第十七章② 安息のために

 ベブルはその建物に入った。無断で上がり込んだが、誰も彼を咎めることはなかった。というのも、彼を咎めるような人間がそこにいなかったのだ。彼は建物に侵入してから、誰にも会わずに目的の部屋に到着した。


 ベブルは思い切り扉を開けた。


 寝台で横になり、天井を見つめていた若い女はそれに反応し、やや遅れてベブルのほうを見やった。


 フィナだった。


「デューメルク!」


 ベブルはやや弾んだ声でそう言うと、フィナが横になっている寝台に駆け寄った。彼女はなにが起きたのかと、若干慌てた様子で身を起こす。


 ベブルはどうやら『約六十年前の世界』に飛ばされてしまったものの、それは、彼が考えていたよりも、更に十数日遡った世界だったのだ。以前フィナは、彼がここで三日間眠り続けていたと言っていた。つまりいまは、その三日間のいずれかなのだろう。


 ベブルは、フィナの寝台から見て部屋の反対側に、もうひとつの寝台があるのを見た。そこには、まだ目を覚ましていない過去の自分が眠っていた。それからまた彼は、彼女のほうに顔を向ける。


「大変なことになった」


 ベブルはそうフィナに言った。だが、フィナにしてみれば、彼がふたりいるこの状況そのものが、十分に大変なことだった。


 ベブルはフィナに、この奇妙な状況を初めから説明した。『いま』このあと目を覚ました彼は、彼女と共に未来世界へ行くということ。未来世界のムーガたちは無事だったということ。更に未来ではレミナが生き延びていたということ。加えて、未来ではヴィ・レー・シュトがファードラル・デルンに戦いを仕掛けたということ。ムーガはその頭に祭り上げられてしまったということ。


 ベブルやフィナも、その戦いに参加することになったということ。そして、別動隊を引き受けた彼が、レイエルスでの戦いで無理矢理時空間を吹き飛ばされてしまったということ。


 そのあとで、ベブルは言った。


「俺は未来に行きたいんだ。ムーガを助けないと……。デューメルク、手を貸してくれ」


 しかし、フィナの答えは非常に呆気なかった。


「無理」


「なにが無理なんだよ! お前……!」


 ベブルは瞬時に声を荒らげたが、フィナは冷静に答える。


「未来のムーガは、まだ出発していない」


 その通りだ。『いま』の数日の後に『ベブル』が目を覚まし、未来に行って、デルンへと行軍を開始する前のムーガに出会うのだ。いまから行ったところで、戦っている彼女の手助けをすることはできない。


