第十六章⑤ 望まぬ戦い
ベブルは歩いていた。枯れた砂を踏み、ヴィ・レー・シュトと荒野との境界にまでやって来た。彼はそこで、探していたものを見つけた。
ムーガの後ろ姿。
ベブルは声を掛ける。
「おい」
しかし、ムーガは振り返らなかった。ベブルは彼女の横に並び、彼女と同じように、遥か彼方まで広がる荒野を見やった。
ベブルは言う。
「お前も大変だな。『アーケモスの救世主』とやらのせいで、お前はここで担ぎ出されて、戦の大将だ」
ムーガは口を開く。
「ここの人たちは、デルンこそが私の倒すべき『怪物』なんだと信じてるんだよ」
「そうなのか?」
ベブルの問いに、ムーガはかぶりを振る。
「わからない……」
「俺にはただの、ここの奴らの御都合主義にしか見えんがな」
「でも、わたしには、ここの人たちの気持ちを裏切れないんだよ。わたしを『救世主』と信じて、『怪物』と化したデルンを倒してくれると信じてるんだよ。この戦いのためには、ヴィ・レー・シュトのみんなは、死んでもいいと思ってる。わたしがデルンを倒すのなら、わたしのためにも死んでも……」
「……他人のためにしてやろうってのは悪くはねえが、デルンは簡単には倒せねえ。安請け合いするのはあまり賢いとは言えねえと思うぜ」
ここで、ムーガはようやくベブルのほうに顔を向ける。
「弱腰だね。らしくないね」
ベブルはうつむき、声を落とす。
「あ? まあな。俺が考えもなく突っ込んだせいで、デューメルクのやつが死に掛けたからな。もうあんなのはごめんだ」
それからしばらく、誰の発言もなかった。
ムーガがなにも言わないので、ベブルは顔を上げた。彼女はじっと、彼の顔を見ている。哀しそうに。
「どうし——」
どうした? と言おうとしたところで、ムーガの声が重なる。
「フィナのことが好きになったの?」
「まさか。あいつはそんなんじゃねえよ」
しかし、ムーガは叫ぶように言う。
「だってそういう歴史なんだもん! 仕方ないじゃない! わたしの父さんはベブルとフィナの子なんだから! こんなの、歴史の改変なんかより、元通りの歴史そのままのほうがよっぽど酷いじゃない!」
「そんなんじゃねえって言ってるだろ!」
そしてまた、沈黙が訪れる。
ふたりとも睨み合ったまま、そして、時が流れた。
睨み合っていることに気が付いたふたりは、お互いに目を逸らす。
ベブルは力なく言う。
「あいつは……。デューメルクは、仲間なんだ。だから、そんなんじゃない。なんて言うか、俺じゃ敵わないんだ」
「なにそれ?」
「確かに、あいつは大切な仲間だ。だがそれは、お前みたいに、恋人にしたいってのとは違うんだ」
ムーガは自分自身を指差す。
「わたしも仲間じゃないの?」
「そういう意味の仲間とは違うんだ。あいつは俺と互角。お前は俺が守る」
「でも、フィナを守るんだ。矛盾してない?」
ムーガは潤んだ睨み目で、ベブルの顔を覗き込んだ。
「ああ、たしかに、そうだけどな……」
ベブルは視線を逸らした。
すると不意に、ベブルは自分の身体に温もりを感じる。ムーガが、そっと、身体を寄せて来ていたのだ。彼女は言う。
「じゃあ、わたしのこと、まだ好き?」
「前にも言ったろ」
「言ってよ」
ベブルはムーガを抱き締める。
「好きに決まってるだろ。俺は時間改変を受けない。俺の気持ちはずっとこのままだ」
「ずっと、ずっと好きでいいんだよね」
「当たり前だろ」
ベブルがそう言うと、ムーガは顔を上げた。このときの彼女の頬は涙に濡れていた。彼女は美しく微笑む。そして哀しく。
ムーガは涙声で、微笑いながら言う。
「本当はね。こんな風に再会するつもりじゃなかったんだ。会ってすぐに、貴方に戦えと言うつもりじゃなかった。ただ、こっそり会えればよかった」
「デルンを始末すれば、好きなだけ会えるだろ。そのためなら、いくらだって戦ってやるよ」
ベブルは、できる限り力強く答えようと努めた。
ムーガは額をベブルの胸に押し付ける。
「本当は時空塔なんかに、デルンタワーなんかにみんなを行かせたくない。死んで欲しくない。そうじゃなくたって、せめて貴方と一緒に行きたい。でも、ない勝算を考えたら、こうするのが一番だってわかるから……!」
ベブルはムーガの肩を揺さぶる。
「勝算はなくないだろ。お前の作戦は完璧だった。負ける筈がない」
しかし、ムーガはまたかぶりを振る。
「違う。違うの。あれじゃ全然駄目。あんなので、“アドゥラリード”が倒せるはずない。それに、“
「“赫烈の審判”?」
それはベブルの知らない単語だった。
「うん。六十年前にノール・ノルザニを滅ぼした魔導兵器。デルンタワーにあって、アーケモスじゅうどこでも滅ぼせる超兵器……」
ベブルには合点がいった。あの日見た光はそれだったのか。ノール・ノルザニを焼き尽くした地獄の炎は。
「みんな考えに入れないようにしてるけど、あんなのがあるから、絶対に敵うわけないよ……」
