第九章⑥ 仄かな星の光
部屋の明かりは消えていた。陰の中、ムーガは静かな寝息を立てて、ベッドに横たわっていた。
フィナは窓の傍に立ち、外を眺めていた。雨が降っている。空は暗く、星がない。おそらく、下の階で大騒ぎをしている人々は、雨が降り出したことに気付いていないだろう。
「そこにおったのか」
ムーガが声を出した。フィナは振り向く。
「……」
「下に行かんのか?」
「行かない」
「変な奴じゃな。普通は宴会に行きたがるのに」
ムーガはそう言いながら、ベッドの中でもぞもぞと動いた。寝返りをうったのだ。フィナのいるほうを向くように。
「貴女も」
フィナはそう言った。ムーガはふっと笑う。
「そうじゃな。わしも変じゃ」
それからしばらく沈黙が続いた。フィナは何も言わない。外の薄明かりが、彼女の頬をぼんやりと照らす。
ムーガはフィナに訊く。
「なあ、戦えば戦うほど眠くなる病気って、知らんか?」
フィナは首を横に振った。
ムーガは息を吐く。
「そうか……。わしはどうも、力を出せば出すほど、意識が遠のいていくんじゃ。何でじゃろうな」
「心配?」
「ああ? ああ、まあのう」
「予言の怪物が本当にいれば、もっと力を出すはず」
「そうじゃな……」
「それが不安?」
フィナの言葉に、ムーガははっとした。まさにその通りだったからだ。それを、きっぱりと言い当てられてしまった。
ムーガは頷く。
「ああ……そうじゃ。怪物を退治したときに、ちゃんと意識があるのかと思うとな……」
「自信がない?」
「ああ……。本当を言うとな。いますぐに予言の怪物が出てくれば、何とか持つかもしれんが。……いや、わからんな。もう、いまでは」
「やめるのは?」
ムーガは頭の後ろで腕を組み、それを枕にする。
「そうもいかんよ。ウィードもスィルも、そう言ってくれた事もある。……最近ではベルドもな。じゃが、わかっとるんじゃ。わしひとりの苦労など、たかが知れていると。それよりも、皆が、わしの力を必要としておるのじゃ」
「死んでも?」
「ああ。わしが死んでも、人々は、最初は悲しむかもしれんが、それよりも喜びのほうが大きかろう。怪物を倒した喜び。その後は皆で祭りでもして、意気揚々とわしの銅像なんぞを造って……」
ムーガは大きく深呼吸した。
「シウェーナ、わしは幸せなんじゃよ。こうして、みなに貢献できることが。禍々しい予言を片付ける役目を担えることが」
フィナが問う。
「なら、なぜ?」
「……なに?」
「覚えていて欲しかった? 本当はつらかったと」
「違う!」
ムーガは反論した。だが、そこから先の言葉は繋がらない。なにも言えず、黙った。静かになった。
しばらくして、下の階から爆音のような笑い声が聞こえてきた。対照的に、静かなこの暗い部屋。
ムーガは呟く。
「……そうじゃ」
「やめるのは?」
「そうもいかんと言ったじゃろう。皆に貢献できるのが嬉しいのは、間違いないんじゃから」
「つらい幸せ」
「ああ。それでも、幸せじゃ」
それからムーガはまた、黙った。そして、ベッドの中で深呼吸する。フィナは踵を返し、再び窓の外を見やる。
月は見えない。
ムーガはまた、寝返りをうって、今度はフィナに背を向ける。
「のう、シウェーナよ」
「なに?」
フィナは振り返らなかった。
「ベルド……あいつは何者なんじゃ? あいつには、どこかで会ったような気がするんじゃ。じゃが、それでいて、いままであんな奴には会ったことがなかった。傲慢で、乱暴で、粗雑で、そのくせに、真っ直ぐで……。人のことはどうでもいいようで、突っ撥ねるくせに、どうして」
ムーガは言葉をそこで切った。そして、一呼吸おいてから、続ける。
「どうして、温かい?」
フィナはじっと、窓の外を見ている。
音もなく降りつづける雨。
暗く静かな夜。
星々の語り合う声もない。
「炎のせい」
フィナがそう言った。
そしてムーガが呟く。
「多分、あやつは、わしに似とるんじゃ」
「そう」
フィナの言葉に、ムーガは微笑む。背を向けているため、その表情はフィナに見せるためのものではない。
「あやつは、わしが目指すべき存在じゃろう」
フィナは振り返る。
「彼も不完全」
「あやつとなら、ともに完全を目指せるじゃろうよ」
ムーガはそう言った。それから彼女は、ひと言付け加える。
「おやすみ」
「おやすみ」
フィナも、窓の傍に立ったまま、そう返した。
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