第十五章② 狂乱の遊戯は赫く

「……それで、過去の俺たちにはもう、伝えて来てくれたんだな?」


 ザンが言った。


「ああ」


 ベブルは機嫌の悪そうな目つきで明後日の方向を睨み付けていた。フィナは彼の隣に立っていたが、彼女がどのような表情をしているか、彼は見ていなかった。


「じゃあ、こっちの広間に来てくれ」


 ザンは、廊下の向こうへと歩いていった。言葉も、歩みも、少し速い。落ち着かず、焦っているようだ。



 恐るべき事態が起こっていた。


 ファードラル・デルンは生きていた。神界レイエルスでの戦いの後に、彼は密かに逃げ延びていたのだ。そして、このアーケモスに舞い戻り、以前と同じように、アーケモスの支配者となろうとしている。


 しかし、ザンがジル・デュール近辺の時空塔のシステムと、神界レイエルス行きの『ブート・プログラム』を破壊したために、ファードラルはその時空塔を使ってアーケモスに戻って来ることはできなかった。さらに言えば、神界レイエルスにある他の時空塔の利用者権限のない彼は、いかなる方法でも戻ることはできなかったはずだ。


 それならばなぜ、ファードラル・デルンはアーケモスに帰って来たのか。


 その答えは、ベブルたちには思いもよらないことだった。


 ファードラル・デルンは神界レイエルスにいながらにして、レイエルスとアーケモスとを直結する魔導転位装置を開発してしまったのだ。


 もともとファードラル・デルンは独力で、アーケモス上での魔導転送装置の開発に成功していた。そんな彼が、高度な文明の遺骸にあふれたレイエルスに閉じ込められていたのだ。そう聞けば、こんな結果に至るのは、むしろベブルたちには当然だとさえ思えてくる。


 そうして、レイエルス文明を吸収した彼は、アーケモスに戻ってきた。それからというもの、デルン宮殿と神界レイエルスは常に繋がった状態になり、レイエルスそのものが、彼に新たな力を与える書物となった。


 それからというもの、ファードラルは着実に力をつけ続けた。そして、“黒風の悪魔アドゥラリード”の強化を完了した。このため、アーケモスでの彼の支配力は更に強くなっていったのだ。


 ベブルとフィナは、自分たちの時代に生き残ったザンにこのような話を聞き、当然驚愕した。だが、もっと驚いたのは、未来の世界に行ったときのことだった。


 ムーガのいる時代——未来では、ザンは滅び、黒魔城は廃墟と化していた。ベブルの時代では、辛うじて魔王勢力はデルンの勢力と拮抗しているというのに。


 ベブルたちはすぐに自分たちの時代に戻り、ザンに未来のことを伝えた。するとザンは、このことを過去の自分にも伝えて欲しいと言ったのだった。ベブルたちは了承し、いま、そうしてきたところだった。



「百二十年振りの再会がこんなことになってしまって、本当に残念だが……。まあ、ふたりとも、そこに掛けてくれ」


 ザンがそう言うと、広いテーブルの横に、床からふたつの椅子が出現する。ベブルとフィナは、それらに腰掛けた。ザンもまた、自分の椅子に座る。


 それから程なくして、ソディ、フリア、レミナが現れる。彼らは別の部屋に居たようだ。


 ソディとフリアが席に着き、位置関係はまるで、昨日の宴会のときのようになる。ひとつだけ異なるのは、ユーウィが座っていた席にレミナが座ったことだけだ。


 過去のザンが言ったとおり、ザンとソディは未だに二十代くらいで、見た目は変わっていなかった。だが、フリアとレミナはすっかり変わっていた。人間の年齢に換算して十二歳程に見えたフリアは十七、十八歳程に成長している。そして、五歳位の子供に見えたレミナは、過去世界でのフリアと同じ位の年齢——十二歳程度に見えるほどになっている。


「久し振りだな、フィナ、それからベブル」


 フリアはフィナに笑い掛ける。しかし、ベブルには、その笑みが過去のフリアのものとはどこか違って見えた。フィナは「久し振り」とだけ言って、首を縦に振る。


 ザンは静かに言う。


「君たちの過去を、俺たちはこれまでに一応見てきた。君たちがデルンによって命を奪われることがないように、俺たちはずっと見守っていた。度々、特に最近、俺たちでは捕捉できないこともあって……。いや、何度かはデルンに子供の頃に殺されたのかもしれない。だが、君らは死ななかった。理由は簡単だ。いまの君らが指輪を持っているからだ。デルンはおそらく今頃、指輪を持ったいまの君らを殺そうと、支配地域じゅうに兵隊を派遣しているはずだ」


