第十五章⑦ 狂乱の遊戯は赫く

 ベブルたち三人の前に、光が降って来る。次の敵が転送されてきたのだ。


『おっと、これは――?』


 現れたのは、ファードラル・デルンだった。


 そんな馬鹿な! ベブルは、瞬時に構えを取り直す。


 一方、フィナは、ファードラルが現れた瞬間に魔導銃を引き絞り連射した。しかし、その全てがファードラルの魔力障壁によって防がれてしまう。無駄だと悟った彼女は、すぐに魔導銃を撃つのをやめた。


『なんと、我らがアーケモス大帝、デルン陛下の御登場でございます!』


 会場が、割れそうなほどに響き渡った。


 ベブルは思った。まさか、こいつら……。


 ファードラルはそのまま二、三歩、ゆっくりとベブルたちのほうへ歩く。二十歳代の姿をしているが、これは不老の薬の効果だ。彼の実年齢はすでに、二百歳を超えている。


 ファードラルは自信に溢れた笑みを零しながら、口を開く。


「久方振りであるな、リーリクメルド。そして、デューメルク」


 すると、示し合わせていたように進行役が叫ぶ。


『何ということでしょう、ゼアノとルーは、あの指名手配されていた反逆者、ベブル・リーリクメルドと、フィナ・デューメルクだったのです!』


 進行役の叫びと同時に観客席からどっと声が上がり、そしてそれは、会場全体の「殺せ」コールへと変わる。


 こいつら、最初から気付いてやがったんだな……。


 そんな中、ベブルたち三人のうち、ゼスだけが、大ノコギリを鞘に収め武器をなにも構えずに、ファードラルの方へと歩いて行く。


「大帝陛下、お見事な演出でありました」


「な……」


 ベブルはなにかを言おうとしたが、後が出てこなかった。


「お前も、よくここまで奴らを出し抜いてくれた。幾度いくたび、追い詰めようとも必ず逃げ延びおって、実に不愉快な相手であった。此度こたびのお前の演技、実に愉快であったぞ」


「恐悦至極に存じます」


 ゼスは深々と頭を下げた。


「お前はもう退がってよいぞ。望みの褒美は後に呉れてやる」


「拝承いたします」


 ゼスはそう言うと、ベブルたちの方を振り返ることもせずに、デルンの背後の魔法陣の上に立つと光に包まれて消えた。ゼスが転送された先は、観客席の最前列——進行役の隣だった。彼が使うと、光の魔法陣は消滅した。


 観客席から、ゼスは拡声器を使ってベブルたちに言う。


『驚かないって言ったのに、結局驚いたなあ、ベブルさんよ。まあ、嬢ちゃんのほうは可愛い顔をあんまり変えてないけどよ。残念、その顔もいまから、血に染まるわけだ』


「ゼス、貴様!」


 ベブルが観客席目掛けて、色をなして怒鳴る。その様子を見て、観客たちは面白そうに嘲笑う。ゼス本人もその一員だった。


『随分間抜けな反逆者だなあ、おい。あの世から俺を恨むのはよしてくれよな。恨むなら、自分の間抜けさを恨むこったな』


「ふざけるな、出てこい!」


 ベブルは吠え立てるが、ゼスは観客たちと共に笑っているだけで、一向に戻って来る気配はない。


 不意に、ファードラルが手を掲げる。


「“来たれディゴ、アドゥラリード”!」


 すると一瞬の後に、ファードラルの隣に“黒風の悪魔アドゥラリード”が現れる。こうなってはいつまでも観客席の方を相手にしているわけにはいかない。ベブルはそちらに向かって拳を構えた。フィナは魔法で魔導銃を消し、代わりにルビーの杖を召喚する。


