第十章⑥ 善悪の所在

 夕方になって、ベブルたちは時空塔前に到着した。魔獣から降り、それを消すと、彼らは時空塔の入り口へと歩いて行った。


 空に向かって聳え立つ塔。とはいえ、思ったほど高くはない。魔界ヨルドミスへ行くのに、高さは必要ないというのだろうか? 外から見て、六、七階建ての建物と同じくらいに見える。


 ムーガを先頭にして進むと、入り口を守っていた黒ローブの調査員が彼女らを制止しようと身体を張った。


「ルーウィング様。どうしてこちらへ? 連絡は受けておりませんが」


「伝言役を追い越してしまったようじゃのう。まあよい。そこを通せ」


 ムーガは少しも動揺しないでそう言った。だが、『アールガロイ真正派』の調査員はその場を動かない。


「それはできません。この時空塔は、我々『真正派』の管轄であります。許可がなければ、お通しするわけにはいきません」


 ベブルはそれを聞いて、無茶を言う。


「じゃあ、お前が許可を出せ! いますぐだ!」


「そ、それは無理です。私には、許可を出す権限がありません」


「だったら責任者を呼んでこい」


 ベブルがそう言ったときに、その調査員の背後に、もうひとりの『真正派』の男が現れた。その男は抑揚のない声で言った。


「なにかご用でも?」


 ベブルが答える。


「ああ、中へ入れてくれ」


「それは無理で――」


 ムーガが彼の言葉を遮る。彼女は右手に、赤色の透明の玉を召喚した。


「見るがよい。『ブート・プログラム』じゃ。先刻、偶然発見した」


 『真正派』のふたりはその玉をじっと見つめ、黙っていた。そして、しばらくして、後から来た方の男が言う。


「では、こちらへ」



 時空塔の中は薄暗かった。所々に魔法の照明を持ち込んで、『真正派』の調査員たちが塔内の魔法機械を調べていた。調査箇所だけが少し明るく、あとは闇にうずもれている。


 壁じゅうに、なにかの模様が描かれている。魔法的な作用を持つものかもしれないと、ベブルは思った。そういえば、“アドゥラリード”の身体じゅうにも、これと似たような種類の模様が描かれていた。


「私の名はオク。オク・フィウィーンドです。よろしく」


 歩きながら、先導する『真正派』の男がそう自己紹介した。


 ベブルたちは何度か階段を上り、扉をくぐった。すると、とんでもない部屋に出た。


 深く広い崖があるのだ。これでは、向こうへ渡ることができない。


 だがオクは、手馴れた様子で、壁のスイッチを押した。すると、崖のこちら側から向こう側へ、二本の光の筋が走った。


 オクは言う。


「この線の内側は通ることが出来ます」


 そして、彼らはそこを渡り始めた。その途中で、ベブルはオクに訊ねる。


「なあおい、ここ、谷底が見えねえんだが。この塔の高さから言って、これは変なんじゃないか?」


 オクはあっさりと肯定する。


「そうです。これはまやかしです。実際には、これほど深い谷は存在しません。ただ、この谷に落ちると、魔法で塔の入り口に飛ばされてしまいますよ」


 今度はスィルセンダがオクに訊く。


「ここには、他にも沢山の罠が?」


「そうです。非常に多くの罠がありました。ヨルドミスの魔族が、侵入を拒むためにつくったものなのでしょう。いまはもう、危険な罠はひとつもありません。全ての罠を解除するのに、かなりの犠牲を伴いましたが」


 要は、多くの『真正派』の人間を犠牲にして、ここの調査を進めてきたということだった。


 ベブルには、わけがわからなかった。あれだけ我が物顔でアーケモスじゅうの遺跡を占領する『真正派』。だが、彼らもその『調査』によって、あっけなく命を落とす。一体、なにがこうさせているのか。



 ベブルたちは最上階に到着した。このフロアにも数人の『真正派』たちがいた。彼らは忙しそうに、魔法機械をいろいろ触って、なにかを入力して、反応を見ていた。片手には分厚い魔法の本を持ち、もう一方の手で機械に触れている。部屋の中央には、何冊もの本が積み上げられていた。参考資料だろう。