 ベブルは両肘をテーブルについて、その話を聞いていた。


「つまり、いまの俺たちは、指輪を外したら死んじまうってことだな」


「おそらくな」


「……それで、一体どの辺りなんだ? デルンの支配地域とやらは?」


「……大体説明しよう。奴がつくりあげた帝国の首都デルン、これはデルン宮殿の周りにできた都市だ。これを中心に、ノール・ノルザニ、ラトルのあたりはすべて奴の支配下だ。一方、俺の顔が利くのは、デルンの支配地域でないところだ。ボロネ周辺、学術都市フグティ・ウグフ、パーラス荒野。あと、霊峰ルメルトスの魔術師は概ね俺の味方をしてくれる。ジル・デュールは唯一どちらにも属さない都市だが、デルン側に傾きつつある」


「大体、金のありそうなところは先に取られたんだな」


「まあな」


 フィナが口を開く。


「劣勢か」


 苦々しげに、ザンは頷く。


「ああ。事実、俺たちは負けている。このアーケモス上で、俺たちが動ける範囲も狭まっている。武力の面でも、俺たち全員で掛かってやっとあの“強化型アドゥラリード”に敵うかもしれないといったところだ。デルン自身と、奴の軍隊を同時に相手にすることは、すでに不可能だ」


「過去を変えればいいだろ」


 ベブルはさも簡単なことのように、そう言い放った。


 しかし、ザンは弱々しく、かぶりを振る。


「そうしたいのは山々だが、神界レイエルスへの時空塔は、君の見たとおり、百二十年前に俺がこの手で破壊したんだ。そして、過去のデルンは神界に居る。つまり奴は、俺たちにはもう、手の出せないところに居るんだ」


「他にも」


 フィナが意見を述べた。だが、これでは意味が通じない。なので、通訳のベブルが間に入る。


「アーケモスには、神界レイエルス行きの時空塔が他にもあるんだろうが。それを探して使えばいいんだろ」


「いや、無理なんだ」


 ザンはまた首を横に振った。


 次いで、ソディがその説明を引き受ける。


「いまだに、神界レイエルスへと繋がった他の時空塔の所在は明らかになっていない。だが、仮に見付かったとしても、権限を持たぬ我々では動かせないのだ」


 そういや確かに、昨日ザンがそんなことを言ってたなと、ベブルは思う。もっとも、その『昨日』は、百二十年前のことなのだが。


 ふとここで、いままで静かに座っていただけのレミナが話に参加する。


「それなのですが、わたしはレイエルスの創造神の一族であり、高位の神でもあります。それならば、わたしの識別情報で時空塔が起動するのではないでしょうか。このことは確認不能ということで保留されていますが、このことが否定されたことを意味しません。確実性という観点から見ると甚だ疑問ではありますが、残りの時空塔の使用に関して、不可能と断言するのには性急過ぎるのでは」


 レミナの話し振りは、十二歳の少女のものとしては非常に似つかわしくなかった。だが、発音も明瞭で、内容も整然としていた。フィナの喋り方とは、あまり感情が篭っていないという点では同じだが、相手への伝わりやすさという点では正反対だ。


 指摘されたソディは素直に肯定する。


「確かにそうだ」



 ベブルは両手を頭の上で組み、背もたれにより掛かる。


「で? ここに来た俺たちは、なにをすればいいんだ。あるんだろ? 他に方法が」


 ベブルはすぐにでも代案が提示されるのだと思っていたが、そうはならなかった。ザンも、ソディも、フリアも、レミナも沈黙したのだ。


 おい、まさか、無策って言うんじゃないだろうな。


 ベブルの悪い予感は見事に的中した。ザンは視線を下げ、テーブルの上の一点を見つめたまま、次のように言う。


「特別な方法は……、ない。デルンに勝つ方法は……、そのまま、デルンに勝つしか方法はないんだ」


 ベブルは首を左右に振り、息を大きく吐いた。


「俺は別にいいぜ。真っ向勝負は好きだからな。なあ、デューメルク」


 フィナは深く頷く。


「好きではないが」


 ベブルやフィナはは既に乗り気だった。ベブルはザンに言う。


「それで? いつ攻撃するんだ? メンバーは? 俺とデューメルクと、お前とソディ。この四人だな」


 フリアが訂正する。


「いいや、それに、私もだ」


「わたしも」


 レミナもフリアに続く。


 過去の世界では、フリアは、ザンとソディにしっかりと守られていた。そうなると当然、最も年若いレミナも守られているはずだ。ベブルは彼女らの保護者であるザンのほうを見た。


「おい、こいつら、こんなこと言ってるぞ」


 意外にも、ザンは許可する。


「……構わないさ。もうフリアは、ソディと互角に渡り合える」


 どうやら、フリアの申し出は、彼女が勝手に言っているのではないらしい。


「レミナ、お前は戦わなくていいんだ。前にも言っただろう? 戦いは私たちに任せておくんだ。いいね?」


 そう言ってレミナを諭しているのはフリアだった。彼女は、守られる存在から守る存在に変わっている。一方、そう言われて不満そうにしているレミナの姿は、ベブルには、百二十年前の過去世界での幼いフリアの姿と重なって見える。


