第十三章⑨ 声が呼んでる
桃色の長髪の若い女は、破壊された建物の陰に隠れていた。街は荒らされ、建物は軒並み潰されていた。この辺りの人々はほとんどが逃げ出し、ここには彼女ひとりしかいなかった。
ユーウィだった。
日は沈み、街は薄闇に包まれている。人気のない破滅の街の中で、ユーウィはひとりで立っている。彼女はそこから通りの様子を伺い、誰もいないのを確認すると、駆け出した。
しかし、飛び出したところで、声を掛けられてしまう。
「おい、君」
ユーウィはその声に驚き、立ち止まるどころか、一層加速して逃げようとした。だが、その声の主のほうが速く、あっという間に追いつかれ、捕まってしまう。
「放して!」
掴まれた腕を振り解こうと、ユーウィは腕をめちゃくちゃに振り回した。
「ま、待ってくれ。俺は敵じゃない」
そう言われてようやく、ユーウィは声の主を見た。金色の髪と深い青の瞳を持つ青年で、真っ黒い鎧で身を固めている。
「驚かせてしまったことは謝る。俺はザン。魔王だ」
「魔王……? アーケモスの東のほうを支配する、あの魔王様ですか?」
ユーウィは思い出しながらそう問うた。彼女にとって魔王とは、遥か遠くの世界の存在に過ぎない。
魔王ザンはうなずく。
「ああ。君は、ユーウィだね。ベブル・リーリクメルドの先祖にあたる」
ユーウィは目を見開く。
「どうしてそのことを?」
「その髪と瞳の色、それから顔を見ればすぐにわかる。それにその
そう答えるザンの後ろから、青白い鎧を着込んだ長身の大柄な男が歩いて来る。ソディだ。彼はザンに言う。
「さあ、早く帰ろう。ここにはもうすぐ、デルンがやってくるはずだ」
ザンはうなずき、そしてまた、ユーウィに言う。
「君には俺たちに付いて来てもらう」
「なぜ、わたしが」
当然のことながら、ユーウィはその理由を訊いた。いや、実際には、その突飛な提案に抵抗する意図も込められていた。
「さっき彼が言った通り、もうすぐここにデルンがやってくる。デルンが来れば、君は殺されてしまうだろう」
「わかっています。つまりわたしは、いえ、わたしたちジル・デュールの人間は、デルンと魔王との抗争に巻き込まれている、ということですね?」
「……とにかく、デルンは破壊活動を繰り返しながらここへ来ている。このままここにいると、君は殺されてしまうんだ。だから俺たちは、君を迎えに来た。死にたくはないはずだろう?」
「それは、当然のことですが……。いま、ジル・デュールは貴方たちのせいで争いに巻き込まれているのでしょう?」
「そ、それは……」
ザンは返答に躊躇した。
突然、ずしんと重く響く音がして、地面が揺れた。
ザンとソディは振り返った。そこには、大魔術師ファードラル・デルンと、彼がつくり上げた魔法生物兵器“アドゥラリード”がいた。“アドゥラリード”はすでに、究極の防護壁と謳われる強力な魔力障壁に身を包まれており、戦闘準備は万端だった。
「ほう、破壊済みの地域に戻ってくるとはな。普通ならば、まだ破壊されていないところに逃げるはずだが。攪乱とはやってくれるな、小娘」
ファードラル・デルン。姿は若いが、すでに八十歳を超えているといわれる大魔術師だ。そんな彼が巨大な怪物の横に佇み、威風堂々とそう言った。
ザンとソディはそれぞれに魔剣と神剣を召喚して、その手に取り、構える。ユーウィは彼らの後ろに守られている。
「デルン!」
「久しいな、魔王ザンに保持神ソディ。今日が貴様らの命日だ」
ファードラルは腕を組んだ。その隣で、“アドゥラリード”がけたたましい咆哮を上げる。
ザンは思わず歯を食いしばった。剣を握る手に力が入る。
「何てことだ……。 “アドゥラリード”が、もう復活していたとは……」
ファードラルは凶悪な笑みに顔を歪める。
「当然だ。俺はアーケモスの大帝となるべき男、ファードラル・デルンなのだからな。加えて、こたびの“黒風の悪魔”は、『銀の黄昏』なる奴らの技術を用い、以前よりも強化しておる」
ファードラルが言っている『銀の黄昏』とは、ベブルの言うところの『未来人』のことだ。
「なにッ?」
「大人しく道を開けよ。
「断る! 彼女を守りきり、お前もここで消す!」
「ほう、面白い!」
しかし、そこで突然、ザンたちの傍らの空間が歪んだ。なにごとかと、ファードラルも、ザンも、攻撃を仕掛けるのを中止して、その様子を見ている。
瞬時に光が爆ぜると、その空間からベブルとフィナが飛び出してきた。
「やっぱり、ここにいやがったな、てめえ!」
ベブルはフィナの手から自分の手を離すと、即座に構えた。フィナはすぐに、自分の杖により掛かって身体を支える。
「思ったとおりだ。“アドゥラリード”を造り直してやがる」
「ベブル! フィナ!」
ザンが構えた剣をファードラルに向けたまま、ふたりの名を呼んだ。すぐにベブルは彼の隣に並ぶ。ソディはその反対側で剣を構えている。
「久し振りだな、ザン」
ベブルは拳を構え直した。視線はファードラルと“アドゥラリード”の方に向けたままだ。
「そうだな。だがいまは、暇はない。こいつを片付けるのが先だ」
