第六章

第六章① 力あるもの

 ベブルは大犬の魔獣ディリムに乗って、荒野を駆けていた。彼の傍らにはヒエルドが、そして前方にはフィナとウォーロウが、それぞれ大犬に乗って走っていた。


 草原地帯は遥か後ろ。これから先には人間の住んでいる場所はない。ここからは、魔王の領域。



 不意に、彼は紅蓮の世界に飛び込んだ。赫烈かくれつな光を放つ世界。灼熱の炎。燃えている。大地が、空気が、天が。すべて燃えている。生きているものなど、いはしない。


 いつからこうだった? いつの間に世界は燃え始めた?


「俺じゃない!」


 彼は不意にそう思った。彼がそうしたはずなどないのに。


 ―― ベブルよ、お前はわらわの許に来るのだ。それが定めだ。


 煌々こうこうと輝いている。何もかもが。


 ―― それがお前の運命なのだ。


 すべてのものがあかい光を発し、もう二度と、もとの穏やかな世界には戻れないと、喚き、泣き叫んでいる。


 やめろ……もう、やめろ!



 気がつけば、ベブルは大犬ディリムに乗って魔王の城――黒魔城へ向かう途中だった。彼の傍らにはヒエルドが、そして彼の前方にはフィナとウォーロウが、それぞれ大犬に乗って駆けていた。草原地帯は遥か後ろ。この荒野の先に、魔王の城がある。


 ベブルは、フィナが振り返った気がした。あの『声』とのやり取りを聞いていたのだろうか。……おそらくそうだろう。だが、彼女は何も言わなかった。



 黒魔城が見えてきた。その名のとおり、完全に真っ黒な色使いの城だった。この城が黒いのは、ただ城の壁に黒い塗料を塗ったから、というわけではなく、何か黒い、岩のようなものでできているからだ。城全体が黒光りしている。


 ベブルたちは軽快に、黒魔城へと近づいていく。が、そこでフィナは大犬を停めた。それに気づいてウォーロウが、そしてベブルが、それから最後にヒエルドがディリムを停めた。ヒエルドはまだ大犬に乗り慣れないらしく、前方にいたフィナとウォーロウを大幅に追い抜いて、その先でようやく停まった。


「どうしたんだ?」


 ベブルはフィナに訊いた。その頃にはすでに、彼女はディリムから降りようとしているところだった。それから彼女は、魔法でディリムを消した。


「何かある」


 それを聞き、ウォーロウも、ベブルも、ディリムから降り、ウォーロウがその二頭のディリムを消した。


 だが、ひとり、ディリムから降りていない人間がいた。ヒエルドだ。彼は呆然としているようだった。だが、ベブルたちには、何故彼が呆然としているのか見当も付かなかった。


 ヒエルドがようやく口を開く。


「な、な、でかい子はどこいったん? なんで消えたん?」


「ディリムのことか?」


 ベブルが訊いた。だが、彼は正直言って、ヒエルドの相手などどうでもよかった。ヒエルドは大きく頷いた。


 ウォーロウが説明する。


「魔法で消したんですよ。魔法で出したんですから、魔法で消せます」


 ヒエルドはどこか落ち着かない。いまだにディリムから降りようとはしない。


「でもでも、生きてるんやろ、この子ら。こんなにあったかいんやから」


 そう言って彼は、今自分が乗っているディリムの首にしがみ付いた。


「魔法生物っていうのはどれもそんなものですよ」


 ウォーロウがそう言って、彼はヒエルドのほうに近づいた。


「うわぁ、あかん、あかん! この子だけは絶対に消したらあかん!」


 ヒエルドは叫び始めた。彼は、ウォーロウが今にもこのディリムを消してしまうのではないか、と思っているのだ。


「でもですね……。そいつを魔力に戻して回収したいのですが……」


「お願いやから! この子はあかん!」


 そう喚いて、彼はより一層そのディリムに抱きついた。こうなっては、もうどうしようもない。無理矢理消してしまうのも気が引ける。


「……わかりました。じゃあ、僕の魔力から切り離して、あなたの魔力に引き継いでください」


 そう言ってウォーロウは手に鉄の杖を召喚した。ヒエルドは慌てて、腰に差していた彼のカシノキの杖を手にとった。彼らは杖を振り、ディリムを形作っている魔力の源を、ウォーロウからヒエルドに引き継いだ。


 ウォーロウが自身の魔力から切り離したのは、この先彼が魔力を封じられたときに、それと同時にこのディリムが消えてしまうことを防ぐためだ。その責任は、このディリムを欲しがっているヒエルドが負うべきだろう。


 こうして、晴れてディリムの飼い主はヒエルドになった。彼はそのディリムに『ベブル』と名付けたが、即座に本人にやめさせられた。どうやらヒエルドは、ベブルの名前が『ベブル』であることをすっかり忘れていたようだ。彼の中では、ベブルはあくまで『ベブルンルン』なのだ。


 仕方なく、悩んだ挙句、ヒエルドはそのディリムの名前を『シュディエレ』に変えた。名前が決まって早々、彼はその名前を連呼してシュディエレに話し掛けていた。


 長くて面倒な名前を付けたもんだな。ベブルは思った。普通に『ディリム』って呼んだほうが短いじゃねえか。



「さっさと行かねえか?」


 ベブルは両手を頭の上で組んでいた。いらだちを表現するポーズだ。


 フィナが無言で歩き出し、ウォーロウがそれに続いた。ベブルは、シュディエレに話し掛け続けていてこちらの動きに気づかないヒエルドの様子を見ていた。しかし、ヒエルドが気付いていなくても、彼を乗せているシュディエレのほうが勝手に歩いてついて来た。飼い犬の方がよく気がつくようだ。


 ベブルはここで、何故自分が地面の上を歩いているかを思い返していた。そういえば、フィナが「何かある」と言ったからそれに警戒してディリムを降りたはずだ。


 黒魔城へ近づいていく。


 一行の前進する速さが極端に低下した。フィナの歩みが遅いからだ。ウォーロウがそれに合わせて速さを落としたので、そうしなかったベブルが一行の先頭になってしまった。ヒエルドは相変わらず、シュディエレと話をしながら、ゆっくり後からついて来ている。


 ウォーロウは常にフィナの隣に居ようとし、そうなるために彼女に熱心に何かを話し掛けていた。だが、彼女の方はいつも、適当に相槌を打っているだけだ。ベブルは、そうしているふたりのやり取りをいつも無視していた。興味がないし、聴く必要もないからだ。


 不意に、ベブルが立ち止まり、戦闘体勢をとった。一行の歩みが止まった。


「どうしたんだ?」


 ウォーロウが幾分か腹立たしげに言った。


「本当に何かいやがるな」


 ベブルは構えを解かずにそう言った。彼の目は、そのを捜している。フィナは手にサファイアロッドを召喚し、それを構えた。ウォーロウも、一応、手に持っていた鉄の杖を構えてみた。ヒエルドはいまだにシュディエレと連呼して大犬に話し掛けていたが、大犬の方は何かに気付いたようだ。

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