第十六章④ 望まぬ戦い

 六十年後の未来のヴィ・レー・シュトは、やはり砂の匂いのする、寂れた村だった。とはいえ、それでも人口は六十年前と比べると遥かに多いようだ。魔術師も爆発的に増えたようだが、魔術師でない一般の人間もかなりいる。


 ベブルとフィナは繋いでいた手を放すと、近くを歩いていた黒ローブの女に話し掛けた。そして、ムーガ・ルーウィングという人物がここに来てはいないかということを尋ねた。


 しかし、その魔女は逆に、ふたりに質問する。


「失礼ですが、あなたたち、ルーウィング様とはどういう関係なのですか?」


 答え難い質問だな。ベブルはそう思ったが、とりあえず答える。


「恋人だ。本人に言えばそれでわかる」


「はあ?」


 どうやら予想もしていなかった答えだったようだ。


「とにかく、俺が質問してるんだ。ムーガは無事だったのか? どうなんだ」


 そうして押し問答している間に、遠くから、ベブルたちのほうに走って来る者があった。桃色の髪を振り乱し、気持ちばかりが先行して前のめりになり、いまにも転びそうな走り方で駆けて来る、ムーガその人だった。


「ベブル―――ッ! フィナ―――ッ!」


 ムーガはそう叫ぶと、右腕でベブルに、そして左腕でフィナに抱き付いた。その様子を、ベブルたちと話をしていた黒ローブの魔術師が呆然と見ている。


「よかった。ふたりとも無事だったんだ!」


 ムーガは大声で叫び、喜んでいた。一見陽気な再会にも見えるが、彼女の睫毛は涙で濡れていた。


「俺たちはなんとか無事だった。お前のほうも、よく無事で」


 ベブルは力の限り彼女を抱き締める。ただし、彼の右側にはフィナがいるので、彼は左腕だけでそうした。


「うん。わたしも、スィルも、ウィードも、レミナも、みんな無事!」


 ムーガはそう言うと少し離れ、ふたりの顔がよく見えるようにした。そして彼女は、ふたりが本当に生きていた喜びを噛み締め、微笑んだ。


 そうか、無事だったか。そう、ベブルは思ったが、一瞬の後、彼女が妙なことを言ったのに気がついた。


「……レミナ?」


 ベブルはそう訊いた。


 一方、ムーガはなぜ彼がそう言ったのか解らない様子だ。


「え? うん。レミナも無事だよ。レミナがどうしたの?」


 ベブルは傍らのフィナに尋ねる。


「いや……、そうだな……。どうなってるんだ?」


 フィナは答えて言う。


「改変された」


「それは解ってる。どこをどう改変されたかってことだ」


「……ウィードに訊く」


 ベブルはうなずく。フィナにもこの状況が解っているはずはないのだ。彼女は彼と行動を共にしていたのだから。


「……そうだな、ムーガ。ウィードたちのところへ案内してくれ」


 なにが起こっているのか理解できないままだったが、ムーガはとりあえずうなずく。


「わかった。こっちに来て。それにもうすぐ、戦いが始まるんだ。大切な話だから、ベブルとフィナにも聞いて欲しい」


 ムーガは少し歩き、振り返ってベブルたちに行き先を説明し始めた。ふたりはそれに従い、三人で歩いて行った。


 ムーガのことを尋ねられた黒ローブの魔女はそこに取り残された。無論、村には人が沢山いるので、彼女は独りきりにされたわけではない。しかしながら彼女は、救世主と謳われるムーガとその知り合いらしきふたりに、さして気にもされずに去られてしまったのだった。


 ここでようやく、彼女は気がつく。


「え……? ルーウィング様の恋人……って?」



 この時代では、この辺境の村ヴィ・レー・シュトにも、少し大きな建物ができていた。この村の人間はそれを『屋敷』と呼んでいるようだ。木材だけで出来ているものの、造りそのものはしっかりとしているので、大人数が集まるには、村で一番よいものだった。