「わかってるって」
ところが、当のファードラルのほうは、この光景を見て、その場に立ったままにやりと笑ったのだった。彼は言う。
「リーリクメルド、貴様が来たということは、未来においてなにかあったか?」
「まあな」
「“アドゥラリード”を造り直したのが、『思ったとおり』と言ったな。それはどういうことだ?」
ベブルは不敵に笑っていたが、その目だけは、鋭く凶悪な眼光を放っている。
「貴様にとっちゃ嬉しい話だろうな。百八十年後の未来世界のジル・デュールを、貴様の“ハネヘビドリ”が潰しやがったんだよ。それも、ここの、こんな程度じゃねえ。完全にだ。俺とデューメルクを殺すためだけに、あんなことをしやがった」
「ほう。それで貴様は過去でなにかが起こったと悟ったのだな」
「そうだ。お陰で、貴様はここで命を落とすわけだ。未来で馬鹿げたことをした自分を恨むんだな」
ファードラルは嗤う。
「いや、よいことを聞いた。つまり、俺は未来を勝ち得たのだ。百二十年後に貴様に殺されるという運命を、そして数年のうちに魔王と相打ちするという運命を消し去ったのだ。それを知ったのみでことは充分。小娘は殺さんで置いてやろう。どうせ殺しても、『指輪』を持った貴様らは消えんのだからな」
「なに?」
ファードラルは傍らの“アドゥラリード”に手を触れる。このときにはすでに、その怪物の魔力障壁は解除されていた。
「言ったとおりのことだ。俺はこの場を退こう。そして、俺の世界アーケモスに相応しい都、デルンを建設する」
ベブルはいつでも跳びかかれるよう、構えを深く取る。
「貴様! 逃げるつもりか」
「逃げる? 俺はこの“アドゥラリード”を強化したのだぞ。あれから然程強くなっておらん貴様らを相手にしたところで、こちらの勝利は明白。貴様らはいつでも消せるということだ」
「明白だと? じゃあ掛かって来いってんだ」
「話にもならんな」
その言葉だけを残して、ファードラルは光に包まれて消えていく。どこかで魔導転送装置を作動させたのだろう。
「野郎!」
ベブルは吼え、ファードラルに殴りかかったが、遅かった。ファードラルと“アドゥラリード”はこの場から姿を消した。
「畜生……」
ザンとソディは武器を仕舞う。
「ベブル」
「ああ」
ベブルは振り返り、握っていた拳を解いた。
ザンは恐る恐る切り出す。
「つまりその……、未来は……。デルンに……支配されていたのか?」
「ああ、百八十年後のジル・デュールがデルンに滅ぼされた。お前のことはよくわからん。デルンと同じように生き残ったのかどうか。……いや、どうだろうな。ジル・デュールが破壊されても、出張って来なかったんだからな」
「そうか……」
ザンの表情に陰がさした。世界の覇権を取られたことは問題ではない。それよりも、彼がデルンに負けたということは、ソディやレミナ、そしてフリアの死を意味する。そのことがつらいのだ。
不意にユーウィが声をあげる。彼女は、いまにも倒れそうなフィナを支えていた。
「みなさん! あのっ、フィナさんが!」
「何だって?」
慌てているザンとは対照的に、ベブルが落ち着いた口調で言う。
「ああ、そういえば、そいつ、神界レイエルスで矢を受けて、それで病気になったんだ。ザン、お前のところでなら治せるんじゃないか?」
「ああ、多分……」
高熱に意識を奪われようとしているフィナを見て、ザンは落ち着かないようだ。それから次に、彼はソディに言う。
「ソディ、彼女を頼む!」
ソディは頷くと、ルビーの杖によりかかって倒れそうなフィナを支えた。力のないユーウィが支えとなるよりも、彼のほうが適役だ。
「さあ、早く帰るぞ、ザンよ」
「ああ、わかった」
ソディにそう答えると、ザンは、今度はベブルやユーウィのほうに顔を向ける。
「とりあえず、黒魔城――俺の城まで退去しよう。ユーウィ、君もだ。こうなった以上、君をここに置いて行くわけにはいかない」
しかし、ユーウィは首を横に振った。
「いいえ、父を探します。皆さんは、フィナさんを連れて、先に行っていてください。わたしは後で、父を連れて向かいます」
当然、ザンはそれを止める
「危険だ。すぐにでも引き上げないと……」
ベブルは腕を組む。
「俺が残る。俺が付いて行くんなら、別に大丈夫だろ。ホミクとは俺も知り合いだしな」
「ベブルさん……、ありがとうございます」
ユーウィは微笑み、頭を下げた。
ザンは唇をへの字に曲げて、溜息をつき、頭を掻く。
「しょうがないな。ソディ、君はフィナを連れて黒魔城に戻ってくれ。すぐに手当てを。俺はベブルとユーウィと共に、ユーウィの父親を探す。ソディは城を守って——いや、フリアとレミナの傍にいてやってくれ」
「了解した」
ソディはうなずき、片腕でフィナを支えながら、もう一方の手に何かの魔法機械を召喚した。それを少し操作すると、彼は光に包まれてフィナと共に消えていった。
それを見届けたザンが言う。
「さてと。それじゃあ行くか」
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