第十章⑨ 善悪の所在
「あ、帰って来ましたよ」
ウィードが言った。彼の言葉とほぼ同時に、時空塔最上階の魔導転位装置に、光が戻ってくる。上から飛んできた光は、やがて、ふたりの人間の形になる。そして、ドアが開くと、装置からベブルとムーガが降りてきた。
ムーガが悲しげに微笑む。
「ただいま」
「レミナさんは?」
訊いたのは、スィルセンダだった。彼女が見たところ、ムーガもベブルも、子供を抱えていない。
「俺たちが行けたのは途中までだ。魔界ヨルドミスには行けなかった」
そう言いながら、ベブルは装置から『ブート・プログラム』を取り外した。思いのほか、簡単な操作で外れてしまった。装置に灯っていた光が消え、フロアが薄暗い闇に落ちた。
ここで声をあげたのはオクだった。『真正派』の調査員たちが、魔導転位装置の周りを取り巻いている。
「なにをするのです。勝手に『ブート・プログラム』を外すとは」
「はあ? 勝手に、だって? これはな、ムーガのジジイの形見なんだ。持ち主に返すのが当然ってもんだろ」
ベブルの口調は、喧嘩を売る時のようなものだった。そう言いながら、彼は赤い玉の形をした『ブート・プログラム』を、傍らにいるムーガに手渡す。彼女はそれを受け取る。
「そうじゃ。これは爺さんの形見なんじゃから」
「しかし……」
ベブルは、オクが何か言いかけたのを無視する。
「あのな、これはこいつのもんだし、それにこいつは、これをお前たちにやるなんて一言も言わなかったよな?」
「それは……」
オクは狼狽した。
そこでムーガは、追い討ちを掛けるように言う。
「図々しい」
もう『真正派』たちには、なにも言えなかった。ベブルたちが『ブート・プログラム』を持ち去るのを、ただ黙って見ているしかなかった。
++++++++++
時空塔の外に出ると、空には星が散りばめられていた。もう夜だった。こんな時間に、ディリムに乗ってボロネに戻るわけにはいかない。
「しょうがねえな。
ベブルがそう言い、実際、そうなった。
時空塔で調査をしている『真正派』たちは、塔の内外に泊り込んでいる。外に泊まる場合には、天幕を張って、その中で眠っていた。
ベブルたちは『真正派』の下っ端から天幕を借り、それを張って眠ることにした。昼にやったように夕食を作ると、座ってそれを食べながら、話を始める。
ムーガが、皆で食べ物を囲んでいるときに言いだす。
「重要な話があるんじゃが。その話というのは、外でもない」
「何です? 昼間のベルドさんみたいなことを言って」
スィルセンダはくすくす笑った。彼女は昼間そうしていたように、大狼の魔獣ファンディアに餌を与えていた。
「ベルドの名前のことなんじゃが……」
ムーガはそう言った。そこで、ウィードが苦笑いしながら彼女を窘める。
「ムーガさん。そんなこと言って、昼間のベルドさんの言葉と合わせようとして……。でも、ベルドさんの名前がどうしたって言うんです?」
ムーガは噛んでいたパンを飲み込んだ。
「偽名だったんじゃ」
「「偽名?」」
スィルセンダとウィードは、当然、声をあげて驚いた。
フィナは静かに、ベブルをじろりと睨む。
「言った?」
「なんだよ、この場合はしょうがなかったんだ」
ベブルは決まり悪そうに反論した。
スィルセンダは慌ててムーガに訊く。
「そ、それってどういうこと、ムーガ?」
「それはのう……」
ムーガが言いかけたときに、ベブルが彼女を手で制止した。
「俺が言う」
ベブルは、スィルセンダとウィードの方へ向き直った。そして、わざとらしい自己紹介をする。
「ええ、俺の名前はベブル・リーリクメルドと言います。はじめまして」
これには、ウィードもスィルセンダも笑った。彼らは、ベブルの言ったことを全く信じていないのだ。
「なんの冗談ですか?」
ウィードはそう言った。
ベブルは彼の指輪を見せる。
「いや、本当なんだ。俺たちは、このデルンの『時空の指輪』で、だいたい六十年くらい前から来たんだ」
「時間移動の魔法なんて、あるわけないじゃないですか」
スィルセンダは苦笑した。
だが、ベブルとムーガは、口々に言う。
「本当なんだ」「本当なんじゃ」
