第十一章

第十一章① 救うもの、救われるもの

 空はどこまでも真っ青で、空気が澄み渡っている。


 快晴。


 彼女はバルコニーへ出て、清涼な空気を吸い込んだ。心が洗われる。


 冷たい空気が、紫色の髪の一本一本をあおる。


 黒魔城。外壁の全てが真っ黒に塗られた、魔王の城。


 彼女が深呼吸をすると、部屋の中から警報が鳴った。誰かがこの城にやって来たのだ。鳴り方から、敵襲ではないことがわかる。来客だ。


 彼女は、壁に設置されている機械が映し出す映像を見る。そして、笑いながら叫んだ。


「フィナとベブルだ!」


++++++++++


 ベブルとフィナは、ムーガたちと共に大犬の魔獣ディリムに乗り、時空塔からボロネ街へと引き返した。


 その途中、昼頃、黒魔城付近で、ふたりはムーガたちと別れた。


 未来世界では、魔界ヨルドミスにいるレミナを助けることが出来なかった。そのため、フィナが「未来から見て百八十年前のの世界に行き、レミナを助けよう」と提案したのだった。


 仲間の誰もがそれに賛成した。見知らぬ子供を助けたいと思っていたのだ。


 ムーガはベブルと別れるのが名残惜しそうだった。だが、彼女とて、レミナ救出を辞めさせることはできなかった。彼女もレミナを助けたいのは確かなのだ。それに、時間移動をするには、ベブルとフィナと、ふたり揃ってでなければできないこともわかっていた。



 ベブルとフィナの前で、黒魔城入り口の大扉がゆっくりと開く。扉の向こうから、魔王ザンと保持神ソディ、そして破壊神の少女フリアが姿を現した。


「よく来たな」


 ザンは彼らふたりを満面の笑みで迎えた。


++++++++++


 ベブルとフィナは黒魔城の中に案内され、客室の椅子に掛けた。ザンもソディもフリアも席につき、みなでテーブルを囲んで話を始める。最初は決まりきった挨拶から。そして、次に本題に入る。


 ベブルが言う。


「百二十年後——俺たちの時代には、デルンもお前たちもいなくなっていた」


 フリアは、友人が久し振りに来たのだから、てっきり明るい話題が出るものと決めこんでいた。なのに、出たのは自分たちが滅びるという話だ。彼女はつい激昂し、テーブルを叩く。


「なんだって!」


「静かに、フリア」


 ソディが冷ややかに言い、渋々彼女は引き下がった。


 ザンが話を促す。


「それで? 話っていうのは、そのことじゃないだろう?」


 ベブルは首を縦に振る。


「ああ。話というのは、それよりも未来の話。ここから百八十年後のことだ」


 ベブルは隣に座っているフィナに目配せした。するとフィナは召喚魔法で、右手に石を呼び出す。透き通る、透明の石だった。


 その石には、すぐにソディが反応する。


「それは……」


「そうだ。これは、お前のだ」


 ベブルがそう言っている頃には、フィナがソディに、テーブル越しにその石を手渡していた。

 

