第十三章⑥ 声が呼んでる

「さて、次はどこに行こっか?」


「どこって、もう菓子はいいだろうに」


 ムーガの明るい問いかけに、ベブルは半ば呆れたように答える。すると、彼女は眉を顰める。


「だから別の店に行くんだよ。ここには他にも店があるんだから」


「そうなのか?」


「そうです。ジル・デュール最大の、アーケモス最大の総合ショッピングモールを馬鹿にして貰ってはいけませんねえ。晩御飯の材料から、高級服、装身具、玩具、書籍、それに高級料理店まで、色々揃っているのです」


 ムーガは、ち、ち、ち、と舌を鳴らし、それに合わせて、立てた人差し指を左右に振った。ずいぶんと芝居掛かっている。


「それが全部、この建物に入ってるのか」


「この建物に入っているのです」


「ほう……。大したもんだな」


 ベブルは感嘆した。そして、それならば、と彼はまた思う。貰った指輪の返礼品も、ここで買えるのではないか。


 ベブルはムーガに『星の指輪』を見せ、これをフィナに『寿星の日』の祝いに貰ったのだということ、そして、自分はその礼がしたいのだということを言った。


 ムーガは考えながら、少しだけ首をかしぐ。


「ふうむ。指輪には指輪……かのう?」


「まさかこの菓子が指輪の礼、ってわけにもいかねえだろ」


「それもそうだよね。じゃあ、装身具の店に行こうか。上の階だと思うから、転位装置に乗らないと」


 そしてまたふたりは、混雑する廊下を歩いて行った。



 ムーガが言うには、ここへ来るときに乗った転送装置よりも、別の装置のほうが近いのだということだった。


 歩きながら、ベブルは周りをよく見ていた。この巨大な建物の中には、通りがあり、幾つもの大きな店があった。まるで、建物の中に街があるかのようだ。建物の中にある店それぞれが独立していて、別々のものを売っているのだと、彼はムーガに言われてようやく判った。そう説明した彼女は、もうすでに彼の左腕にくっついている。


 途中、動物が沢山いる店に出くわした。ベブルがよく見ると、その一部は動物ではなく魔獣だった。おとなしい部類に分けられる小型の魔獣が、小さな檻の中に閉じ込められている。そして、その周りには人だかりができていた。この店は盛況だった。


 ムーガは嬉しそうな声をあげ、ベブルをぐいと引っ張る。


「あっ。ねえ、ちょっと見ていこうよ、ほら」


「あ? ああ……」


 いつもは誰に対しても強硬な姿勢でいるベブルだったが、ここへ来てからずっと、ムーガに連れ廻され続けている。不意に、彼の脳裏に、孫娘を甘やかしてどこへでも付いて行く老人の姿が映った。彼は慌てて首を横に振り、その光景を掻き消した。


「ほらほら、ワタイヌだよ」


 ムーガはそう言って、微笑みながら、檻の中の魔獣を見つめていた。魔獣のほうも人懐こく、彼女のほうを向いて尻尾を振った。ここでも他の客たちが、彼女を見ている。これではまるで、彼女が見世物になったかのようだ。


「珍しいなあ、こんな小型魔獣なんて。ほら、この店、すごく大きいから、普通の動物のほかにも、こういう魔獣を売ってるんだ」


「珍しい? なにがだ」


 ベブルには、ムーガがなにに対してそう言ったのかわからなかった。彼が見る限り、珍しい生き物などいない。


「だから、ワタイヌとか。ひょっとして、これ知らない? 犬みたいに見えるけど、魔獣の仲間で……」


「ワタイヌは知ってる。近所によく出たからな」


 よくガキどもが蹴り廻して遊んでる、あれだろ? と、ベブルは思う。だがムーガは、彼の言葉を聞いて、大きく目を見開いた。


「よく出た? 近所に? 本当に? 本当によく出たの? 野生のワタイヌなんて一番身体の弱い魔獣だから、真っ先に絶滅の危機にあったのに」


 なに言ってんだ、こいつ? 一瞬、ベブルには訳がわからなかった。前にボロネ街やボロネの時空塔に行ったときにも、道中、ワタイヌを含む魔獣が出現していたはずだからだ。


 しかしベブルはすぐに思い至った。歴史が改変されたのだ。


「……そうだな。よく出た。弱いから、旅人を襲うことは稀だったが。そういや、この時代では魔獣はどうなってるんだ? 俺の時代では、街の外へ出れば、街道にやってきた魔獣どもと出くわすことがあったが」