「そんなことねえだろ」
ベブルはそう言って励まそうとした。だが、その言葉に、根拠はまったくない。
「それに……。それにね……」
ムーガの声は更に涙声になっていた。
「……言えよ。聞いてるから」
「あれから、わたし、また……、ちゃんと意識を持ってられる時間が減ったんだ。どんどん、自分がなくなっていくの。もう、もう終わりかもしれない……。今度の戦いで、デルンの軍隊とか、“アドゥラリード”なんかと戦ったら、わたし……。そうでなくても、負けるしれないのに……。だから、ベブルとはここでお別れになるんだ」
ムーガは両の目から重い涙を零した。そして、そうでいながら、無理矢理に口元を微笑ませた。ベブルとの一生の別れのつもりなのだ。最後は笑顔で別れようと。
ベブルは力強く言い切る。
「『お別れ』じゃねえよ。俺が何とかしてやる。俺がデルンタワーとやらに乗り込んで、全部ぶっ潰してやる。その“赫烈の審判”とやらもな。お前がなくならねえうちにな」
「……うん。頼んだよ」
「任せろ。絶対に、お前の望みを叶えてやる。デルンのいない世界に、戦わなくてもいい世界にしてやる。この先ずっと、お前が戦わなくていい世界に」
そうして、ふたりはずっと身を寄せ合っていた。
++++++++++
それから、ベブルは村の方に戻ろうと言ったが、ムーガは暫くそこに残ると言った。
「ちょっといまは、すぐに『救世主』になれそうもないから」
ムーガがそう言うので、ベブルは彼女を残してそのままひとりで村に帰った。
村の中、人の多いところで、ベブルは、フィナとスィルセンダを見かけた。ふたりは建物の外に置いてある木箱に腰掛けて話をしていたが、未来や過去の話をしているだけで、特にこれからの戦いに重要な話をしているわけではなかった。
「よう」
ベブルが言うと、いままで気付いていなかったふたりは彼のほうを向く。スィルセンダは会釈し、いつもは無表情なフィナまでもが、いまは少し、力強く笑んでいる。
フィナが口を開く。
「話をしていたのか? ムーガと」
「ああ」
そうベブルが答えると、スィルセンダがすかさず言う。
「ベブルさん、歴史を曲げないで下さいませ。ムーガは本当に聞き訳がなくて、貴方が実の祖父だと知っても気持ちを止められないのです。ですから、どうか、ムーガに優しく接するのは止めて下さいな。ムーガは、貴方が本気で自分を愛してくれると思い込んでいますわ。まるで、恋人同士のように」
スィルセンダは咎めるつもりでそう言ったのだが、ベブルはそれを突っ撥ねる。
「俺は恋人同士のつもりだが」
「!」
スィルセンダは短く叫ぶと、自分の両手を両頬に当てた。そして、フィナを見て、訊く。
「フィナさん、わたくし、消えてませんよね?」
「ない」
フィナの返答はあまりにも短かかったため、誤解を招くものだった。これではなにがないのかわからない。スィルセンダが消えていないのか、彼女の身体が消えてなくなってしまったのか。
スィルセンダは無言で、両手を頬に当てたまま、今度はベブルのほうを見る。彼は苦笑する。
「消えてねえよ」
「――ったく、厄介なモンだな、歴史改変って奴は」
ベブルは腕を組み、溜息をついた。
フィナも同意する。
「そう」
そして、ベブルはまた盛大に溜息をつく。
「ノール・ノルザニのゼスも……、それに俺の親父も、歴史の改変の影響を受けてた。ふたりとも、いけ好かない野郎だったが、それでもあんな汚ねえ人間じゃなかった。クソッ」
「師匠?」
ヨクト・ソナドーンの変化はフィナの知らないことだった。
「あの野郎、俺を殺そうとしやがった。俺を殺して、デルンに取り入るつもりだったんだ。小せえ野郎だ」
「悪いのは歴史」
「そんなことわかってんだよ」
ベブルはそう吐き捨てると、フィナに背を向けて立ち去ろうとした。だが、彼はそこで立ち止まり、振り返る。
「なぁ……。お前も、歴史改変の影響を受けたら、俺を殺そうとしたりするのか?」
ベブルはフィナを見る。
フィナは微笑んだ。
ベブルには、そしてスィルセンダにはその意味が解らなかった。
フィナは言い切る。
「殺さない。仲間――友人だから」
ベブルは呆然とそこに立ち尽くしていた。フィナの口から、そのような言葉が聞けるとは思ってもみなかったからだ。そしてしばらくして、彼は自分が間抜けにも突っ立ったまま、なにも言わないでいるのに気がついた。
フンと、ベブルはわざと不満そうに鼻を鳴らすと、フィナに背を向け、今度こそそこを立ち去った。ただ、振り返らずに言葉を残す。
「ありがとな」
フィナは木箱に腰掛けたまま、ベブルの後姿を見送っていた。
その様子を見て、スィルセンダが隣のフィナに、不安げに質問する。
「あの……、つまり、まだ『お友だち』なのですか?」
++++++++++
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