 部屋の一番奥に、巨大な魔導転位装置がある。おそらくこれが、魔界ヨルドミスへ行くためのものだ。


 オクは、そこにいる他の『真正派』たちに、ことの次第を話した。すると彼らは、作業を中断し、期待を込めた瞳でムーガを見た。


 オクが、ベブルたちの方に振り返って言う。


「それでは、『ブート・プログラム』をお渡し下さい」


 だが、ムーガは拒む。


「いや、わしが直接取り付けに行く」


 オクは首を横に振る。


「複雑な機巧で組み上がっているのです。そう簡単には取り付けられません」


 そう言われては仕方がない。確かに、言われてみれば一理ある。未知の魔法機械の塊である時空塔の中心部だ。どれだけ理解しがたい仕組みでできあがっていることか。


「……そうじゃな」


 ムーガは渋々、オクに赤色の玉『ブート・プログラム』を手渡した。彼は彼女に一礼すると、仲間と共に作業に取り掛かった。


 ベブルたちはその作業を見ているだけだった。その装置に近づくことすら許されなかった。少しでも近づけば、咎めの言葉が与えられた。



 しばらくすると、魔導転位装置が光りはじめ、その周囲の装置に光の筋が走った。そして、転位装置の周辺だけが、異様な明るさを放つ。


「おお……!」「動いた!」


 『真正派』の研究員たちは、その光景に感動し、一瞬それに見入っていた。だが、すぐに作業を再開し、魔導転位装置を完全に動かせるようにしようとする。


 オクは魔導転位装置内に入り、その内側の機械を弄っていた。


「何てことだ……」


 オクがそう言うと、周囲の黒ローブの男たちが、そこへ集まって来る。


「どうしたのです?」


合い言葉パスワードが掛かっている。……仕掛けたのは、魔王だ」


 オクは色々入力して、符合するかどうかを試してみた。だが、どの言葉も一致しない。


 研究員のひとりが訊ねる。


「合い言葉の手掛かりは何なのです?」


「魔王のレイエルスの友人であるソディ……の友人の娘の名……だと」


 オクはそう答えた。彼は、頭痛が激しそうなしかめっ面をしている。


「魔王のレイエルスの友人? 魔界ヨルドミスと神界レイエルスは敵対していたのでは!?」


 研究員たちは、口々にそう言った。


 なにを今更と、ベブルは思った。だが、魔王ザンが神界レイエルスの住人と交流をもっていたということは、一般には全く知られていないことだ。ベブルたちは知っていることだとしても。


「フリアか?」


 ベブルは小声でフィナに訊いた。彼女は首を横に振る。


「ソディはフリアの世話役」


 どうやら違うらしい。


 代わりに、ムーガが声をあげる。


「わかった。レミナじゃ!」


「レミナ?」


 当然、『真正派』の研究員たちが聞いたことのない名前だった。彼らがムーガの言葉を真に受けて、その名前を入力するはずもない。


 しびれを切らしたムーガは、召喚魔法待機空間から透明の石を呼び出した。そしてそれに、空中に映像を映し出させる。


「おぬしら、これを見よ」


『貴方の無事を嬉しく思います、ソディ——レミナにだけは……——あの子を、助けて……——』


 一通り映像を表示させると、ムーガはその石を仕舞った。


 その映像を見て、『真正派』の研究員たちは、互いに顔を見合わせた。そして、転位装置に「レミナ」という単語を入力する。見事に、この合い言葉は通った。


「やった!」


 研究員のひとりが声をあげた。彼らは皆、喜び合っている。誰の協力のお陰かも忘れて。


 だが、その喜びも束の間、すぐに消え去った。


「まだだ、まだ合い言葉が必要だ」


 オクが言った。周りの研究員たちは落胆した。


「今度は何です?」


「先程のものよりも、もっと難しい……。魔王の、アーケモスでの友人の名を入力せよと。魔王を打ち負かす力を持った人間の名を——。これが最後の問いだ」


「デルンはどうです? ファードラル・デルン。事実、魔王は彼と戦って滅んだのでしょう?」


 研究員のひとりが言って、オクが打ち込んだ。だが、これは正解ではなかった。


「駄目だ。そもそもデルンは魔王の友人ではない」


「魔王の友人がアーケモスにいたなんて、どの文献にもなかったですよ」


「オクさん、アールガロイ師はどうでしょう? 我らの師です。魔王がいた時代にご活躍されたはずです」


 オクは機械に『ヒエルド・アールガロイ』と打ち込む。だが、これも通らなかった。彼は首を横に振る。


「駄目だ。アールガロイ師が魔王と交流があったなどという話も、どの文献にもないんだ」


 『真正派』の研究員たちが苦心しているときに、ベブルにはその答えに心当たりがあることに気づいた。


 おいちょっと待てよ、それって……。


 アーケモスの人間で、魔王を打ち負かす力を持った、魔王の友人……。


 それって、俺じゃん。


「ベブル・リーリクメルド」


 研究員たちは振り返った。そう言い切ったのは、ベブルだった。


「それが答えだ」


「なにを言い出すんじゃ、ベルド」


 ムーガはベブルに言った。その表情は当惑していた。なぜそんな的外れなことを言うのかと。


 オクが魔導転位装置の中から嘲笑う。


「ありえませんよ。歴史を少し知ればわかることです。いいですか、魔王は約百八十年前に滅んだのです。かたやリーリクメルド師は、四年ほど前に亡くなった方です。魔王の友人のはずがないでしょう」


 しかし、ベブルは引き下がらない。


「だが、それが答えだ」


「なにを仰る」


 『真正派』の研究員たちは取り合わなかった。もともと気の短いベブルにとって、これはあまりにも腹に据えかねる態度だった。


「ベルドさん。駄目ですよ。あてずっぽうは」


 ウィードがベブルを窘めようとしたが、彼が聞くはずもない。


「ムーガ、準備はいいか?」


 ベブルは傍らのムーガに言った。一瞬、何のことか理解できなかたが、彼女はすぐに理解した。


「あ、ああ……」


「俺を信じろ。俺は歴史学者だ」


 大真面目にそう言うベブルを見て、ムーガは微笑む。


「信じる」

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