディシナとディリアが転送されてくる。ナデュクは彼女たちに言う。
「念のため、転送装置を切ってくれ。余計な邪魔が入らないように」
ディリアはその通りにした。
ベブルは挑戦的に言う。
「それで? 未来の未来とやらは?」
ナデュクは笑って、傍らにある台座を示す。
「これだ」
「それは何だ?」
「こいつは、他人の見たものを記録して、再生する装置だ。君らにはいまからこれに載って、『星隕』の過去を見てもらう」
「過去だと? お前、未来の未来と言っただろう。どういうことだ?」
「君らにとっては未来の未来。俺らにとっては未来。そして……『星隕』ディグリナートにとっては過去だということだ」
フィナが口を開く。
「つまり、『星隕』は未来の未来から来たのか?」
ナデュクは微笑う。
「その通りだ。あいつだけは、俺たちにとっても『未来人』なわけだ。まあ、とりあえず載ってくれ。少し狭いが、三人でも大丈夫だろう」
ベブルは迷っていた。これは罠ではないかと。だが、ムーガが言い切る。
「行こう」
それで、ベブルも決心した。彼ら三人はナデュクの示す台座の上に載った。
++++++++++
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