第十五章⑥ 狂乱の遊戯は赫く

 太陽は空を下っているところだった。もう少しで、空は赤い色に染められるだろう。ノール・ノルザニの闘技場でこれから行われるのは、この日の最終組の試合だった。


 ここをベブルが所有していたときと同じく、闘技大会は街の人間に絶大な人気を誇っていた。気温は冷え込み始めたころだというのに、満員の観客たちから発せられる熱気のせいで、少し動いただけで汗をかくほどに暑くなっていた。



『本日、最後の試合でございます!』


 司会進行役の男が武舞台の中央に出て、拡声器を手に声を張り上げる。すると、観客席にひしめく男たちが、一斉に呼応して叫ぶ。その声で、闘技大会会場全体がびりびりと振動していた。


『挑戦者は、ラトルの山の守り神、木こり戦士、ゼス! 大都会デルンから来た腕利きの女魔導銃士、ルー! そして、斬った人間の数は千を超えるという戦鬼、放浪の魔剣士、ゼアノ!』


 武舞台に登場したのは、ゼス、フィナ、ベブルの三人だった。フィナは白いローブの代わりに黒い上着を羽織り、髪の三つ編みを解き、魔導銃を手にしている。一方、ベブルは黒い砂避け帽子オウァバを被り、黒い外套を羽織って、右手に魔剣を下げていた。


 このふたりの服は、先程いた店(あの店は服屋だった)で調達したものだ。また、武器は、来る途中に別の店で購入してきた。だが、ゼスだけは、変装する必要もなくいつも通りだ。ルーとゼアノという偽名は、フィナがかつて読んだことのある物語に登場する人物の名前だ。


『さあ、果たしてこの三人こそは、降参せずに生き残ることができるのか!』


 その言葉を最後に、進行役の男は武舞台から走り去り、ベブルたちが入って来た選手入場口から出て行くと、その扉を閉ざし、錠を嵌め込んでしまった。


「こんなにもうまく、バレねえもんだとはな」


 ベブルはそう言って嗤い、今日生まれて始めて使うことになる魔剣を構えた。彼の場合、魔剣どころか、武器を持って戦ったことすらない。


 三人は、入って来た側とは反対側の鉄の扉を見ていた。この奥から、対戦相手の魔獣が出てくる予定なのだ。


 フィナは髪を片手の手櫛で押さえつけながら、逆の手で魔導銃を握り、魔獣が出てくる扉に向かって狙いを付けていた。『黒髪の三つ編み』では、もし、そのような情報を聞いたことがある者にとって、あまりにも印象が強すぎるため、髪を解いてきたのだ。だが、解いたら解いたで、長い髪が邪魔に感じられてしようがない。


 ゼスも巨大ノコギリを構えて、敵の出現を待っていた。


「さて、おふたりさん、気を抜くなよ!」


「楽に勝てるに決まってんだろ」


 ベブルは剣を構えながらその場で跳ねていた。武器を持とうとも、戦闘スタイルは、持っていないときと大した違いはないようだった。


 武舞台には、今日すでにあった別の試合のときのものか、大量の血が塗りたくられていた。



 初戦に登場したのは十匹のソードレットだった。


 進行役は観客席の一番前に座り、そこで試合の実況を始める。


『まずは準備運動、お決まりのソードレット軍団だ! さあ、一体この数を、どれだけ短い時間で突破するのか!』


 進行役がそうして盛り上げたものの、ベブルが四匹、残りのふたりが三匹ずつ倒したときには、三秒と経っていなかった。


『なんという、なんということでしょう! 準備運動にすらならないこの状況! 肩慣らしとはいえ、これほど呆気なかったことがありましょうか! これは、二戦目の相手を考える必要があります!』


 観客席が沸き立った。ベブルは嘲笑う。


「へっ。こんな雑魚けしかけるなんざ、馬鹿にしてるとしか思えねえな」


 ベブルは自分が闘技場を経営していたときに、自身が、第一戦には必ずソードレットを出していたことを既に忘れてしまっている。


「次も頼むぜ!」


 大ノコギリを構え直しながら、そう言ってゼスはベブルに笑い掛ける。ベブルは自信を込めて、笑い返した。



『強い戦士たちにはより強い魔獣を! 第二戦の相手は、第二戦としては最悪の相手、改造元帥竜だ!』


 次に登場したのは、眼が六つある巨大な竜種だった。魔界原産の最強の竜種、元帥竜を魔術師が改造したものだ。どんな能力が付加されているか知れたものではない。この竜種はあまりにも大きいためか、扉の向こうから出てきたのではなく、直接武舞台に転送されてきた。


 すると、会場全体を揺るがす歓声が上がる。このような熱気の中にいるのは、ベブルにとっては快感だった。だが、フィナにとっては不快だった。


 改造元帥竜はベブルたちを見下ろすと、口を大きく開け、威嚇の雄叫びをあげた。


「上等だ!」


 ベブルは竜の挑発に応じ、魔剣を手に突き掛かって行った。


 それに対して、魔導銃を構えるフィナは冷静だった。彼女は考えていた。なにか変だと。今回送り出されてきた魔獣はあまりにも強すぎる。本当に、自分たち以外に、これと戦って勝てる者が他にどれだけいるのかと。


