第十三章⑪ 声が呼んでる

 ザンは自らを落ち着けようと、大きく深呼吸する。


「これではっきりしたな。そのルディという人物、きっとレイエルスの神だ。それも、かなり上級の神だったはずだ」


「ルディが、神様……?」


 ベブルは腕を組んで、話に参加している。


「なるほどな。だから『ブート・プログラム』を持っていたってことか」


 ザンはうなずく。


「そういうことだろう。しかし、まさか本当に神界レイエルスからも逃げてきた者がいたとはな。予想通りだが、当たって嬉しいものではないな」


 ベブルは思っていたことを話し始める。


「そういや、そのことなんだが。俺とデューメルクはもうすでに、ヒエルドから『ブート・プログラム』を受け取ったんだ。それで、俺たちの時代の時空塔を使って神界レイエルスに行ったんだ。……追い返されたがな」


 ザンははっとする。


「なに? レイエルスに行った? どうしてそういう重要なことを先に言わないんだ」


 ベブルは顔を顰め、溜息をつく。


「お前も気づけよ。俺は言ったぞ。デューメルクの病気は、レイエルスで矢を受けたせいだってな」


「……確かにそう言ったな。あのごたごたしたときに」


「話を聞かないお前が悪いんだろ」


 ここまで来ると、ザンには反論できなかった。仕方がないので、彼は口論を打ち切る。


「とにかくだ。ベブルはフィナと共に、神界レイエルスに行ったわけだな?」


「ああ、今朝のことだ。向こうの時空塔で、大蛇と戦わされて、毒ガスを食らった挙句に、病気になる矢の嵐だ。歓迎はされなかったってことだな。しかも、罠を仕掛けたご本人まで出てくる始末」


「それで、その『ブート・プログラム』は? 持ってるんだろう?」


 そう言われて、ベブルはようやく気がついた。


「あ……、あれは俺の時代の時空塔に付けたままだ……」


 ザンの顔色が悪くなった。


「おい、ベブル。それはまずい。……道理で、デルンの“アドゥラリード”がこうも早く復活して、強化されたわけだ……。『未来人』たちが、未来の時空塔を使って、レイエルス文明を持って来たんだろう」


 ベブルは歯噛みし、拳を握り締める。


「そういうことだったのか。変だとは思ったんだ。急になにもかも変わっちまったから」


 ザンは大きく息を吐く。


「これで決まったな。俺たちが行くべきところは、神界レイエルス側の時空塔だ。場所はわかるんだろう?」


 ベブルはうなずく。


「もちろんだ。だが、そこでひとつ気になるんだが、こうなると、青い『ブート・プログラム』がふたつあることにならないか? いや、まさか神界行きの時空塔は、ふたつあるのか?」


「多分、それ以上あるだろうな。アーケモスをつくったのは、神界レイエルスだからな。まあ、魔界ヨルドミスにいた俺はよく知らないことだが。ソディに聞いた話では、最上級神用にはいくつか時空塔があったらしい。ソディくらいの神が使えるのは、そのうちのひとつだったみたいだ」


