第十五章⑧ 狂乱の遊戯は赫く

 ベブルは目を覚ました。彼の頬には泥が付いていた。いままで彼は、地面に口付けしていたようだ。服もあちこち破れ、血と泥がこべり付いていた。


 俺は、生きてるのか?


 ベブルは体を起こした。ここは林の中だった。辺りは暗い闇に包まれている。もうすでに、夜が訪れていた。


 少し離れたところに誰かが倒れている。白ローブを羽織っていなかったので一瞬誰だか解らなかったが、それはフィナだった。彼女の手には使い物にならなくなったルビーの杖の代わりに、魔導銃が握られていた。


 ノール・ノルザニの街に向かう前に、フィナはこの林で、自動的に発動する魔法を準備しておいたのだ。言うなれば、自動起動型『逆』召喚魔法。彼女が危機に陥るという事象を条件に魔法が起動し、彼女らふたりが、街の外のこの地点に召喚されるようにしておいたのだ。彼女が折れたルビーロッドでなく魔導銃を手にしていたのは、この魔法が自動的に起動するようにしておくためだった。



 ベブルは動かない身体を引き摺り、フィナの許に駆け寄った。彼女の怪我の具合は酷かった。頭から血を流している。身を守るために使った杖が真っ二つにされたのだ。肋骨でも折っているかもしれない。彼の方がもっと血を流していたが、彼女は、やたらに頑丈な彼とは訳が違う。彼女は魔力が強いだけの、普通の学生なのだ。


「おい、デューメルク、起きろ」


 声を掛けても目を覚まさない。ベブルは屈み、フィナの肩を揺さぶった。だが、一向に何の反応もない。


 フィナの手から魔導銃がごとりと落ちる。


「起きろ。起きろよ」


 ベブルは何度も揺さぶったが、フィナは一向に反応を示さなかった。


 ベブルは急いで、自分の腰に下げている小さな鞄の中を探した。だが、使えそうなものはなにも見つからなかった。怪我の治療用の魔法薬は全部フィナが持っているのだ。そして、その魔法薬は全て召喚待機空間に仕舞ってあるため、彼女でなければ取り出せない。


 それに、フィナがいなければ石碑の文字を読むこともできない。また、フィナが目を覚まさなければ時間移動ができない。そうなると、過去で待っているザンに頼んで、このデルンの支配地域から外へ転送して貰うことさえもできない。


 なにもかもが失敗だ。


「おい、おい、薬がいるんだよ。少しでいいから起きろよ」


 ベブルがどれだけ声を掛け、揺さぶろうとも、フィナは死んだように動かなかった。


 畜生!


 心の中で悪態を吐き、ベブルは立ち上がった。そして、歩き出す。林を出るのだ。


 街に行けば、治療用の魔法薬があるはずだ。血塗れのこの状態で行けば間違いなく疑われるだろうが、そんな事を気にしている場合ではない。このままでは、フィナは間違いなく死ぬ。


 林の向こうがやけに明るい。ノール・ノルザニの街のほうだ。


 訝しみながら、ベブルは林を出た。


 しかし、そこから見えたのは、街ではなかった。


 街など、なかった。


 ノール・ノルザニは、あの光に呑み込まれ、消え去っていたのだ。そこにあったのは、赫々あかあかと輝く、巨大な炎だけだった。


 ベブルは目を見開き、口を半ば開けたまま、その光景を呆然と眺めていた。


 炎は街を焼き尽くし、人々を焼き殺してもなお踊り狂っていた。


 ベブルはそこに立ち尽くし、見ていることしかできなかった。彼の顔は、街の人間たちの命を奪い尽くした炎の、ただ無闇に明るいだけの、紅い光に照らされていた。



 その光は、人々の絶望を喜んでいるかのように見えた。

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