第十六章③ 望まぬ戦い

 仲間と呼べる者がどれだけいただろうか。


 友と呼べる者がどれだけいただろうか。


 二十年も生きてきて、ベブルがそう思えた者はひとりもいなかった。どんな雇われ人たちも、闘技大会に来た力自慢たちも、街の役人たちも、言い寄ってきた女たちも、どれも違ったのだ。


 だが、フィナは――。


「デューメルクは、違う」


 生まれて初めてだったのだ。こんなに、他の人間を身近に感じたのは。


 力強く感じたのは。


 そして、信じられたのは。


 

 ベブルはここに来て、やっと仲間を見つけられたのだ。やっと、心から付き合える人間に出会ったのだ。


「失ってたまるか」



 フィナ・デューメルク——。


++++++++++


 土臭い風が彼の鼻先を掠めていった。


 目を覚ますと、ベブルは硬い寝台の上で横たわっていた。


 窓の外からは薄暈けた昼の光が差し込んできている。外は曇りのようだ。


 いま自分がどういう状況にいるのかわからぬまま、ベブルは横になったままの姿勢で髪を掻き揚げる。


 なにか夢を見ていたような気がするが、思い出せない。生きていくための心の支えを、自分の心の土台を無残に砕かれてしまうような夢だった気がした。



「起きたのか」


 フィナの声だった。


 ベブルは咄嗟に身を起こし、その声を発した女の姿を探した。


 フィナは、この薄暗い部屋の中の反対側にあるもうひとつの寝台の上にいた。腰まで掛け布団を掛けて、座って本を読んでいる。


「お、お前、無事だったのか! デューメルク!」


 ベブルは自分に掛かっている布団を蹴飛ばし、立ち上がり、フィナのほうへ駆け寄った。だが途中で、あまりに喜んでいる自分に気が付き、立ち止まった。近付こうとする自分を、他の自分が押え付けている。


 フィナは肯定する。


「貴方は三日も眠っていた」


「お前はもっと寝てただろうが」


 ベブルは不機嫌そうに溜息をついた。あるいはそれは、安堵によるものだったのかもしれない。


「ありがとう」


 静かな、囁くような声で、フィナがそう言った。一瞬、ベブルは彼女がなにを言ったのか理解できなかった。彼女に礼を言われるなど、考えたこともなかったからだ。


 だがよく考えれば、一応ベブルは、フィナの命を救った人間だ。そうか、それで言われたのかと、彼は遅れて理解した。


 しかし、ベブルは、その礼を素直に受け取ることができない。


「いや……。元はといえば、俺が悪かったんだ。何の考えもなしに、お前をノール・ノルザニに連れてっちまった。ディスウィニルクの言ったとおり、もっとよく考えりゃよかった」


 フィナは首を横に振る。


「正しかった」


 ベブルは視線を落とす。


「よくねえよ。もうあんなのは懲り懲りだ」


「“イルヴシュ”を習得した」

 

「あ?」


「“治癒魔法イルヴシュ”」


 いまも、フィナはなにかの魔法書を読んでいる最中だった。彼女はこのまま戦い続ける気だ。死に掛けたばかりだというのに。もう目を覚まさないかもしれなかったというのに。


 ベブルはすぐさま反対する。


「やめとけよ。お前はこのままじゃ危ない。次は殺されちまうかもしれない。“強化型アドゥラリード”はそう簡単な相手じゃねえんだ」


 フィナは小さく嘲笑った。


「ザンと同じ。悲観論」


「だから何だってんだよ」


「貴方のやり方は?」


 フィナは挑発的に笑っていた。ベブルは思った。こいつ、こんなに表情のある奴だったのか。


 ベブルがなにも答えないでいると、フィナはまた言う。


「過去に引き籠もる?」


「……冗談じゃねえ」


「ムーガたちが心配」


 フィナがそう言うと、ベブルははっと思い出した。ムーガたちは未来に生きているのだ。いまここで、デルンを倒せないと言い切ってしまい、過去で安全に暮らすことに決めてしまうのは簡単だ。だがそれでは、未来でデルンに命を狙われているムーガたちを見捨てることになる。彼には、そんなことは到底できない。


「ああそうだ。ムーガは逃げ切れたのか?」


「ムーガたちが逃げたのは、パーラス荒野のヴィ・レー・シュト」


「それは……」


 ベブルは言おうとしたが、彼はいまのいままで意識を失っていたので確信が持てなかった。フィナは微笑って言う。


「未来の、ここ」


 それは即ち、『時空の指輪』を使えば、ムーガが逃げ切れたのかどうかがすぐに確認できるということだ。


「それなら、いますぐに行こうぜ、未来に。なあ?」


 あまりにも慌てて手を差し出すベブルを見て、フィナは静かに首を横に振る。


「まず外へ。お礼を」


 フィナの言うことは正しい。彼女を負ぶって歩いていたはずのベブル本人には、ここへ到着した記憶がないのだ。つまりそれは、行き倒れているところを誰かが助けてくれたということだ。