「じゃあ、魔界ヨルドミス行きの時空塔もまだいくつかあったりはするのか?」


「そちらはない。ボロネ近くのひとつきりだ」


「そうか」


 そこで、ユーウィが一歩前に踏み出す。


「あの、わたし、一緒に行きます。レイエルスに。デルンを止めます」


「だが……」


 ザンは止めようとしたが、それをベブルが制止する。


「いいじゃねえか。恋人の故郷なんだろ。出だしの罠は憶えてるから、俺が何とかしてやるよ」


 ユーウィは微笑む。


「ありがとうございます」


 ザンは仲間のふたりに訊ねる。


「こちらに『ブート・プログラム』があることを、デルンに知られていないのは幸運だ。ベブル、ユーウィ、もうとっくに日は暮れたが、まだ動けるか?」


 ベブルはにっと笑ってみせる。


「あたりめえだろ。だが、なにか食いもんがあるといいがな」


「わたしも、一晩くらいの夜更かしは平気です。でも、わたしも、なにか食べるものがあれば」


 ユーウィも笑った。だがこのとき、ベブルは彼女の清らかな笑みが、これまでのものと違うように感じられた。


 ザンは苦笑いする。


「わかった。後でなにか、携帯食を出してやる。それじゃ、いま、ソディに連絡するから待っててくれ。すぐに神界レイエルス行きの時空塔まで飛ぶからな」


「おう」「はい」


 ふたりは揃って返事をした。


++++++++++


「『星隕せいいん』!」


 ウェルディシナは机を叩き、怒鳴り声を上げた。


 薄暗い部屋に、『銀の黄昏』の構成員メンバーである、『蒼潤そうじゅんの魔女』ディリア・レフィニア、『飛沙ひさの魔術師』ナデュク・ゼンベルウァウル、そして『星隕の魔術師』オレディアル・ディグリナートの三人と、ウェルディシナ自身を合わせて四人が揃っていた。


 『紅涙こうるいの魔女』ウェルディシナ・エルミダートは、拳を机に叩きつけたものの、その怒りは収まらないようだった。彼女の拳は机の上でわなわなと震えている。


 いつもはウェルディシナが怒鳴るとすぐに鎮めに掛かるナデュクも、大声に対して文句を言うディリアも、今回ばかりはじっと黙っていた。彼らも、彼女と同じ気持ちなのだ。


「……すまない」


 そう、オレディアルは静かに言った。申し訳なさそうに、彼は顔を上げられないでいる。


「お前を頼みの綱だと、少しでも思った私が馬鹿だった! 確かに、あの“神の幻影”は脅威だ。奴のせいで、我々の未来は潰えてしまう。それを避けるための歴史改変だ。そのために、少々改変が過ぎるのは仕方のないことだった。だが――!」


 ウェルディシナは、激しい言葉をオレディアルの額に向かってぶつけ続けた。だが、オレディアルは謝罪の言葉を述べ続けるしかできない。


「すまない」


「いくらなんでも、これは変え過ぎだ! 我々が目指すのは、滅ばない人間の世界であり、かつ、平和で幸福な世界だ! いくら“神の幻影”に対抗するためだからといって、ここまで武力支配を受けた世界になっては意味がない!」


 さすがに見かねたナデュクが、ウェルディシナの言葉を遮る。


「それくらいにしてやれよ。『星隕』だって、わざとこんな世界をつくりあげたわけじゃないんだからな」


 そこへディリアが口を挟む。


「だけど、最初にデルンの力を借りようと言ったのは、彼だったわ」


「お前もなあ……」


 言いかけたナデュクを、オレディアルは手で制す。


「いや、すべて私の責任だ、『飛沙』。不覚としか言いようがない。ムーガ・ルーウィングかベブル・リーリクメルドを消すには、我々の力では及ばず、デルンの力が必要だと思った。あと少し、彼の力を強くすれば、目的を果たすことはできるだろうと思ったのだ。だが……」


 ウェルディシナがまたも机を叩く。


「結局は、地獄を作り上げてしまった! デルンが支配する、古代以来のアーケモス帝国だ! 奴はすべてを手に入れて、なにもかもを自分の好きなように扱っている。気に入らぬ人間は殺し、財産を絞り上げてひとりで豊かになっている。そして、ムーガ・ルーウィングひとりを殺すために、有史以来最大の都市だったジル・デュールを滅亡させた!」


「……すまない」


「私に謝っても意味はないだろう! 『星隕』!」


「すまない……」


 ウェルディシナはまた拳を机に叩き付けた。だが、彼女はそのまま、歯軋りするのみでなにも言うことができない。昂ぶった感情が彼女の喉を締め付ける。


 静かになった。誰も、ひと言も発せないでいる。四人が四人とも、視線を床の上に落として、互いの顔さえはっきりと見られなかった。


 ディリアが切り出す。


「しかも、ルーウィングは殺せていないしね」


 ナデュクはうなずく。


「ああ。当初予定さえ達成できていないのに、現状だけをややこしくしちまった」


「すまない。私のせいだ」


 そこでまた、オレディアルは謝った。すると、ウェルディシナが再び噛み付く。


「そうだ、お前のせいだ!」


「だから、もう謝るな、怒鳴るな。責任追及はあとで充分だ。いま、俺たちには他にすることがあるはずだ。ひとつ、“神の幻影”を消し去ること。もうひとつは、この変えられた歴史をどうするか考えることだ」