冗談だと思って笑っていたウィードとスィルセンダは、互いに顔を見合わせる。
「あの……それ」「本当……なのですか?」
ウィードとスィルセンダが訊くと、ベブルもムーガも深く頷いた。フィナは、ひとり、溜息を吐いた。
スィルセンダが言う。
「では、いま、わたくしたちの目の前にいらっしゃるのは、わたくしとムーガの共通の祖父である、ベブルお爺様だというのですか?」
ベブルはうなずく。
「ああ、どうやらそうらしいな」
「そんな……。すごい!」
スィルセンダの瞳は落ち着きなく動いていたが、その口元は確かに笑んでいた。
この展開には、フィナは驚いていた。いくら彼女でも、ムーガとスィルセンダが、ベブルの子孫であるなどということは解るはずもなかったからだ。
ベブルは、フィナに耳打ちする。
「な、わかったろ? 孫たちの前で黙ってるわけにもいかなかったんだよ」
「それじゃあ、シウェーナさんも、六十年前の、過去の世界から来られたのですか? ああ、もしかすると、貴女も偽名なのでは?」
ウィードが言った。
フィナは黙って、彼女に注目する仲間たちを見回した。
ムーガも同調する。
「それもそうじゃな。おぬしほどの魔法の使い手が、『魔法名なし』というのは、変だと思っておったんじゃ。これほどの力がある者に魔法名を与えぬ師がおるとすれば、よほど眼力のない師でしかない」
スィルセンダもフィナに微笑む。
「どうです? シウェーナさん。魔法名の付いた本名を持っていらっしゃるんでしょう?」
そこまで言われては、仕方がなかった。ベブルも本名を明かしたことだし、自分も明かしてもいいかと、フィナは思った。
「デューメルク。フィナ・デューメルク」
そう、ゆっくりとフィナは言った。
静かになった。
見事に、ムーガ、スィルセンダ、ウィードの三者とも、口を開けてフィナを見ていた。
ベブルが言う。
「俺もこいつも、何でかこっちの時代で有名らしいからな。偉だから、話をややこしくしたくなくて、そういうわけで偽名使ったんだ。そりゃ驚くかもしれんが……」
フィナは無言で同意し、頷いた。
スィルセンダがようやく声を出す。
「お……、お婆様!?」
ベブルが笑う。
「はぁ? なんだ、こいつも、お前の先祖だったのか。道理で、髪の色が似てると……」
「婆さんじゃったのか!?」
ムーガも、スィルセンダと同様の言葉を発した。
「なんだ、お前の先祖でもあるのか」
「笑い事ではないぞ、ベブル」
ムーガが、真剣な瞳で、彼を見つめる。
「はあ?」
「あのな。ベブル・リーリクメルドとフィナ・デューメルクは、夫婦だったんじゃぞ」
そう言われて、ベブルは暫く考え込んだ。そして、意味を理解し、大声で叫ぶ。
「はあ……? 『婆さん』って、その婆さんかよ!?」
ムーガは眉を顰める。
「他にどの婆さんがあるんじゃ」
「あるだろ! ……頑張れば」
「どれだけ頑張ったらそうなるんじゃ」
ベブルはより一層大きな声を張り上げる。
「とにかく! なにが何でも、それだけはありえねえ! 俺が、よりにもよってこの女と夫婦だって? お前らがその子孫だってのか? ありえねえ、絶対にありえねえ!」
フィナも同意しているようで、強く頷いている。
「ありえない」
ベブルはムーガを指差す。
「そもそもな、世界一いい女を見たあとに、今更、俺がこの女を相手にするわけねえだろうが!」
フィナは静かに頷き、また言う。
「ありえない」
不意にウィードが感慨深げに言う。
「ああ、これは困りましたね。これでは、ムーガさん、貴女は生まれないことになってしまいますよ。貴女自身のせいで。無実のスィルさんまで巻き込んで」
「美しさは罪なんかのう」
ムーガはそう言って、わざとうなだれ、溜息をつきながら髪を掻き揚げた。
スィルセンダは不機嫌そうに言う。
「何です? それでは、わたくしが無実だというのは、気に食わないのですけれど……」
「僕はそういう意味で言ったんじゃないんですけどね……」
ウィードは苦笑して、頭を掻いた。
夜は更けていった。
++++++++++
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます