第十三章⑤ 声が呼んでる

 太陽は、アーケモス最大の都市ジル・デュールの真上にあった。雲の大陸の間に広がる青い大洋。その真ん中に、その輝ける昼間の星はあった。


 大きな通りの両側を、人々が行き交う。頭上には、強い日差しを防ぐためのアーケードがあった。お陰でここは暑くもなく、また寒くもなく、快適だ。


 その通りを、ベブルたちは歩いていた。


「あとは、フィナさんの回復を待つばかりですわ」


 そう言って微笑んだのは、スィルセンダだった。


「ああ」


「もう、任せておいて大丈夫ですよ。どうやらいまでは、治せない病気ではないそうですからね。最近の魔法の進歩のお陰ですね」


 ウィードはいつも通り微笑っていた。だが、彼はその言葉に、彼とベブルだけしか知りえない意味を乗せていた。


 大勢の人間によって起こされる喧騒は、特に小声で喋らなくても、その言葉を部外者に漏らさない働きを持っていた。


 ムーガが言う。


「それにしても、びっくりしたぞ。三人で魔人の森の時空塔に行ってみれば、そこにいたんだから。おまけに、フィナは病気で苦しんでいるし」


 ベブルはふっと息を吐きながら、両手を頭の後ろで組む。


「確かに、そりゃ驚くだろうよ。だが、俺にしてみりゃ、もっと驚いたのは、この時代に魔導転送装置があることだ。前に来たときには、こんなもの、時空塔の中にしかなかったからな」


 ベブルが言うと、ムーガがきょとんと首を傾げる。


「前にも使わなかったっけ?」


「いいや」


 ベブルはそう言い、目を閉じて首を横に振った。


 ムーガは人差し指を唇に当て、斜め上を見上げる。


「そうじゃったかのう……」



 四人がジル・デュールのショッピングモールを歩いていると、通りの流れを形づくっている大勢の人々が、時折、彼らを振り返ったり、指差したりした。


 明らかに目立っている。そして、半ば気づかれている。ここにいるのが、アーケモスの救世主一行であるということに。


 遂に、四人の行く手に立ちはだかるものが出てきた。


 三人の若い女たちだった。彼女らは口々に言う。


「もしかして、『アーケモスの救世主』ルーウィング様じゃないですか?」


「『漆黒の剣士』ウィード様じゃないですか?」


「『懸崖けんがいの一番弟子』ヴェリングリーン様では?」


 そう言われ、スィルセンダ、ウィード、ムーガは、真顔で互いに見合った。それがなにを意図しているのか、ベブルにはわからなかった。それから一呼吸おいて、彼らは再び話しかけてきた女たちのほうを向くと、揃って微笑ってみせる。


「「「違います」」」


 三人が揃ってそう言うと、女たちは「ごめんなさい、人違いでした!」と叫んで散って行った。このおかげで、彼女らのことを「もしや救世主御一行では」と思っていた周囲の人々は、その考えを捨てた。


 相変わらず、彼女らのほうをじろじろと見るものは減らなかったが、それはおそらく「すごい美人だな」とか、「噂に聞く『漆黒の魔剣士』の格好の真似をした奴がいるぞ」とか、その程度のことを思っているのだろう。


 ウィードがなに食わぬ顔で言う。


「これでしばらくは大丈夫です。毎度、心が痛むんですがね」


 ムーガもあっけらかんとしている。


「気にすることじゃない。わたしたちにも、わたしたちの私生活がある。いまは放っておいて欲しいからな」


「まだ見ぬ怪物と戦う使命……。本当は、それに直面するまで、ムーガには普通の人間として生活して欲しかったのですがね」


 スィルセンダはそう言うと、哀しそうに微笑った。そんな彼女に、ムーガは強がり、言葉を返す。


「スィルやウィードは、怪物が出たときだって普通にしててくれればいいんじゃよ。怪物は、わたしとベブルで倒すから」


「ムーガさん!」


「ムーガ!」


「予言の怪物なら、倒せるのはこの力を持った者だけじゃろう。それは、このわたしとベブルだけじゃからな」


「おいおい……。まぁ、それは確かにそうかもしれん。それに、俺だって、その怪物が出るときには手伝いに来ようと思ってる。ムーガに全部任せるのも心配だしな」


 ベブルがそう言うと、ムーガは歩きながらベブルの左腕に抱きつく。


「頼りにしてる!」


 すると、スィルセンダが敏感に反応する。


「ちょっと、ムーガ。そんなにくっついたら歴史が変わりますから……」


 ウィードが割り込む。


「ベブルさん、ここは二手に分かれましょう。僕たちはこちらに行きますので、そちらは適当に買い物でも楽しんでください。やはり、この組み合わせでは、『救世主』一行ではないかと疑われるのも当然のようですし」


「ウィード?」


 スィルセンダの抗議の声を無視し、ウィードは彼女の腕を掴んで、人込みの向こうのほうへと歩いていった。


「お、おう……」


 ベブルはそう呟きながら、ウィードたちが去っていくほうを眺めていた。だが、ここで立ち止まっているわけにもいかない。人の流れに乗らなければ、人込みの中では誰かにぶつかってしまう。ベブルとムーガは、モールを真っ直ぐに歩き続けた。


「ベブル! じゃあ、行こう!」


 そう言われ、ベブルは声の主、腕にしがみ付いているムーガのほうを見た。彼女は上機嫌で、笑顔は輝いていた。



 ベブルとムーガはメインストリートから逸れ、建物の中に入った。そこにも人は多く、彼には、その人間の壁によって向こうに何があるのか見えなかった。どうやら、そこにはなにかの店があるようだ。


「こっち」


 ムーガに言われるまま、ベブルは歩いた。途中、何人もの人間と肩がぶつかる。だが、誰もそんなことを気に留めてはいない。ここを歩くには、そういうことは日常茶飯事的に起こるようだ。


 ムーガが連れて行った先には、広い部屋があった。そこにもまた人間は多かったが、床の上に円が描いてあった。それも、いくつも。


 よく見るとそれは単なる描かれた円ではなく、魔導転送装置だった。六十年前のアーケモスには存在せず、百八十年前の魔王の城にしかなかったものだ。魔王の城にしても、魔界ヨルドミスの遥かに進んだ技術が持ち込まれているからあっただけだ。


 ベブルはこの光景をどこかで見たことがあった。


 魔王ザンが案内してくれた魔界ヨルドミスの街だ。あの街は二界戦争で滅んだしまっていたが、ここはまるで、その高度に発展した街を復元したかのような街だった。


「これに乗って、どこに飛ぶんだ?」


 ベブルは訊いた。それに対して、ムーガはぷっと吹き出す。


「なに言ってるの。もう、本当に過去から来たんだなあ! 上に行くだけだよ。上に。そんなこと他の人に言ったら、よっぽどひどい田舎者だと思われるよ」


 ムーガは面白そうに笑う。そのせいで力が入ったのか、ベブルは自分の腕がきつく締め付けられるのを感じた。


「あ、ああ……」


 この時代の人間は、単に建物の上の階に行くためだけに、階段を使わずに、魔法学の先端技術である魔導転送装置を使用するのだ。恐ろしい発展ぶりだ。


「ほら、早く」


 ムーガに促され、ベブルは魔導転位装置のうちのひとつに乗った。彼女も一緒にそれに乗る。ふたりは光に包まれ、転送装置の外が見えなくなる。



 光が消えると、ふたりは別の階にいた。相変わらず、そこにも大勢の人々がいる。


 ってことは、こいつら全員、普通に、毎日この装置を使ってるってことなのか。


 ベブルはそう思いながら、そこにごった返す人々を眺めた。人々は楽しそうに会話をしながら行き交っている。購入したものなのか、荷物を抱えている人が多かった。


「こっちこっち」


 ベブルはムーガの言うとおりにした。どこに行くつもりなのか知らないが、彼はなにも言わなかった。いや、言えなかった。目に映る世界が、自分たちの世界とはあまりにもかけ離れている。従っておくのが得策だ。



 ここは食べ物屋だったのか。ベブルはそう思った。部屋中の棚には、箱詰めになった食料が所狭しと並んでいる。


 その店内を、人間のほうも所狭しとしながら、商品を見て廻っている。


 いや、違うのかと、ベブルはまた思う。店内にある食料は菓子類だけだった。ここは、菓子だけを売っている店のようだ。


 ベブルの隣で商品を見ていたムーガが言う。


「ベブル。フィナはどういうものが好きそう?」


「あ?」


「だから、フィナは普段どういうものを食べてるのかって。いま、病気と闘ってて辛いんだから、落ち着いたときに好きなものを食べさせてあげたいし」


 ムーガは、フィナの見舞いになにをもって行けばいいか、ということを考えていたのだ。


「お前、いい奴だな。俺はそんなこと考えもしなかった」


 そう言われ、ムーガは束の間照れ笑いをするが、またすぐに訊く。


「で、なにを買ったらいいの?」


 ベブルは考える。そして、フィナがこれまでどういうものを食べていたか、思い出そうとした。だが、特段思い出せない。フィナは好き嫌いなどせず、何でも出されたものは残さず食べていたし、偏食があったわけでもないように思えた。


 しばらく黙り込んでいたベブルの結論は、「よくわからん」だった。


「あいつは何でも食ったと思う。だが、菓子を食っていたのは見たことがないな」


「甘いものが嫌いなのかな?」


「その辺は俺も知らないが、俺たちの時代には、甘いものがありふれていたわけでもなかったからな。田舎のほうだと特に」


 不意に、ムーガの言葉遣いが新旧で混じる。


「ふうん。昔はそんなんだったんじゃな。……まあ、適当に好きそうなのを選んでいこうよ。もしフィナが食べなかったら、ベブルは食べるでしょう?」


「ああ……、そうだな」


「じゃあ、食べたいの選んで」


 ムーガはベブルに商品を選ぶよう勧めた。仕方なしに、彼は腰を屈めて棚の商品を見始める。だが、彼にはどれもこれも興味のないものだった。甘いものは好きでもなく、嫌いでもなかったが、棚に並ぶ数多くの箱の中で、これが食べたいと思うようなものはない。


 とはいえ、なにか選ばなければならないので、ベブルは一番近くにあった小さな箱を手に取った。


「これ——」


 ベブルはそう言いながら、彼の視界に、自分の指に嵌っているふたつの指輪が入ったのに気づいた。ひとつは『時空の指輪』。そしてもうひとつは『星の指輪』だ。


 ベブルは思い出した。自分の『寿星の日』にはフィナに『星の指輪』を貰ったが、彼自身はは彼女になにも贈っていないということを。


「それじゃあ、これだけ買ってこうか」


 そう言うムーガの手には、すでに菓子箱が三つあった。彼女はベブルの手にある箱を取ると、それらを持って店員のところへ持っていく。会計をするのだ。


 ベブルはそれに付いて行くと、ムーガに言う。


「待てよ、俺が払う」


「別にいいって。爺さんの遺産は全部わたしが貰ったんだし」


 そんなやりとりをしながら、ムーガは菓子代全額をさっさと支払ってしまった。そうして勘定が済むと、ムーガはベブルを連れてその部屋から出た。

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