 ソディは石を受け取ると、それを色々な角度から眺めてみる。それから、ベブルに訊ねる。


「これをどこで?」


「未来のデルンの地下研究施設の奥だ。そこにあった」


 ベブルの答えに、ザンが訝しげに首を傾げる。


「地下研究施設……?」


「ああ。まだ、この時代にはできてないんだ」


 フリアが会話に入ってくる。


「つまりはこの先、デルンが『地下研究施設』っていうのをつくって、そこにこの透明な石を置いておくってこと?」


「そういうことだろうな」


 ベブルは両手を頭の後ろで組み、椅子の背にもたれかかった。


 ザンがソディに言う。


「それで、ソディ、それは何だ? 見たところ、情報記録媒体のようだが」


「……以前、我々の手から『ブート・プログラム』が奪われたときに、同じく奪われたものだ。ローネが私に託したものだ……」


 ザンの表情が急に曇る。


「ローネが……。それには何と記録されているんだ?」


 そう言われて、ソディはその記録媒体を起動させ、テーブルの上に置く。すると、そこに女の姿が浮かび上がる。


 女が言う。


『これを見ているということは——、貴方は無事、アーケモスに降りられたのでしょう。貴方の無事を嬉しく思います、ソディ』


 その言葉に始まり、そこに浮かび上がった女の映像は、自分が助からない事を告げ、それでもレミナという名の子供を救ってほしいと懇願していた。


 レミナは現在封印されており、その封印を解くには、神界レイエルスと魔界ヨルドミスの戦争が終わるための十分な時間と、この石が必要なのだとも、彼女は言った。


『戦争が終わったら、あの子を助けてやってください——』


 そうして、女の姿は消えた。これが、その記録媒体に収められた情報の全てだった。


 ザンが狼狽する。


「何てことだ……レミナが」


「レミナって?」


 フリアはレミナを知らないようだった。彼女はソディに訊くが、彼は黙っている。仕方がないので、彼女はザンの方をじっと見つめた。


 ザンはフリアに説明する。


「君と一緒に、アーケモスに逃げようとした人たちだ。ローネと……、その娘、レミナは」


「あ……」


 フリアはなにかを思い出した。彼女たちとともにレイエルスを脱出し、ヨルドミスに渡った母子に心当たりがあるようだ。


 フリアは顔を青くしてザンに訊く。


「じゃあ、あの、女の人に抱かれていた子が、レミナ? そういえば、どうしてあの人たちは、私たちと一緒に逃げてたんだ?」


「それは……」


 ザンはそこまで言って、ソディの顔色を窺った。特に難色を示すでもないので、説明を続ける。


「ソディは君の家に仕えていたが、その前には、神界レイエルス軍の将軍だったんだ。その同僚にガドルという人がいてね。そして、ガドルの妻がローネ。そのふたりの子がレミナ。……ローネの頼みで、ソディは君を連れてレイエルスを出るときに、ローネとレミナを連れて行くことになった。ガドルは軍を率いていたそうだが」


 ソディが低い声で同意する。


「その通りだ。本来、フリアを連れて逃げること自体が私の独断だったのだが……。ローネは加わりたいと申し出た。まだ幼いレミナを救いたいと……」


 そこで、ベブルが言葉を挟む。


「ちょっと待て。その辺の話はわかった。だが、それならなんでレミナとローネはここにいないんだ。お前と一緒に逃げたんじゃないのか?」


 ソディは黙っていた。


 ザンが首を横に振る。


「魔界ヨルドミスの、俺のところまで来たのは確かなんだ。だが……。逃げる途中、レミナが泣いて、神界軍に見つかることが度々あった。俺たちは応戦したが、戦いの中で、フリアが怪我を負うこともあった。だから……、ローネは自分たち母子を置いて行けと主張しだしたんだ……」


 フィナが訊く。


「それで、言うとおりにした?」


 ザンは痛ましそうに答える。


「もちろん、俺は止めたさ。だが結局、ローネは姿を消した。魔界軍の襲撃もあって、俺たちは逃げざるを得なかった。そうして、離れたままだ」


 そこへ、ソディが付け足す。


「この情報記録メディアは、ローネが居なくなる前に、私に託したものだ。アーケモスに着いてからこの中身を見るようにと言い残して……」


「……そうだったのか」


 ベブルがそう言って、うなだれた。誰もが沈黙している。もはやこの世にはいないであろう、ローネを思って。


 ザンが沈黙を破る。


「ソディ、俺たちはここアーケモスへ逃げてきてから二年後に、一度、魔界ヨルドミスの様子を見に行っただろう? そのときにレミナを解放しなかったのか?」


 ソディはかぶりを振る。


「無理だったのだ。どうやらローネは、戦争はもっと長引くと考えていたようだ。時間によるプロテクトが外れていなかった」


 フリアは頬杖を付いている。


「そういえば、ソディ、三人でヨルドミスに戻った時、ひとりで勝手にどこかへ行ったよな。それって、この用事だったのか」


 その言葉に、ソディは無言で頷く。


「もう、いい頃なんじゃねえか?」


 ベブルがそう言うと、ザンが首を縦に振る。


「そうだな」


 フリアが勢いよく立ち上がる。


「行こう! いますぐ! 私のせいで、私が足手まといだったせいで、ローネが助からなかったんだ。だから……、だから……!」


 ザンは眉根を寄せる。


「違う。別に、君のせいじゃない」


「だってそうだろう! 私が、……もっと強かったら! ザンやソディに守られる存在じゃなく、人を守る存在だったら……!」


 フリアは激情に身体を震わせていた。だが、ソディが抑揚のない声で彼女を窘める。


「自分を責めるな。誰しも、幼い頃はそういうものだ」


 フリアは叫ぶ。


「早く大きくなれたら! そうしたら、もう、子供扱いされないで済むのに……!」


「おい」


 ベブルの声がしたが、フィナの隣の席には、もう彼はいなかった。その代わりに、彼は客間の出入り口のところに立っていた。


 フリアがベブルを見ると、彼はこう言った。


「おい、そこで騒いでるくそガキ。ホラ、とっとと時空塔に行くぜ」


++++++++++

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