 ベブルたちはその屋敷に入った。ムーガが言うには、スィルセンダもウィードも、そしてレミナもここにいるのだということだ。


 屋敷に入ってすぐに、ムーガは屋敷内の人間に声を掛けられる。話の内容は取り留めのないもののようだったが、それでも彼女はその話し相手になってやっていた。『アーケモスの救世主』として、『戦い』を控えて落ち着かなくなった人間たちの心の支えになってやっているのだ。


 新参者であるベブルとフィナに話しかけに来るものはいなかった。ムーガは話の相手をしながら、ベブルたちに対して、部屋の奥のほうを指差した。屋敷には多くの魔術師たちや武装した男女がおり、その人混みで部屋の奥のほうが見えなくなっていた。ベブルとフィナは、ごった返す人間たちの海を掻き分け、ムーガの指したほうへ向かった。


 果たして、そこにはウィードとスィルセンダ、それから他にも何人かの人間が、ひとつの卓を囲んで座っていた。


「ベブルさん、フィナさん、無事でしたか」


 ふたりの到着に気がついたウィードはその場で立ち上がり、彼らを迎えた。やや遅れて気づいたスィルセンダも、同様に立ち上がる。


「心配していたんですよ。ご無事でなによりです」


「ああ。だが、悪い。デルンの奴はまだ始末できてねえんだ」


 ベブルはそう言いながら、開いている席に座った。フィナもそうした。ウィードやスィルセンダも座り直す。


「ええ、それはわかっています。状況がこの通りですからね」


 ウィードは苦笑いしながら、冗談とも冷笑ともとれないことを言うのだった。


 ウィードの隣には、十七、十八歳前後の年齢に見える女性が立っていた。彼女の髪は濃い青色で、肩まで程の長さがあったが、癖毛で波打っていた。


 レミナだった。


「おい、お前、まさか……」


 ベブルが彼女にそう言うと、レミナは答える。


「レミナです。約六十年振りですね。ベブル・リーリクメルドさん、フィナ・デューメルクさん」

 

 それに対して、フィナはうなずいただけだった。片やベブルは驚き混じりに言う。


「レミナ……、お前、無事だったのか。ザンは——魔王側はデルンに負けたんだろ?」


 辛い過去であるというのに、レミナははっきりと答える。


「はい。魔王側がデルン軍に完全敗北する前日、フリアがわたしを貴方に託したのです」


 レミナの両瞳は、真っ直ぐにベブルの両瞳を捉えていた。


「俺に?」


「そうです。それからこの約五十年間、約五年前に貴方が死亡するまで、わたしはずっと貴方の許で成長しました」


 スィルセンダは首を傾げる。


「あら、ベブルさんは、この時代のレミナとは初対面でしたかしら。レミナはずっと、わたくしたちが小さいときから、わたくしたちの面倒を見てきてくれたのですわ。いまではもう、わたくしたちのほうがレミナよりも年上になってしまったのですけれど」


 どうやらまたどこかで、歴史が変わってしまったようだ。つまり、魔王側が全滅するという歴史ではなく、ただひとり、幼かったレミナだけが生き残るという歴史に。これは負の改変ではない。正の改変だ。


「ああ……。ああ、まあな」


 ベブルは適当に話をごまかした。ここまでで歴史改変にはかなり慣れてきたはずだというのに、それでも、時々は驚いてしまう。これにまったく驚かないフィナは、本当に長い間歴史改変と付き合ってきたのだと、つくづく思い知らされる。


 ベブルはウィードのほうを見た。ウィードは彼を見ながらなにか意味有り気に笑っている。ウィードもまた、時間改変に気づくことのできる人間だ。ウィードはどうやら、まだ何か知っていそうだ。時間改変に気づくもの同士として、あとでこいつから話を聞いておこうと彼は思った。



「おうい、みんな!」


 人混みの向こうから、ムーガが手を振っていた。屋敷の中に集まってそれぞれに話をしている魔術師たちや戦士たちは、彼女の声を聞いてそちらを向いた。だが、彼女はその視線には気づいていないようだ。