「指輪を……、持っておるな」


 ファードラルはベブルたちの方を見てそう言うと、“アドゥラリード”の背に乗った。そうすると、その怪物の周りに、最強と謳われる魔力障壁が出現する。


「ならば此度こそ、息の根を止められるということだ!」


 “黒風の悪魔”はファードラルを乗せて、中空へ舞い上がる。


 そして、進行役が拡声器を通して叫ぶ。


『いよいよ、処刑開始だ!』



 ベブルは駆けた。一刻も早く、倒してしまわなければならない。


 “アドゥラリード・キャノン”が、ベブルを狙って空から降り注ぐ。彼はそれをすんでのところで躱すと、そこで第二射が既に来ていることに気つき、それも避ける。


 ベブルは走りながら、後ろに向かって叫ぶ。


「デューメルク! 油断するなよ!」


 返事の代わりに、ベブルはフィナから魔法を掛けられる。“反射の魔法”だ。その直後、“アドゥラリード”が眩い光を放つ。毒と石化の魔法だったが、“反射の魔法”がそれを撥ね返す。撥ね返された魔法は、“アドゥラリード”の魔力障壁によって更に撥ね返される。そうして行き場を失った魔法は、観客席に飛び散った。何人かの観客が毒で悶え苦しみ、石化し、観客席は混乱に見舞われた。だが、それでも、多くの人間たちはこの『処刑』の見物をやめようとはしなかった。


 “アドゥラリード”の強化は済んでいる。フィナはそう実感した。最強の防御力を誇ったあの魔力障壁には、更に魔法反射能力までもが付加されている。


「おらあっ!」


 ベブルは“アドゥラリード”の魔力障壁を殴り、打ち上げた。直接的なダメージを受けていない“黒風の悪魔”はそれをものともせず、すぐさま反撃に転じる。この怪物はベブルに向かって、炎の魔法エグルファイナを発動させた。


 だが、ベブルを守っている“反射の魔法”がその魔法を怪物目掛けて撥ね返し、さらに怪物のバリアがその魔法を反射し、炎の魔法は観客たちのほうへ降り注いだ。炎を受けた男たちは、哀れにも、火達磨になってのたうち回っている。


 さらに“アドゥラリード”は、ベブルに向かって魔法の光弾をばらまく。そのすべてが、やはり“反射の魔法”に弾かれ観客席に飛び散る。観客席はいよいよ、混乱と狂乱の淵に沈んでいった。


 魔法は効かないとわかり、“黒風の悪魔”の上で、ファードラル・デルンは舌打ちをする。もとより、ベブルには魔法は大して効かなかったのだ。なにも変わってはいない。だが、“反射の魔法”を用いる、フィナは厄介だと思った。


 ファードラルは“アドゥラリード”に命令して上空に退避させると、そこから急降下してフィナを狙った。


 しかしそれは、尋常ではないほどの高さにまで飛び上がったベブルの蹴りによって撥ね返される。


「甘いんだよ!」


 ベブルは着地し、再び構えなおす。“アドゥラリード”は、ふたりから少し離れた武舞台の上に降りる。これでベブルは、現在後方支援に徹しているフィナから敵を引き離すことに成功した。


 ファードラル・デルンは、“アドゥラリード”の上で言う。


「ふむ。強化した“アドゥラリード”を相手に、よくここまで戦えるものだな」


「馬鹿が。そんな奴、いくら強化しようと俺の敵じゃねえんだよ」


 ベブルは、ファードラルに向かってそう言ってのけた。


 だが、フィナの見解はそれとは異なっていた。


「強化が、魔法系だけだから」


 それを聞いて、ファードラルは笑う。


「しかり。此処まで見せた強化要素は、みな魔法要素ばかりなのだ。されば是より、“黒風の悪魔”の肉体要素も目に掛けよう」


 “アドゥラリード”が雄叫びを上げる。会場の喧騒など、この一声で掻き消されてしまうほどの音量、そして、威圧だった。轟く低音に、張り裂けそうなほどの高音を含んだ、独特の吼え声。


 ベブルもフィナも、身構える。


 次の瞬間、爆音がして、ベブルの身体が弾き飛ばされた。気が付いたときには、彼がいままでいたところには“アドゥラリード”がいた。この怪物が、その巨体を包む魔力障壁を使って彼を撥ね飛ばしたのだ。ベブルはというと、壁を破って観客席に投げ込まれ、そこで観客たちに揉みくちゃにされていた。


「如何だろう、この速さは」


 怪物に乗っているファードラル・デルンがそう、ベブルに向かって言った。


「デューメルク!」


 ベブルは立ち上がろうとするが、観客たちが纏わりついて、起き上がることさえなかなかできない。


「そしてどうだ」


 ファードラルがそう言ったときに、“アドゥラリード”の姿は見えなくなった。


 デューメルクを狙ってやがる!