「あまりないね。街道まで来るのは稀だよ。でも、街から遠く離れて、山岳地帯とか洞窟とかには大型のがいる。ワタイヌみたいな小型魔獣は絶滅しかけてる。頭のいい竜種は人里をもっと離れたし。そういえば、スィルのファンディアはルメルトスの山奥で捕まえたんだよね。そういう風に、最近じゃあ、魔獣と人間が出遭うことはそうそうないよ」


 本当に歴史は変わってしまったのだ。元々この時代にも、ある程度の魔獣は存在して、人里を襲うからといって敵視されるものだったはずだ。それが、しばらくここへこなかったうちに、希少種扱いに変わってしまっている。


 ベブルは言い知れぬ不安に襲われた。こんな状況では、過去がすべてそっくり入れ替わってしまうこともありうるのではないか? 自分がしてきたことはすべて、他人に忘れられてしまうのではないか? 自分の過去を勝手に捏造されてしまうのではないか?


 そして、最も恐ろしいことは……。


 ベブルは目の前のムーガをじっと見つめた。しばらくすると、魔獣や動物たちを眺めていた彼女はそれに気づき、彼のほうを向いて微笑む。


「あ、ごめん。装身具の店に行くんだったね」


「そうだったな……」


 ムーガはベブルの腕を取り、歩いて来る人々の間を縫って、その店を出た。


 最も恐ろしいことは、彼女に忘れられてしまうことだ。彼女は忘れてはいないだろうか? ふたりきりで星辰界に行った、あのときのことを。


「浮かない顔をしてるね。なにか気に入らなかった?」


 そう言われて、ベブルははっとした。隣を歩いているムーガは、心配そうに彼を見ている。


「そうじゃない。ただ――」


「ただ?」


「本当に、歴史が改変されてるんだと思ってな……」


 ムーガはそれから、前を向き、口を噤んだ。何も言わない。


++++++++++


 ふたりは廊下を歩き続けた。


 音が消えた。


 周りの人間たちは皆、声を発しなくなった。歩く音も聞こえなくなった。それもそのはず、歩くことをやめたからだった。


 動かぬ彫像の間を、彼らは歩いていく。


 色が消えた。


 重い彫像は全く動かない。


 彼らはたったふたりきりで、その世界に生きていた。


 傷つき疲れ果てたお互いを支え合いながら歩いていたが、彼らには、自分たちの足音すら聞こえなかった。


 だんだんと、彼らの歩みは速くなっていく。


 いや、彼らの歩みは変わらない。世界のほうが、彼らの歩みよりも速く、彼らの後ろのほうに流れていくのだ。


 その速さは、次第に目に捉えられるものではなくなり、ついには、彫像たちは光になり、その光は筋となって彼らの後ろに消えていく。


 暗闇の中で、幾多の星々が光の筋となって、遥か前方からやってきては、それと同時に遥か後方へと流れ去る。


 彼らはそこを歩いている。


 たったふたりで。


++++++++++


「心配しなくていいよ。信じて」


 ムーガの声が、世界を元に戻した。


 ふたりの周りを人々が行き来ている。人々は互いに談笑している。人々の声や足音が騒がしく聞こえてくる。ここはジル・デュールの巨大な店の中だ。


 ムーガはベブルのほうを向いて優しく微笑んでいる。


「どんなに歴史が変えられたって、ベブルのことはずっと好きだから。ね?」


「あ、ああ……」


「時間改変に逆らってまでベブルのことを憶えておくのは無理だって、ウィードから聞いたから解ってる。でも、また出会ったら、絶対に、すぐに好きになるから。それは自信あるんだ」


 ムーガはそう、哀しげに、そして静かに言った。


「……ありがとな」


 それから、ムーガはベブルの腕を強く抱きしめる。


「本当はね、絶対に忘れたくないんだ。絶対に、この記憶を離したくないんだ……!」


 俺だって……。

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