第十章⑦ 善悪の所在
突然、ベブルが駆け出した。ムーガはそれに続く。
ベブルは進路上の『真正派』たちを押しのけ、魔導転位装置からオクを引きずり出した。
そして、ふたりは魔導転位装置の中に入る。
床に倒れたオクは、慌てて立ち上がり、逆にベブルたちを転位装置から引っ張り出そうとした。だが、ムーガが彼を蹴り飛ばす。
「な、何をするんです!」
ムーガはベブルに向かって言う。
「早く!」
ベブルは機械に『ベブル・リーリクメルド』と打ち込む。合い言葉は一致し、装置全体が光に包まれる。装置の入り口の扉が閉まっていく。他の『真正派』たちはふたりを止めようとするが、どうにもできずにあたふたとしているだけだった。
ベブルは転移装置の外の仲間たちに言う。
「じゃあな」
「ムーガさん! ベルドさん!」
ウィードが呼びかけた。それに対して、ムーガが応える。
「ここで待っておれ! レミナはわしらが助けてくる!」
装置の入り口は完全に閉じた。外からでは、ベブルとムーガの姿はどんどん見えなくなっていく。
「ムーガ!」
スィルセンダが叫んだが、もう声は返ってこない。
塔全体が激しく振動している。
「転送成功か」
フィナが呟いた。
++++++++++
気が付くと、ベブルとムーガは大きな球形の乗り物の中にいた。周囲には、闇と星の世界が広がっている。透明な乗り物の壁を通して星の世界が見える。
「すごいぞ、ムーガ。俺たちはアーケモスを抜けて、
星辰界——それは見上げた空の世界。星々の世界。人に触れることは出来ない世界。地上の世界の遥か上空にある世界。闇の世界。そして、世界と世界の狭間にある、『繋ぎの世界』。
ベブルは目の前に広がる星の世界に見入っていた。これが、いつも見上げていた世界なのか。
「ベルド。あれを見てくれんか」
ベブルは、ムーガが指し示した方向を見た。青く巨大な星がそこにはあった。そして、その近くには、灰色の星が浮かんでいる。
あまりの大きさに、ベブルは驚嘆した。
「な、なんだあの馬鹿でかい星は」
「アーケモスじゃ。わしらの世界じゃよ」
ムーガは落ち着き払って言った。
「まさか。俺たちの世界が、丸いわけないだろ」
「なんじゃ。歴史には詳しいのに、一般常識はサッパリなんじゃな」
「はあ?」
「わしらの世界は丸いんじゃよ。じゃが、とても大きいんで、丸いとは感じられんのじゃ。じゃが、星辰界まで来ると、丸いのがわかる。きょうび、そんなことは初等の魔術師でも知っておる。……まあ、それを実際に見た人間は、わしらが始めてかもしれんが」
ムーガの説明を聞いて、ベブルは、そんなもんなのかと思った。そういえば、最初にファードラル・デルンの地下施設に行ったときに、球体に地図を貼り付けた模型を見たことを思い出した。あれは、アーケモスの模型だったのだ。
そうこうしている間に、アーケモスが一瞬で遥か遠くに去っていった。見れば、周りの星々も光の筋になって消えていく。自分たちの乗っている乗り物が、それと逆方向に、物凄い速さで飛んでいるせいだった。
乗り物に取り付けられている機械が、ふたりに言う。
「この輸送機は、アーケモス〜ヨルドミス第三中継ポイント間を往復するよう設定されております。ただいまより、歪亜空間領域に突入します」
外の光の筋が伸び、途切れ目を失った。黒と白の縞模様の世界を越えると、幻覚的な色彩の世界に飛び込んだ。
「わしらは……」
ムーガはそこまで言って、咳払いをした。周りの風景が切り替わったことで、いま、自分たちがふたりきりであることを再認識したのだった。
「わたしたちは、亜空間に入った」
外を見ていたベブルは、視線をムーガの方に向ける。
「ああ……。魔界ヨルドミスっていうのは、つくづく凄えよな。こんなものまで持ってたんだからな」
「……かつて、ファードラル・デルンは、アーケモスを支配したあとに、魔界ヨルドミスに宣戦布告するつもりだったらしい。そのあとは、神界レイエルスを狙っていたんだ、って。できるわけがなかろ……、ないのに」
ベブルは笑う。