 ムーガが「みんな」と言ったので、ここにいる人々は皆、自分たちのことであることを期待したのだ。誰もが、どんな些細なことでも良いから『救世主』に声を掛けて貰いたいと思っていた。だが、残念なことに、彼女が言った「みんな」とは、ベブルたちのことだけだった。


「最後の会議をするから上に来て欲しい。ベブルもフィナも、同席して欲しいんだ」


「わかりました」「わかった」


 ウィードとベブルはそう言って席を立った。フィナもスィルセンダも、そしてレミナも、人混みを分けて階段のほうに向かった。


 ムーガが階段を上がると、彼女の後には数人の魔術師たちと戦士たちが続いた。ベブルたちは更にその後に続く。一階に残された者たちが自分たちのほうをじっと見ていることにベブルは気づいていたが、特に相手にしなかった。


++++++++++


「みんな、こっちがベブル・リーリクメルドで、こっちがフィナ・デューメルク。わたしの掛け替えのない友人だ。よろしく」


 二階の会議室に集合すると、ムーガはまず、ベブルとフィナを幹部級の魔術師たちと戦士たちに紹介した。


 戦士のうちのひとりがムーガに訊ねる。


「ルーウィング様のお爺様、お婆様と同じお名前ですね。なぜです?」


「んん、まあな。いまは訳あってそういう名前で通しているんだ。その辺りについては、いずれ話す」


「そうですか、解りました」


 ムーガがこう言っておくことで、集まった人間はみな、「そういうものなのか」と呑み込んだ。このお陰で、ベブルとフィナは、ここでは本名で通しても「いわく有り気な偽名」としてそのまま扱われることになる。


 ベブルはまず、質問をムーガに投げかける。


「それで? 戦いが始まると言ったな。どういうことになってるんだ? 俺たちはここに来たばかりで、状況が掴めないんだが」


 すると、ムーガが返答するよりも先に、魔術師のひとりが怒鳴り始める。


「貴様! ルーウィング様に対して何たる無礼!」


 ムーガはその魔術師を諌める。


「別にいいんだよ、デグ。わたしとベブルたちは、本当に家族のように仲がいいんだから」


「そうでございましたか……」


「そう」


 ムーガはその魔術師にそう言うと、気を取り直し、ベブルたちのほうに顔を向ける。


「このヴィ・レー・シュトは、デルンの支配に対して怒りや不満をもつ者たちの村なんだ。だからわたしはここへ来た。そして、わたしはここで人を集め、決起し、帝都デルンを攻める」


「待て、ムーガ。お前がここに逃げたのは、兵隊を集めてデルン軍と戦をするためだったのか?」


 ベブルはムーガに訊いた。彼は違和感を感じ取ったのだ。ムーガはすぐに答えようとしたが、一瞬遅かった。


「……もちろん」


「そうか」


「それで、考えたんだけど」


 少し大きな声で振り払うようにそう言うと、ムーガは大きな卓のほうに歩いた。彼女は上座のほうに廻ると、卓の上に広げられた地図を指差す。


「わたしたちは、帝都デルンを南北方向から挟み撃ちする。南からはわたしたち、ヴィ・レー・シュトの『穢れなき双眸』が、そして北からは、『アールガロイ魔術アカデミー』の『アールガロイ真正派』が攻める。全世界がデルンの配下になったいま、わたしたちの側に付いてくれる『真正派』の協力はありがたい」


 あれだけ『真正派』を嫌っていたムーガが、その協力を歓迎しているように見える。歴史改変の影響だろうかと、ベブルは思う。


「『アカデミー』の魔術師の多くがデルン側に付いても、真実の探求者は世の不条理を許さないというわけですね」


 戦士のひとりがそう言った。すると、魔術師の一人が「まったくだ」と相槌する。


 ムーガは話を続ける。


「ここまでが、これまでに決まったことだった。この基本方針に変更はない。だが、新しい要素が加わったことをみんなに言っておきたい。ヴィ・レー・シュトの北東の荒地に埋まっていた遺跡をレミナが確認した。あれはレイエルスへと通じる時空塔で、彼女なら動かすことができるそうだ」


