第十三章⑫ 声が呼んでる

 ざし、ざしと、ベブルたちは土を踏んで歩いていた。


 もうすでに森の中。目指す時空塔まではあと少しだ。


 ここに来るのも本日二度目かと、ベブルは思う。いや、もう日付は変わってしまったか。そもそも、時代が違ったか。


 森は静寂に包まれている。ベブルたちの足音と、木の葉の擦れる音しか聞こえてこない。


 青く輝く夜空には、白い星々が輝いている。三人は、いまからその世界に行くのだ。


 歩きながら、ザンが言う。


「本当にこんなところに時空塔があるのか?」


 無理もないことだ。ベブルも最初はそう思っていた。


 ベブルは肩を回す。これから起こるだろう、時空塔の先での――神界レイエルスでの戦闘に備えているのだ。


「先に言っておくが、レイエルス側の時空塔にも罠がある。でかい蛇と、毒ガスと、病気になる矢があった。俺はだいたい分かってるから、お前たちは俺の後から付いてきてくれ」


「わかった」


 ザンはすぐに了解した。


 しかしユーウィは、ベブルの言葉になにか違和感を覚えたようだ。彼女は訊く。


「あの、ベブルさん。いま、レイエルス側、と仰いましたね。ということは、こちらの、アーケモス側の時空塔にも罠があるのですか?」


「ああ。そういや、それも知られてない話か」


「それどころか、時空塔なんてものがあることさえ、知りませんでしたよ」


「そうか。それもそうか」


 ベブルは、そう言って、両手を頭の上で組んだが、――その瞬間、彼はアーケモスから消滅した。


 気がつけば、ベブルの身体は星辰の世界を漂っている……。



 ―― 我が子よ


 ―― 我が子、ベブルよ


 ベブルを支配し続ける『声』が、彼の頭を響かせる。


 てめえ、いままで、隠れてこそこそと、どこでなにをしてやがった。


 ―― それは済まぬことをした。


 ―― お前はわらわが恋しいのだな。


 ぶざけんな!


 てめえ、一体何なんだ。


 いつまで経っても口だけで、姿くらい現せ!


 ―― 姿?


 ―― 姿……か。


 ―― 妾の姿なら、お前はすでに見ておる。


 ―― すでに……な。


 なに……?


 ―― もっとも、余の未来の姿であるが。


 ―― しかし、いま、妾にあるのは、声だけなのだ。


 どうして俺に付きまとう!


 ―― それもお前が大切だからそうしているだけのこと。


 ―― 良いか、ベブル。


 ―― お前は特別な存在なのだ。


 ―― だが、それをよく理解しているのは、妾だけなのだ。


 ―― 振り返るが良い、お前の過去を。


 ―― 誰も、お前の力を認めようとはしなかった。


 ―― 怖れられ、或いは妬まれ、或いは拒絶され、或いは排除される。


 ―― お前は、ここにいる限りはそうなのだ。



 ―― だが、妾は違う。


 ―― 妾だけが、お前を受け入れてやれる。


 ―― 妾だけは、お前を認めておる。


 なにをするつもりだ。


 ―― すべてをあるべきようにする、とだけは言えよう。


 ―― あるべきように。


 ―― まず、お前はここにいるべきではない。


 ―― この世界に。


 何、だと……?


 ―― お前はいい子だな。


 ―― 結局は、妾が何も言わずとも、すべて理想の選択を行っておる。


 なに……?



「ベブルさん!」


 声が聞こえた。


 ベブルははっとして、目を見開く。彼の目の前には、地面があった。彼はいつの間にか、片膝を付き、片手を地面に付いて座り込んでいた。ここは森の中だ。


「大丈夫ですか? しっかりしてください」


 必死に声を掛けてきているのは、ユーウィだった。


 ベブルは呻いた。声は出るようだ。


「ああ……。すまない」


 そう言い、ゆっくりと立ち上がる。顔を上げると、ザンが不審そうな目つきでこちらを見ている。


「……大丈夫なのか?」


 ベブルは深呼吸してから首を振る。


「大丈夫だ。久し振りに『声』が聞こえた。随分話し込んじまったみてえだな」


「……そうか。一応言っておくが、意識を乗っ取られないようにしろよ」


「わかってる」


 ベブルはそう言い放って、両手を頭の上で組んだ。今度はちゃんと組むことができた。それから、ユーウィがじっと自分のほうを見ているのに気がついた。彼女は言う。


「大丈夫、ですよね? 『声』って何なんです?」


「別に大したことじゃねえよ」


「そうですか……?」


「そうだ」


 ベブルは歩き出した。時空塔はもうすぐそこだ。



 ベブルが歩くと、ザンもユーウィも付いてくる。彼は案内役なので、こうなるのは当然ではあった。


 ふと、ベブルは自分の指先が妙な感触を捉えたので、頭の上で組んでいた指を解いた。右手の指を擦り合わせてみる。


 なにか、ぬるりとしたものが、そこに付いていた。


 暗闇でよくは見えなかったが、匂いでわかる。


 血だ。


 俺の血じゃない。一体どこで付いたんだ?

 


 ベブルは立ち止まり、振り返った。


 ユーウィとザンがいる、その更に向こうを。


 闇に隠れる、森の茂みを。


「どうしたんだ?」


 ザンは、ベブルと同じように振り返って茂みのほうを見たが、特に怪しいものは見当たらなかった。


「なにか、あるんですか?」


 『闇を裂くものウィエルドゥウイ』を両手に丁寧に持ったユーウィも、同じようにしながら訊いた。だが彼女の目にも、夜の森の景色以外には何も見えなかった。


 ベブルは静かな声で言う。


「いや……。なにも」


 踵を返すと、ベブルは再び歩き始める。


++++++++++


 ベブルたちの声が遠くへ去り、森に静けさが戻る。


 その中で、靴の底が砂利を踏む音がした。


「やっと……、来たな」


 その男は近くの木にもたれながら、ベブルたちの歩き去ったほうを見やる。もう姿は見えないが、彼らは今頃時空塔内の罠を解除しながら上っているところだろう。


「ルディはとっくに死んだって話なのに、随分遅かったじゃねえか……」


 その男はよろめきながら、茂みの中から姿を現した。


 彼には左腕がなく、血まみれだった。

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