 このころのナデュクには、もうすでに余裕が戻っていた。


 ディリアが相槌を返す。


「そうね。このまま行けば待っているのは世界の破滅。その意味では、なにも変わっていないわ。破滅を止めるという基本方針には、差し支えはないわね?」


「まあ……。その点ではその通りだな」


 渋々ながら、ウェルディシナは首を縦に振った。


 また、ナデュクが口を開く。


「となると、ひとつ状況が変わったのは、穏やかな世界だった俺たちの『現在』が、デルンの支配する武力統治の世界になってしまったことだ。これをどうするか。超文明自体は歓迎しデルンのみを排除するか、それともデルンもろとも文明も以前の状態に戻すか」



 ナデュクがそのような話をしているときに、その部屋の床に光の魔法陣が浮かび上がった。魔導転送装置で転送されてくる位置を示しているのだった。そのすぐ後に、魔方陣の上に光の塊が現れ、その光が人の姿となった。ファードラル・デルンだった。


 ファードラルは自信有り気に笑んでいる。


「御揃いか、皆の衆。常の如く『アールガロイ魔術アカデミー』の一研究室にて会議とは、お前たちも相当に忙しいと見えるな。どうだ、俺が手を貸してやろう」


 それには、オレディアルが答える。


「いいえ、……結構です」


 ファードラルはまた笑う。


「はは、そう遠慮せずとも、ディグリナート。俺はお前のお陰で生き残れたのだ。お前が神界レイエルスから“アドゥラリード”の強化パーツを奪い、それを百八十年前の俺に渡してくれたお陰でな。命の恩人であるお前に、俺は恩返しがしたいのだ」


 オレディアルは首を横に小さく振る。


「いいえ。ここから先の仕事は、我々『銀の黄昏』のみで片付けますので」


「なにを言う、ディグリナート。それでは、お前たちが俺を生き残らせた意味がまるでないではないか。お前たちは、リーリクメルドとルーウィングを殺させるために、俺に加担したのだったであろう?」


「それは……そうですが」


 そこへ、ナデュクが割り込む。


「状況が変わったのさ。俺たちには『空冥くうめいの魔術師』ウォーロウ・ディクサンドゥキニーが加わった。それで『銀の黄昏』は強くなったってこと。で、どうせなら、『銀の黄昏』として、この大仕事を片付けたいと思ったわけさ。あんたの気持ちはありがたいが、俺たちは俺たちの手柄にしたいわけだ。解ってくれるかな?」


 ファードラルは黙った。ナデュクの言葉を咀嚼しているのだ。それから彼は、一瞬、不機嫌そうな顔をしたが、次の瞬間には、先程までの余裕に満ちた笑みを取り戻していた。


「成る程、そういうことであったか。それならば、俺は手出しをしないでおこう。あのような小娘、どうなろうと俺の知ったことではないからな。ルーウィングは、あれだけ攻撃したが、仲間と共に逃げおおせたようだ。いずこへ行ったかは知らん」


「大丈夫だ。俺たちなら追える。実際、『空冥』が追っている最中だしな」


「そうであったか。ならば、お前たちの幸運を祈ろう。それでは、用も済んだことであるし、俺は帰る。さらばだ」


 ファードラルの足元に光の筋で描かれた魔法陣が現れ、彼の身体は光に包まれ始めた。転送を開始したのだ。


「ああ。ありがとな」


 ナデュクはそう言って見送る。ファードラルは光の中に消え、光も消え、魔法陣も消えた。その部屋には、『星隕』、『紅涙』、『蒼潤』、『飛沙』だけになった。


 また、静寂が訪れる。


 ナデュクは溜息と共に呟く。


「やれやれだな……」


++++++++++

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