 ベブルは別の考えを口にする。


「じゃあ、俺の過去を変えてくれ。あっちで寝てる俺に言うんだ。レイエルスには気をつけろって。そうすりゃ、俺はあの変な奴に、時空を飛ばされずに済む。頼む」


 しかし、フィナの返答は早かった。


「無理。貴方は時間改変を受けない」


 ベブルの指に嵌っている『時空の指輪』が、彼を時間改変から守っているのだ。翻って、いくら過去を変えたところで、彼がいまここにいるという事実を変えることはできない。


 ベブルはがっくりとうなだれ、フィナの寝台の縁に手を付いた。


「そんじゃあ、どうすりゃいいんだよ、俺は……。俺の過去を変えられねえなんて、この『指輪』がこんなに邪魔だと思ったのは初めてだ」


 それを聞いて、フィナは言う。彼女は真っ直ぐに、ベブルの瞳を捉える。


「そういうものだ」


「ああ?」


「過去は変えられない。そういうもの」


「だからってなあ、俺には変える必要があるんだよ」


 ベブルは、半分睨んでいるような目で、フィナを見た。だが、彼女がそれで動じる様子はない。


 フィナはゆっくりと言う。


「変えるのは、未来」


「未来?」


「そう」


「なにか、方法があるのか?」


「可能性は極めて低い」


「それでもいい。お前の考えだろ? それなら賭けていい」


 この言葉に、フィナは目を丸くした。


「どうした?」


「……いや」


 フィナは、首を小さく左右に振った。


「早く言ってくれよ。どんな方法なんだ」


 そうベブルが急かすと、フィナはうなずき、短く言う。


「『時のいわや』で『時空輝石』を探す」



 それは、あまりにも突拍子ない方法だった。


 そもそも、『時空の指輪』はふたつの部分からなっている。宝石の部分と輪の部分だ。『時空輝石』と呼ばれる宝石が時間移動を行う力を持っており、『固定金属』と呼ばれる金属でつくられた輪の部分が所持者を歴史改変から守るのだ。


 だが、ベブルとフィナの場合、指輪に付いている時空輝石が小さすぎるため、ふたりの指輪両方を合わせなければ時間移動ができない。


 このような状況を踏まえて、フィナはベブルに時空輝石を探すように言ったのだ。運良く未来へ行く時空輝石——黄色の時空輝石が見つかれば、指輪本体に掛けられている魔法が作用し、未来への時間移動が成功する可能性がある。


 ただし、問題はある。あのファードラル・デルンでさえも、ベブルが最後の時空原石を破壊したために、それ以上の石がなくなってしまっていること。それから百八十年経っても『時空輝石』を発見できていないということ。そしてもっと根本的に、未精製の時空原石で時間移動ができるのか怪しいということだった。


 フィナの言った『時の窟』とは、ボロネ周辺にある、ファードラル・デルンの地下施設に至る洞窟のことだ。元々ベブルたちは、現代のそこで『時空の指輪』を見つけたのだったし、未来世界においては、ファードラルはここでなんらかの鉱石の発掘を行っていたことが判明している。それを時空原石であると仮定した上で、彼女はここを挙げたのだ。


 ベブルはフィナの意見を、しばらく黙って咀嚼そしゃくしていた。そして、全体が理解できると、自信に満ちた笑みを浮かべた。


 ベブルは口を開く。


「いいぜ。それならうまくいく。北に走り続けて……、ボロネまで行って、そこから更に北か。大体二十日ってとこか。……そうか、俺が消された日から、大体四、五日ってところで、俺は未来に戻れるのか。デューメルク、お前最高だな!」


 ベブルはそう言って立ち上がり、早速出かけようとした。面食らったのはフィナのほうだ。彼はこの問題点の多い方法を、何の文句もなしに受け入れてしまったのだ。こうなっては、提案したほうが不安になってしまう。


「リーリクメルド、大丈夫か」


 フィナは、部屋を出て行こうとしているベブルを呼び止めた。ベブルは彼女のほうを振り返る。


「ああ。お前の考えた方法だ。失敗しやしねえよ」


「なぜ」


「お前が一番頼りになる仲間だからだ」


 ベブルは笑った。


 フィナはまた、その様子を見て、静かに驚いていた。だが、それを受け止めると、彼女は布団の中から足を出し、ブーツを履いた。といっても、しっかりと留め金を止めることはしなかった。彼女は中途半端にそれを履くと、そのまま少し左足を引き摺って歩き、ベブルのほうに近づいた。


 フィナは微笑み、右手を差し出す。


「貴方とわたしは友人同士だ、リーリクメルド」


 こいつ、微笑いやがった。ベブルは驚き——彼もまた微笑み、その手を取る。


「ああ。俺も、お前くらい信じられる仲間は初めてだぜ」


 世界が波打った。


++++++++++


 時の海は、渦巻き、そして、流れ落ちた。


 そこには、永遠があったのだ。


 一瞬という名の永遠が。


 時が流れ去るのもまた刹那の時であり、それには無限の時を要した。


 一瞬を取り囲む永遠が、一瞬によって永遠に変革された瞬間だった。


 永遠が蒸発する。


 たった、一瞬だけ。


++++++++++

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