「そうだな」


 ベブルは落ち着きを取り戻した。すると、フィナは本を閉じ、それを魔法で消すと、布団から脚を出し、ブーツを履き始めた。


「もういいのか?」


 ベブルは、フィナの身を案じて訊いた。


「ムーガたちが心配」


 それだけ言うと、フィナは歩き出し、扉を開けて出て行った。ついて来いということなのだろう。その足取りは、怪我人だったとは思えないほどに速かったので、もう回復したのだと考えていいのだろう。だが、歩きかたが奇妙だったので、まだ明らかに本調子ではないと見える。


 それにしてもと、開け放たれた扉を見ながらベブルは思う。まんまと誘導されてしまった気がするのは、ただの気のせいなのだろうか。


 貴方のやり方、か……。


 あいつ、俺のやり方を認めてたのか?



 ベブルは外に出ると、そこでフィナが男と話しているのが見えた。どうやらその男が、行き倒れていたふたりを助けてくれたらしい。その男は白いローブを羽織っており、魔術師のようだ。


 乾いた砂の臭いのする村だった。緑はほとんどどなく、灰色の大地の上に、木の小屋が建っているだけの寂しい場所だ。時の流れが止まってしまったような土地だ。


 その男は建物から出てきたベブルに気が付くと、彼に話し掛ける。


「もう大丈夫か?」


「ああ、まあな。世話になったな」


 ベブルがそう答えると、白ローブの魔術師の男はうなずく。そしてまた、その男は言う。


「お前、『懸崖の哲人』殿の息子なんだってな」


「ああ、一応な」


 心の奥底から溢れる嫌悪感を覚えながら、ベブルはそう答えた。


「それがここへ逃げてきたってことは、ルメルトス派を脱退したってことか?」


「いや、元から入ってもいない」


 それを聞き、魔術師の男は微笑う。


「そりゃよかった。最近デルン側に傾倒してるって噂のルメルトス派だからな。そうでなけりゃ、ここには入れられなかった。こっちとしても、ほっとした」


「なんだそりゃ」


「見てくれ」


 魔術師の男はそう言い、指差した。ベブルはそちらのほうを見る。


 その指の先には、幾人もの魔術師たちがいた。白いローブの者もいれば、黒いローブの者もいる。ここにいるほとんど全ての人間が魔術師なのだ。彼ら彼女らは、どうやら、この村に居座っている人間たちのようだ。


「ここヴィ・レー・シュトは、いまやもう、デルンの支配に疑問をもつ魔術師たちの村になってるんだ。一応こんなでも、この辺りは魔王様の支配地域だからな。いまでは、魔術師の人口が元々いた村人の人数を超えた」


 なるほど。デルン側の人間が紛れては困るわけかと、ベブルは納得する。


「俺たちはデルンの奴に命を狙われてる。どちらかと言えば、お前たちの側の人間だ」


「それも知ってる。少し前にデューメルクから聞いた。狙われてるのに、それでもデルンを殺しに行ったんだな。見上げたもんだ。いや、そんなだからこそ執拗に狙われるのか」


 ベブルは苦い笑みを浮かべ、溜息をつく。


「そんなところだ」


「しかし、危うく荒野でのたれ死ぬところだったんだろ。あっちのデューメルクなんか、本当に危ないところだった。目を覚ましたときは奇跡じゃないかと思った。幸い、どこも後遺症が残ってないようでよかったが」


 魔術師の男がそう話すのを聞いて、ベブルはやはり、込み上げる不安を感じた。いつも通りの無表情で平気そうに振舞ってはいるものの、フィナは本当に危険な状態にあったのだ。しかも、一度ならず三度も。治癒魔法を習得したからと言って、根本的に、危険から身を守ることができるわけではない。死んだ人間を治癒できる魔法はないのだから。


 そこへ、フィナがやって来て、魔術師の男に言う。


「行く」


 これでは意味が通じないだろうと思われたので、ベブルが通訳する。


「これから、俺たちには少し行くところがある。世話になったな。デルンの奴は必ずぶち殺す。この借りはそれで返させて貰う」


 男は苦笑する。


「頼もしいことだな。……魔王様のところへ行くなら、荒野を北上して、渓谷を抜けて、川を渡った先の草原を越えるといい。俺は、護衛を付けるように皆に声を掛けて来よう」


 ベブルは申し出を断る。


「いや、必要ない。俺たちふたりだけでないと無理なんだ。それに、行き先はザンのところじゃねえしな」


「感謝する」


 フィナがそう付け答えた。それを見てベブルは、言葉数が少ないのは相変わらずだが、いまだかつて彼女が人に感謝するような日があっただろうかと思った。


 こいつ、少し変わったのかもしれねえな。


 ベブルはフィナの手を取る。


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