 ベブルの一撃目は改造元帥竜の腹に食い込み、確かな痛手となった。一気に止めを刺してしまおうとして、彼は高く跳び上がり、竜の頭目掛けて魔剣を振り下ろした。


 だが、魔剣は改造元帥竜の巨大な口に受け止められ、そこでへし折られる。これでベブルの魔剣は使い物にならなくなってしまった。更に、竜は腕を振り回し、跳び上がっていた彼を上空へと打ち上げる。そして更に、空中の彼に向かって攻撃を仕掛けようとした。


 それを止めたのはフィナだった。彼女は、攻撃に専念し防御が疎かになっている改造元帥竜の腹に目掛けて、魔力を全開にした魔導銃を連射した。竜は痛みに叫びをあげ、身体を痙攣させる。


 この好機に便乗して、ゼスが改造元帥竜の間合いの外からナイフを投げる。これも痛手になったようだが、フィナの攻撃に比べれば軽いものだ。


 そして、止めとばかりに、落下してきたベブルが改造元帥竜の頭を殴り落とす。猛烈な勢いで竜の頭は武舞台の上に落ち、その頭から、口から、腹から、武舞台の縁から流れ落ちるほどの血を垂れ流した。


「雑魚が」


 着地したベブルがそう言った瞬間、息も絶え絶えの改造元帥竜は、その六つの眼から強い光を放った。


 瞬時に、ベブルとゼスが石像に変わってしまう。強力な“石化の魔法”だった。


 だが、ただひとり、フィナだけが石化しなかった。改造元帥竜の魔法が発動した瞬間に、彼女の魔法が自動的に発動し、“石化の魔法”を撥ね返したのだ。それは、自動反射という魔法だ。彼女が独自に開発した魔法で、事前に自分に掛けておけば、“反射の魔法”の効果が持続するというものだった。自動反射は常に起動しているわけではない分、“反射の魔法”よりは魔力を節約できる。


 こうして、“石化の魔法”の反射を受けた改造元帥竜は、自らが岩の塊になる羽目になってしまった。石になった竜など、怖れることはない。フィナは、石化した竜の方へ落ち着いて近づくと、その頭の中心を魔導銃で撃ち抜いた。こうなると、竜が復活することはない。


「非情の女魔導銃士、ルー! 第二戦突破だ!」


 進行役がそう叫ぶと、また観客たちが沸き立った。


 いつのまにか自分は大変興味深い扱いを受けているとフィナは気付いたが、そんな実況にいちいち反応することはなかった。淡々と石化解除の魔法薬を仲間のふたりに使用し、彼らを元に戻した。


 石化が解けてから、自分が石になっていたことに気がついたベブルは、冷静に先を眺め続けているフィナを見た。こうして見ると、彼女がずっと戦いの中に身を置いている魔導銃使いであったかのように見えてくる。


「嬢ちゃん、ありがとな。一時はどうなることかと思ったぜ」


 ゼスが、陽気な声でフィナに言う。


 その声で、ベブルは我に返った。少しの間、見入っていたようだ。いや、そんなわけはない。そう、彼は自分に言い聞かせる。


 フィナは、ゼスの方を向かずに、ただ無言でうなずいていた。



『さて、最終戦!』


 観客席の方から、進行役の男が拡声器を使って吼える。観客たちの熱が更に高まる。


 思わぬ失態を見せたベブルにとって、この歓声の先にいるのが自分ではないことは解っていた。フィナだ。ベブルはフィナに出番を取られている。


 一方、フィナがこの歓声を喜んでいるわけはない。いよいよ耳障りになってきたとしか思っていない。いつも陰のある表情が険しくなり、更に陰を帯びる。


 空は既に赤く染まっている。闘技場全体が赤の一色に包まれ、武舞台上の血は判別ができなくなっていた。太陽は地平線の彼方に沈もうとしている。夜がやって来るのだ。


「こうなりゃ、もうなにが出ようと驚かねえな。なあ?」


 大ノコギリを構えるゼスが、そう言ってベブルに笑い掛けた。ベブル「ああ」と上の空で答える。


 戦いの中で俺よりデューメルクが目立つなんて許せるわけがねえ。次は俺が止めを刺してやる。


 ベブルは構えを深くとり、次の敵に襲い掛かる準備を整えた。もはや、彼は自分が『魔剣士』という肩書きで出場したことを忘れてしまっている。完全に、普段のように、拳で戦うつもりだ。


『次は何が出るのか!』


 進行役の声に観客が呼応する。いやに連帯感のある盛り上がり方だと、ベブルは思う。彼がいたときでさえ、こんなに狂ったように、血の好きな観客はいなかった気がした。


 だが、その理由はすぐに解ることになる。

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