第十三章⑧ 声が呼んでる

 ムーガはベブルの左腕にくっついて歩いていた。どうやらそこが彼女の定位置と決まっているらしい。


「転送装置でも行けるんだけど」


 ムーガはこの建物の最上階から自動昇降階段エスカレーターに乗ろうと言い出した。料理店街は、この建物よりも高い、隣の建物の最上階にある。そこへは、どこの魔導転送装置からでも一瞬にして飛ぶことができる。だが、彼女はここで敢えて、こちらの建物と向こうの建物とを繋ぐ自動昇降階段に乗ろうと言ったのだった。


 ベブルには文句はなかったので、ムーガの言うとおりに自動昇降階段に乗った。その階段は勝手に上に向かって流れていて、それに乗るだけで、歩かなくとも上っていける。その場には四本の自動昇降階段が並んでいて、二本が上り用、そして残り二本が下り用に設定されていた。


 自動昇降階段の周りの壁と天井は無色透明で、外の風景を一望することができた。眼下にはどこまでも広がる大都市ジル・デュールの街があった。彼はここで、自分たちがどれほど高いところにまで上って来ていたか、初めて知った。ムーガに訊いたところ、ここは百三十五階だということだった。魔導転位装置を使って上っていたので、外の風景が見えない限り、自分がどこまで上ったか気づいていなかったのだ。


 だが、ここではこの程度の高さの建物は珍しいものではないらしい。離れたところにいくつもある同じくらいの高さの建物同士が、何本もの円筒形の空中渡り廊下を使って接続していた。


 この自動昇降階段も、それらに似たようなものだ。


 ムーガが言うには、この階段は、向こう側の建物の百四十五階と繋がっているらしい。黒魔城や時空塔などとは、比べ物にならないほど高い。


 ふたりはの乗った自動昇降階段は斜め上に向かって勝手に動き、彼らは立っているだけで上っていくことができた。ムーガは階段の途中で立ち止まり、手すりに寄りかかって外の景色を見やった。彼女は外の景色が見たかったのだ。


 歩いて上らねえとまずいんじゃねえのかと、ベブルは思った。だが、見回してみて、その必要はないとわかった。誰も自動昇降階段の上で歩こうなどとはしなかった。みな立ち止まって、そこで話をしていた。


 自動昇降階段上には多くの人々がいたが、店の中と比べると、遥かに少なかった。魔導転位装置を使えばどこへでも行けるので、わざわざこんな階段を利用する必要などないのだ。偶然この階段の近くまで買い物に来ていた人にとっては、魔導転位装置のところに行くよりも近いから乗っている程度のようだ。


