第十五章

第十五章① 狂乱の遊戯は赫く

 ファードラル・デルンは滅びた。


 こうして、魔王ザンには、アーケモスでの対立勢力が存在しなくなったのだ。


 ザンの城・黒魔城では、魔王ザン保持神ソディ、破壊神の少女フリア、そして一番幼い、創造神のレミナの四人で、ベブルとユーウィを囲み、宴会が催された。


 いまのザンの最大の関心事は、未来の自分がどうなっているかということだ。


 これまでは、ファードラル・デルンとの戦いで魔王側が滅びるはずだったので、ベブルの時代である百二十年後の世界にザンは存在しなかった。


 だが、いまやファードラル・デルンはいない。ザンと黒魔城の住人たちは、百二十年後にも、そして更にその先の未来にも存在しているはずだ。ザンはそれを、時間移動が可能なベブルに確かめてきて欲しいのだった。


 しかしいまは、フィナが病気療養のために薬で眠っている。ベブルは、彼女がいなければ時間移動ができない。ザンには、彼女が眠りから覚めるのを待つ必要があった。


 フィナは別室で眠っているので、宴会の席には出てきていない。


++++++++++


「それにしても、よくやってくれた」


 ザンはそう言った。この言葉は、この日何度も、飽きずに繰り返し言われていた。


 ベブルはその言葉に特に反応するでもなく、自分の目の前に出された食べ物を次から次へと片付けていくのに忙しくしていた。いま彼が噛り付いたのは、なにか動物の肉を揚げたものだった。彼の好物は肉料理だ。


 ベブルは一晩眠っていなかったが、黒魔城に来てから一度仮眠を取ったので、いまはもう完全に元気だった。


 ベブルの隣に座っているユーウィが言う。


「そういえばザンさん。この近くには、街はないのですか? もう少し経てば、わたしはここを出て、どこかに住もうと思うのですが」


「村なら近くにある。ボロネ村という、のどかなところだ。あの村の人たちはみんな良い人たちだ。あの村なら俺も安心して薦められる」


「そうですか。ではそこがよさそうですね」


 ユーウィは微笑んだ。


「ずっとここにいればいいのに。なあ、ザン。別に構わないだろ?」


 甘えるような声でそう言ったのは、フリアだった。


 だが、ユーウィはフリアの申し出を断る。


「ありがたいのですが、いつまでもお世話になるつもりはありません。それが、わたしのためなのです。わがままで、ごめんなさいね」


「別に……。わがままじゃないけどさ」


 会話の波は一時、そこで途切れる。食事の手を止めていたユーウィだったが、ここで食事を再開しようとした。



 そこで、ユーウィに声が掛かる。


「おねえちゃん」


 おずおずと、そう言い出したのはレミナだった。濃い青色のウェーブの掛かった髪を肩まで下ろした、五歳程度に見える少女だ。彼女はユーウィの傍に立っていた。彼女は続けてこう言う。


「おねえちゃんも、レイエルスの人なの?」


 ユーウィはまた手を止め、レミナに微笑み、応対する。


「いいえ。わたしは違います」


 すると急に、レミナの表情が変わった。笑っているでもなく、怒っているでもない。なにを考えているのか、その顔から読み取ることはできない。


 幼いレミナは、大仰に首をかしげる。


「なんで?」


 テーブルの向かいの席から、ソディが言葉を投げかける。


「レミナ。彼女はアーケモス出身の人間なのだ。レイエルスの神ではない」


 そう言われて、レミナはまた押し黙った。なにかを考えながら、じっとユーウィを見ている。ベブルはその様子を横目で見て、まるでフィナがするような仕草だと思った。


「どうして、レイエルスの人じゃないの?」


 レミナはそう、ユーウィに訊いた。しかし、その理由をユーウィが答えられるはずもない。またソディがたしなめる。


「レミナ、ユーウィを困らせてはいけない。彼女は生まれながらに人間。それに理由などないのだから」


 ザンがソディの隣から言う。


「いや、だが待ってくれ、ソディ。ベブルもユーウィも、レイエルスの最上位神だけが持っているという、物を消し去る例の『力』を持っているんだ。それに、ベブルの家にはベブルの母のものだった神界文字の石碑があるというんだ。ふたりがレイエルスの神の子孫だとは考えられないか?」


 ザンは仮説を説明したが、ソディはすぐにその意見を却下してしまう。


「いや、それはない。レイエルスの神であった私が見て、ベブルも、ユーウィも、ともにレイエルスの出身には感じられないのだ」


「だが……」


「ザン。これは確かなことだ」


 神界レイエルス出身の者にそこまできっぱり言われては、魔界ヨルドミス出身のザンには、これ以上なにも言えなかった。


「……わかったよ」


「しかし……。ベブルのご母堂がレイエルスの石碑を持っているというのは、どういうことなのだ?」


 ソディのその質問に、ベブル本人が答える。


「さあな。俺よりも、お前たちが知ってるんじゃねえのか?」


「その石碑というのは、そもそもどういうものだ」


 そう問われて、ベブルは片手でその大きさを示す。彼の身長よりも高い。


「これらいの石の塊が俺んちにあるんだ。ノール・ノルザニにな。その石碑に、レイエルスの宮殿で見た文字が書いてあった」


「宮殿……、レイエルス宮殿だな。そこへ行ったことはザンから聞いている。恵まれた幸運だ。しかし、その石碑、本当にレイエルス宮殿の文字が書かれていたのか?」


「ああ。本当にそれかどうかは、一遍うちに帰って確かめようと思う。何であんな石碑を俺のお袋が持ってたのか、考えるいい機会だ。いや、俺よりはお前が見たほうがいいかもな。お前、一応レイエルスの神なんだろ」


「……私は、レイエルス宮殿に入ったことはあるのだが、自由に歩きまわれたほどの身分ではないのだ。事実、該当する文字も、見たことはない」


 ザンがここで口を挟む。


「レイエルス宮殿の最奥。儀式をやるような場所にあった文字だ」


「いいなあ。私はレイエルスの神なのに、レイエルス宮殿に行ったことはない。アーケモスの人間がその一番奥にまで行ったなんて」


 今度はフリアがそう言った。彼女は食事の手を完全に止め、ベブルたちの話に聞き入っていた。


「ってことは、ソディでも確認できねえってことか」


 食べ物を口の中で噛み砕きながら、ベブルは言う。ソディは静かに、今度は深く頷く。


「その通りだ。だが、一応見てみることはしよう。その石碑、どこにあると?」


「ノール・ノルザニ」


「わかった」


 ソディは低い声で承諾した。


 レミナはじっと、ベブルたちのやり取りを見ていた。その間、彼女は一言も言葉を発さなかったが、彼らの話が終わると、彼女は一言だけ呟いた。


「へんなの」


++++++++++


 その日は結局、フィナは目を覚まさなかった。そのため、ベブルはどこへも行けなかった。仕方なく、彼は黒魔城の一室を借り、そこで眠りについた。



 次の朝には、フィナは自分のベッドから起き出してきた。ソディが言うには、薬を飲んで眠ったので、もう病気は治っているはずだということだ。


 それにしてもと、ベブルはつくづく思う。フィナは槍を腹に受けて昏睡状態になったり、矢を受けて病気になったりと災難が続いている。彼女は魔術師だが、学生であって戦士ではない。学業が本分だというのに、戦いに巻き込まれてしまっている。


 朝食を取り終え、ベブルがフィナの部屋に行くと、フィナは彼に言った。


「もう大丈夫」


「ああ……、そうか」


 本人が言うのだから間違いないだろう。ベブルはそう思った。



「おうい、もう大丈夫か。ああ、元気そうで何よりだ、フィナ」


 明るく、そう言いながら部屋に入ってきたのは、やはりザンだった。


 フィナはなにも言わずにうなずく。


 ザンは嬉しそうに笑っている。


 ややあって、ベブルはその表情の意味に気がついた。


「そうだ、デューメルク。こいつは俺たちに、未来を見てきて欲しがってるんだ。俺らは昨日、この時代のデルンの野郎をぶち殺したからな」


「いや別に、いますぐにとは言わないが……」


 ザンは両手を小さく前に突き出し、そう言って遠慮した。だが、彼がそれを頼むためにここに来たことは明らかだ。


 フィナは言う。


「そうする」


 ベブルはザンに向かって言う。


「ちょっと確認してくるだけだ。そんなに時間掛かんねえだろうよ。さて、百二十年後と百八十年後のお前を見て来てやる。どんだけ歳食ってるのか見ものだな」


 ザンの表情が輝く。


「頼む。だが、俺はそんなに変わってないはずだぞ。たかが百八十年じゃあな。俺やソディは、もう成長が止まってるんだ。フリアとレミナは少し大きくなってるだろうけどな」


 ふうん、とベブルは感心する。


「便利なもんだな。ヨルドミスとかレイエルスの奴ってのは」


「ああ、こればかりは、アーケモスの人間よりは便利だと思う」


「リーリクメルド」


 フィナからベブルに声が掛かる。ベブルが振り返ると、彼女は既に、指輪の嵌っているほうの手を差し出していた。ふたりの立ち話を待っていられなかったのだろう。


「ああ、悪い」


 ベブルはすぐに、その手を取った。


++++++++++

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