「もう無理して言葉遣いを直さなくていいって言っただろう? からかって悪かった、すまん」
しかし、ムーガは首を横に振る。それにつられて、長い髪も左右する。彼女は両腕を、力なく身体の横に下ろす。
「じゃが、見つからんのじゃ。理由が。……明確な理由が。じゃから、少なくとも、言葉遣いくらいは直そうと思って……」
ああ、だからそんなつらそうな目で見ないでくれよ。ベブルは顔を背ける。俺は、こんなに好いて貰えるなんて思ってなかったよ。期待してなかったよ。だから、嘘をついたんだ。だから……。
柔らかいものがぶつかった感触があった。はっと前を向くと、ムーガがベブルに抱きついている。彼女は頬を彼の胸に押し付けている。彼には彼女の表情が見えない。艶やかな桃色の髪しか見えない。
ムーガは言う。
「理由は……、あるんじゃ。ベルドは、温かい……」
ベブルは真に受けない。
「温かい? 俺としては、冷たく突き放すほうが自信はあるんだがな。温かい? まさか」
「温かいんじゃ。じゃから、おぬしに肩を抱かれたときも、うっかり、眠ってしもうた」
「あれは、肩を抱いたんじゃなくて、引っ張ったんだが」
「あの眠りは、幸せじゃった」
それからムーガはしばらく黙った。仕方なく、ベブルも黙ってじっとしていた。こうして抱き付かれているのは、当然、嫌なことではない。むしろ、この状況で突き放さなければならないほうが、強烈な苦痛だ。
ムーガは顔を上げ、ベブルを見つめる。
「だめじゃろうか? 出会う前から好きだったと思えるくらいなのに」
「わかった」
ベブルは言った。半ば
「本当に?」
「ああ」
「ベルド!」
ムーガはより一層、ベブルを強く抱き締めた。それに応えるように、彼も、彼女を抱き締める。
「俺だって……」
ムーガは幸せな微笑を浮かべていた。
温かい……。
そのままの姿勢で、ゆっくりと、声を押し出すように、ベブルが口を開く。
「……聞いてくれ」
「なに?」
「俺は……、お前を騙してたんだ。ずっと……」
この言葉を聞いて、ムーガはベブルから身を離した。そして、訝しがった。いまは、ふたりとも、はっきりと互いの顔が見える。
「どういうこと?」
「まず、俺の名前。俺は、ベルド・リーリクメルじゃない」
ムーガは一瞬、雷に撃たれたかのように放心していた。が、ややあって我を取り戻すと、笑顔をつくった。
「妙な名前だとは、思ってたのじゃよ。別に、どういう名前でも構わない。襲って来る奴らから逃れるために、名前を変えていたん……でしょう? わたしは。寧ろ、リーリクメルなんて名前じゃないほうが……」
「それにもうひとつ。俺は、この時代の人間じゃない」
「この……、時代?」
ムーガはまた、その言葉の理解に、いま少しの時間を必要とした。
ベブルは自分の指に嵌っている指輪をムーガに見せる。
ムーガはそれを見て問う。
「その指輪、シウェーナも付けておったよな。それが、どうしたんじゃ?」
指輪には、青い宝石がふたつ収まっている。
「これは、デルンがつくった『時空の指輪』だ。俺は、これの力で、六十年前の世界から来た」
「嘘じゃ!」
「嘘じゃない!」
ベブルが余りにも真面目に言うので、ムーガは沈黙した。そして、大きく息を吐いて、それから、彼女はもう一度完璧な微笑をつくった。彼女はまた、彼にしがみつく。
「じゃったら……、だったら。もう絶対に六十年前の世界には帰さない」
ベブルもそれに応じる。
「悪かった……。ずっと、言いそびれてたんだ。お前を混乱させちまうと思って……」
「ううん。どおりで、時々変だとは思った」
「これがなけりゃ、もっと早くに答えられたんだが……」
「うん」
ムーガの言葉は飛び跳ねていた。よほど嬉しいのだろう。それだけ嬉しそうにされると、ベブルの方でも嬉しくて仕方がなかった。
ムーガが身体をくっ付けたまま訊ねる。
「それで、本当の名前は?」
ベブルはゆっくりと、その名前を発音する。
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