 太陽は地平線の彼方に沈もうとし、ムーガの見ている方向からは夜が、そして、星の世界がやって来ていた。ベブルも彼女に倣って、手すりによりかかり、景色を共有した。


「少しずつ、星が近づいてきてるね」


 ムーガはベブルに言った。顔は向けずに。彼女は彼よりも一段上にいる。


「ああ」


 ベブルの声を聞いて、ムーガは微笑む。


「わたしはね、時々、あの星の世界から来たんじゃないかって思うときがあるんだ。自分の居場所は、ここじゃなくて、もっと遠いところにあるんじゃないかって」


「俺もそう思うときがある。故郷でも見るように、星の世界を見てるんだ。星の世界は、俺にとって落ち着くところだが、同時に、一番恐ろしいところでもある」


「そう、丁度そんな感じ。どうしてだろう? この話を誰にしても通じなかったのに、ベブルにはわかった」


「さあな」


「わたしたちのご先祖様は、星の世界から来たとか?」


 ベブルには、とあることが思い当たる。


「どうだか。そういえば、ユーウィは、どうなんだろうな」


「ユーウィ? なにそれ、まさか、女の名前じゃないじゃろうな?」


 突然、ムーガの口調が威圧的になった。そういえば、ベブルはまだ、ユーウィの話をしていなかった。


「ああ、ユーウィってのは、百八十年前の世界で見つけた、俺らの先祖だ。お前によく似た女だった」


「ご先祖様!」


「ああ。お前そっくりの奴だったから、お前と同じような気持ちで星を見るのかって、ふと思ってな」


「なに? なに? まさかそっちに浮気してないでしょうね? わたしそっくり、って」


 ベブルは首を横に振る。


「まさか。俺は別に、お前の容姿だけに惚れたわけじゃねえんだしな」


 そこでムーガは絶句した。彼女は顔を真っ赤にし、外の景色のほうを向く。


「……不意打ちするな」


「あ?」


 ベブルには、ムーガの言葉の意味が取れなかった。


「なんでもない!」


「なにがだ」


「だから、なんでもないって!」


 ようやくベブルは気がつく。


「ああ、なるほど、それで赤くなってるのか。面白いな、お前」


「ち、違う!」


「もっと言ってやろうか?」


「う、う、うるさい! ほれ、もう着くぞ!」


 ムーガは赤面したまま、自動昇降階段の行き先のほうを向いた。ベブルには、彼女の背中しか見えなくなる。彼は面白がって笑った。


 ムーガの言うとおり、長い階段が終わろうとしている。向こうには、建物の内側が見える。この百貨店の料理店街だ。


「おい、そんな気を悪くするなって」


 ベブルは笑いながら、階段を上り、ムーガの横に並ぶと、肩を抱いた。


 ムーガは首を横に振る。


「気を悪くなんて……してない」


 ムーガの表情は、前髪に隠れてよくは見えないが、頬が赤くなったままであるのはわかる。


 それを見て、ベブルは微笑む。そして、彼はムーガから手を離した。



                叫び声が聞こえた。



 どこかで聞いたことのある声だ。いや、そんな程度ではない。


 よく聞いた声。


 いや、その程度を遥かに超えている。


 胸を裂くような、この叫びは……。


 助けを求めて泣き叫ぶ、この声は……。


 ここは、どこだ……。


 気がつけば、ベブルは瓦礫の街の中心にいた。大きな建物が建っていたのだろうが、それらはすべて焼け焦げて、どす黒い煙を上げていた。


 あちこちから叫びが聞こえる。


 恐怖に狂う声。


 痛みに呻く声。


 そして、一番近くに聞こえる、この絶叫は……。


 誰の声……。


 まさか……。


 まさか……。



「ベブル! ベブルっ! ベブルっ! 助けて、助けてぇぇぇっ!」


 ベブルは放心していた。彼はいま、自分の身体にしがみつき、叫んでいる声の主が誰であるか、解った。


 それは、いままでずっと傍にいた女だった。


 この世で最も愛しい女。


 つい先程まで、顔を赤らめてはにかんでいた、あの可愛らしい女だ。


 それがいまや、恐怖からか、悲痛からか、止め処なく涙を零し、声を枯らして叫んでいる。


「ベブル、ベブル! わたし、わたし、どうしたらいいのか……」


 ベブルは手に持っていた袋を取り落とした。するとそれは、時間に忘れ去られ、消えて無くなった。


「わたしの、わたしのせいで……」


 女は咽び泣き、激しい感情に何度も痙攣していた。


 ベブルはようやく、彼女の名を口に出すことができた。


「ムーガ」


 しかしムーガは、嗚咽を漏らすばかりで、なにも答えられないでいる。ベブルは彼女の両肩を掴み、しっかりと立たせる。


「なにが……。なにがあったんだ?」


「なにが、って……」


「俺にとっては、いま歴史が改変された。ジル・デュールのショッピングモールとやらで買い物をしていた俺たちがなぜこんなところにいるのか、いますぐに教えてくれ」


 ムーガは手の甲で涙を拭いていた。身体は依然、震えている。


「え? だって、ここまで一緒に……逃げてきたじゃない。……デルンの軍隊から」


「デルンの、軍隊だと?」


「買い物って? 何の話?」


「俺が訊いてるんだ。いま、デルンの軍隊と言ったのか?」


「え? う、うん」


 畜生と、ベブルは心の中で悪態をつく。デルンが歴史を改変したのだ。この時代から百八十年前の世界で、魔王ザンと戦って相打ちで死ぬはずのデルンが、ついに生き残ったのだ。


「デルンは何で、この街を襲ってるんだ? 仮にも、ジル・デュールはアーケモス最大の大都市だってのに」


 ムーガは唾を飲み込んで、声の震えを止めようとする。


「何の話? アーケモスで一番大きな街はデルンじゃないの」


「なに?」


「だから、デルンの都市がアーケモスで一番大きな街じゃない」


「デルンの都市?」


「デルン宮殿を中心にできた大都市でしょう。なにを言ってるの?」


「もう一度訊く。デルンはどうしてこの街を攻撃しているんだ?」


「わたしたちを殺すために決まってるじゃない」


「な……」


 ベブルは絶句した。


「デルンは、時間移動のできるベブルとフィナを殺すつもりでいるんだよ。『アーケモスの救世主』と呼ばれるわたしたちは、元々敵視されてなかったけど、わたしたちがベブルたちを守ろうとするから、みんな命を狙われるようになったの。……こんなことも忘れたの?」


「俺は、忘れたんじゃない。もともと、この時代にはデルンは存在しないはずだったんだ。歴史が改変された」


「あのデルンが、存在しなかった?」


 ムーガは、信じられないといった様子で、ベブルの顔をまじまじと見ていた。


「ああ。わかった。歴史を元に戻してきてやる。行くぞ」


 そう言い、ベブルはムーガを連れて歩き出した。すると、彼女は彼の袖を引き、頑なに引き留めようとする。


「だめだよ! 広い道に出たら、見付かる! デルンと黒風の悪魔“アドゥラリード”に!」


「望むところだ。まとめて、俺がぶっ潰してやるよ」


「絶対にやめて! 向こうは平気で街を破壊しながら戦ってくる! これじゃあ戦えない!」


 ムーガの訴えは絶叫に近いものだった。愛しい人の叫びを聞くに堪えず、ベブルは立ち止まる。


「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」


「逃げるの! こうなったからには、パーラス荒野に! 辺境の街ヴィ・レー・シュトには、反体制派が多くいるから」


 ふたりがそうしているところへ、駆けて来る足音が聞こえた。敵かと思い、ベブルもムーガも構えたが、そうではなかった。


 ここへ駆け付けたのは、ウィードとスィルセンダ、そして、フィナだった。まだ病気が治りきっていないフィナは、ウィードに負ぶさっていた。熱が引いていないらしく、まだ目の焦点を定めることすら難しそうだ。


「ここにいましたか」


 ウィードはそう言うと、背負っているフィナをゆっくりと地面に下ろす。


「ベブルさん、フィナさんを連れて来ました。本当はまだ寝ていて欲しかったのですが、この状況ではそうも言ってられません。お願いします。歴史を――」


「ああ、わかった」


 ベブルは頷く。


「まさか、この状況が歴史改変後だなんて、まだ信じられないのですけれど」


 息を切らせたスィルセンダがそう言った。走って来たようだ。彼女がそんなことを言うので、ベブルはウィードのほうを見やる。ウィードはうなずく。


「僕が話しました。ことは一刻を争いますので。ムーガさん、こちらへ」


 ムーガは浅くうなずき、ベブルの元を離れて、ウィードたちのいるほうへ歩いた。それとは逆に、フィナはふらふらとベブルのほうへ行く。途中、彼女は歩くのがよほどつらかったらしく、ルビーの杖を召喚して文字通り杖にして歩いた。


 ウィードは拳を握り締める。


「それでは、ベブルさん、フィナさん。僕たちはスィルさんの言うとおり、ヴィ・レー・シュトまで逃げようと思っています。どうか、歴史を元に戻してください。できれば、僕たちがヴィ・レー・シュトに着くまでに」


「ああ」


 ベブルは力強くうなずいた。ムーガは心配そうに言う。


「ベブル、フィナ。絶対に、歴史を元に戻して。でも、それよりも、絶対に死なないで、お願い」


「心配するな。俺はそう簡単には死なない」


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