 しかし、ザンは自分の言葉に制約を付ける。


「だが、連れて行きたくないのは、いまでも本当なんだ。どれだけ強かろうと、負け戦で死なせたくはないからな」


 フリアは不機嫌そうな表情をして、反論する。


「負け戦? 勝てばいいだろうに。“アドゥラリード”などという怪物を用意せねばならないのだ、奴は。つまり、奴本人は弱いということ。ひとりひとりが強い私たちが、どうして負けようか」


「そう……、なんだが……、な」


 ザンはしぶしぶ、実にしぶしぶ肯定する。



 おいおい、そんなに不利なのかよと、ベブルは心の中に思う。それから彼は、ずっと視線を落としたままのザンに、勝機があることを確認することにした。


「ザン、これでも作戦くらいはあるんだろうな。普通に戦えば勝ち目がないと、お前が思うくらいの相手なんだろ。なにか、奴を出し抜く手くらいは考えてるんだろ」


 しかし、これにもザンは首を横に振る。


「もうすでに方法がないも同然なんだ。俺たちの勝利への要素とすれば……、それはベブル、君の存在だけなんだ」


「俺?」


「ああ。君のその『力』に頼るしかないんだ。なにものをも超える、圧倒的な破壊の力。それが一体どういうものなのか、結局のところ俺たちにはわからない。だが、デルンを、そして“強化型アドゥラリード”を倒せるのは、その『力』しかないんだ」


「俺頼みなのかよ」


 ベブルは眉を顰めた。ザンは力なく言う。


「すまない……」


 そしてまた、沈黙が訪れる。敗北が確定していることを思えば、こう度々暗く沈んでしまうのも仕方がないことだった。


 場を少しでも鼓舞しようと、フリアが大声で言う。


「なにを言ってるんだ、ザン。あんな奴、私たちだけで十分だ。私ひとりで“アドゥラリード”を相手に戦うことだって――」


 そこで、ベブルが、更に大きな声でフリアの言葉を無理矢理に遮る。


「別に構わねえさ。デルンの野郎も、“ハネヘビドリ”も、俺がこの手でぶっ潰してやりたいと思ってたんだ。何なら、俺がひとりで引き受けてやろうか?」


 ザンは苦笑する。


「いや、それはいい。決戦の時には、もちろん俺たちも参加するさ。……それよりも、頼みの綱の君のその『力』だ。俺には、どうしてもその『力』は不安定に見えるんだ。だから、それを確かなものにしておきたい」


 フィナは同意する。


「確かに、不安定だ」


 ベブルは心の中で付け足す。思うように出てこなかったり、意識を乗っ取られたりな。


 ザンは言葉を続ける。


「それで、君たちには、『アールガロイ魔術アカデミー』に行って欲しい。未知なる物の解明は、俺たちなんかより彼らが本職だ」


「確か、学術都市フグティ・ウグフはお前たちの勢力下だったよな」


 ベブルがそう訊くと、ザンは頷く。


「ああ。それに実は、『アカデミー』の学者に頼んで、君の母の石碑の文字を調べて貰っている。石碑自体はノール・ノルザニにあって、俺たちの自由にはできないんだが、何とか石碑の文字の写しを入手できてな。それについての調査を、『アカデミー』に依頼しておいたんだ」


「そういや、俺んちもデルンの勢力下にあるんだな。そうだ、俺んちはどうなってるんだ?」


「残念ながら、君の家は存在しない。石碑もまとめて、デルンの闘技場になっている。君の家になっていたはずの場所は、いまはデルンのものなんだ」


「なんだそりゃ」


「調査が進めば、その『力』とレイエルスとの繋がりが見えるだろう。そうすれば、その『力』の安全な使用法もわかるかもしれない」


 そこで、ソディが意見を言う。


「個人的には、ベブル、貴方がレイエルスの出身である、あるいは、先祖がレイエルスの神であるなどとは、いまでも思っていない。だが、調査の価値のあることだとは思っている。それに、これが我らの希望であることも承知している」


「ああ」


 ベブルは曖昧に肯定した。


 フィナはザンの目を覗き込む。


「だから、フグティ・ウグフ?」


 ザンはまた頷く。


「そうだ。君たちには、転送装置を使って学術都市フグティ・ウグフに飛んで貰おうと思う。もちろん、俺もついて行く」


 フリアはベブルたちに向かって笑い掛ける。


「私たちがデルンのところへ攻め込むのは、その後だ。研究が進んでいることを期待しているんだ」


 ザンは溜息をつく。


「実際のところ、期待のしすぎは駄目なんだろうが……。だが、俺たちには選択肢がないんだ。進んでいないのなら、このままで行くしかない。だが、ベブル本人が研究の場に行くことで、なにか判ることもあるかもしれないしな」


 フィナは、ここでは首を縦に振らなかった。


「安易」


 ザンは苦笑いする。


「だが、これしかなかったんだ」


「しょうがねえな」


 ベブルも、嘆息混じりに苦笑した。


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