 次いで、レミナが言う。


「はい。わたしの左手で認証が可能でした。ただし、時空塔の動作試験はしていません。動作させては、レイエルスとの往来の可能なデルンに察知されてしまう虞れもありますので。十分な動作テストが行えないため、安全性は十分だとはいえません」


 レミナの言葉には注意点が含まれていたが、ムーガはそれらをあえて無視して、集まった全員に向かって言う。


「使ってみる価値はある。神界レイエルスには、に直結した輸送装置があるはず。つまり、これを使えば、南から、北から、そして更には内部から、デルンの本拠地・デルンタワーを攻撃することができる」


「素晴らしい作戦だ」


 魔術師たちの中の誰かがそう言った。


「それで、このための、少数の精鋭部隊を用意しようと思う。それで……、ベブル、フィナ、あなたたちにこの役目を負ってほしい」


「俺たちか……」


 ベブルは言った。フィナはうなずく。そして、ムーガはそれ以上に力強くうなずいた。だがこれも、『アーケモスの救世主』として堂々と振舞っている、演技に過ぎない。


 ムーガは、それからまた言う。


「そう。それで、他には、ウィードとレミナ、このふたりにもやってもらう。異論は?」


「ないですよ」「ありません」


 ウィードとレミナは同時に言った。ふたりとも、ムーガには従順だ。そしてそれ以上に、彼女のことを信頼していた。


「直接攻撃がふたりに、遠隔広角攻撃がふたり。これ以上の増員はなし。わたしたちがデルンタワーへの攻撃を開始したら、速やかに内部を破壊して欲しい。質問は?」


 ムーガが話をまとめたが、しかし、ベブルが意見する。


「待ってくれ。デューメルクは少数精鋭には入れないほうがいい。いまもまだ怪我の後遺症が残ってる。素早い動きは無理だ。こいつはお前の班に入れて、後方支援として使ってやってくれ。治癒魔法が使えるようになったらしい」


 ムーガは顔を顰める。


「後方支援? フィナの魔法は当てになる。間違いなく、『穢れなき双眸』の中でもトップクラスだよ」


「いいか、よく聞けよ」


 ベブルは堪りかねて、半分怒鳴るように言った。すると、ムーガは一瞬だけ身を強張らせた。その仕草を見て、彼は声を落とす。


「いや、悪かった」


「いいよ、言って」


 ムーガは静かに促した。ベブルは浅くうなずく。


「ここにいる魔術師は全員、デルンと戦うために魔法を習得した奴らなんだろ。だが、デューメルクは違う。こいつはただの学生だ。それなのに、戦いに巻き込まれて、デルンにも狙われて、魔力が強いからって主力扱いされたのがおかしいんだ。こいつは、戦う人間じゃねえ。俺みたいに、戦いに生きて、戦いに死んでもいいと思ってる奴とは、住んでる世界が違うんだ」


 ムーガはじっと黙って聞いていた。そして、暫くして、小さな声で言う。


「わかった」


「後ろに廻して、死なせないようにしてやってくれ。こいつは、いつも突っ込んでいくからな。それから、戦況が悪くなったら、お前たちは逃げるんだ。死なせたくない」


「わかったから……、もう……」


 ムーガは俯き、拳を握り締めてベブルの話を聞いていた。


 ベブルのほうも、ムーガのそんな姿を見ては、これ以上なにも言えない。


「ああ……、そう……か……」


 ウィードが、萎れてしまったムーガを励ます。


「大丈夫ですよ、ムーガさん。僕とレミナでフィナさんの分を埋め合わせますから。予定通りです」


「そうじゃな……」


「治癒魔法のない分は、魔法薬で補うだけです」


 ウィードが精神論的観点から言ったのに対して、レミナは実際的な立場に立って、そう言った。


 ムーガは頭を二、三度横に振ると、片手で長い髪を後ろに撥ねる。


「そうだ……な。ともあれ、大枠は決まった。『穢れなき双眸』本隊は三日後に出発し、その十四日後にデルンに入る予定。分隊はそれに合わせて、神界レイエルスからデルンタワーに降りるように段取りをすること。決定次第報告するように。以上」


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