 ベブルは自分に殴りかかってくる男たちを殴り、蹴り、立ち上がり、フィナの助けに入ろうとした。男たちは次々に、血飛沫をあげて倒れていった。


 だが、それでも間に合わなかった。


 破裂音がすると、武舞台上からフィナの姿が消えた。一瞬ののち、彼女は、ここへ来たときに通ってきた扉に、もたれ掛かるようにして力なく座り込んでいた。彼女の魔力障壁によって壁は崩れ、鉄の扉は激しく変形していた。だが、いまやその魔力障壁も消え去り、ルビーの杖は完全に折れてしまっていた。この分だと、どこかの骨を折っているだろう。そして、彼女は死んだように動かない。


 ファードラルは笑う。


「この威力!」


「貴様ァァァ―――ッ!」


 我を忘れて、ベブルは“アドゥラリード”に殴りかかった。拳が奇妙な音を立て、空を切る。その一撃を受け、怪物の最強の魔力障壁が砕け散り、消滅する。


 この瞬間、ベブルとファードラルの目が合った。ファードラルは目を見開き、驚いているように見える。だが、その口は引き上げられ、異様なまでの笑みを零していた。


「死ねェェェ―――ッ!」


「愚か者め」


 ベブルの次の拳は、バリアを失った“アドゥラリード”の身体を狙っていた。破壊の『力』を纏った拳で、その怪物を完全に消滅させようとしたのだ。だが、その拳は、怪物の驚異的な速さによって躱されてしまう。そして怪物“黒風の悪魔”は、ベブルの背後をとると、その巨体で彼を撥ね飛ばした。彼はまた、別の壁を破り、観客席に放り込まれる。


 ファードラル・デルンは自信と愉悦と不満の混じった奇妙な笑みを見せる。


「遊びは此処ここまでにしよう。リーリクメルド、貴様と長時間戦いつづけると、如何いかに強化した“アドゥラリード”であろうとも、魔王との戦いの前に消耗するであろうからな」


 ベブルは這々の体で観客席から出て来ると、彼を追ってくる観客を殴り倒しながら、ファードラルの方へとよろめきながら歩いた。


 空が異常なほどに明るく輝いている。


 ベブルはそれに気づき、空を仰いだ。あまりにも眩しく、それがなにかを確認することはできない。


 “アドゥラリード”とファードラルは白く輝いていた。


「余り長くは遊戯に付き合って遣れぬが、諦観ていかんせよ。俺とて、この手で葬って遣りたかったのだからな」


 観客がいつのまにか少なくなっている。そのことに、ベブルはようやく気がついた。ここに残って狂ったように観戦を続け、観客席に投げ込まれた彼に攻撃を仕掛けてきていた者たちは、彼と同じく、これに気づいていなかったのだ。


 観客たちは悲鳴を上げながら駆け回り、出口に殺到していた。


 ベブルは拳を構え、敵を見据えた。


 まるで竜巻の中にいるかのように風が吹き荒れ、砂を巻き上げる。光が迫ってくる。闘技場は、真っ白い世界に変わっていた。


「これが永遠の別れだ!」


 ファードラルの声が響き渡った。それと同時に、ベブルは自分の身体に圧力と痛みを感じ、足の裏が地面から離れたのが解った。“アドゥラリード”にまた撥ね飛ばされたのだ。


 起き上がろうとしながら、ベブルは見た。ファードラルと“アドゥラリード”が光になり、消えていく。転送装置を使ったか、転位魔法を使ったのかどちらかだ。


 そして、空から、膨大な活力エネルギーを含んだ光が降り注ぐ。


 闘技場が、石壁が、人が、巻き上げられて消えていく。



 逃げなければ。そう、ベブルは思った。指輪だ、指輪を使えば、過去の時代に飛べば――。


 だがそれには、フィナと手を繋ぎ、『時空の指輪』の宝石同士を重ねない限り、時間移動はできない。そして、ベブルのいるところから彼女までは遠すぎる。



 巨大な光の柱が、ノール・ノルザニの街全体を、住民もろとも呑み込んだ。


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