第四章⑥ 手と手取り合い

 ベブルたちは廊下を先へ先へと進んだ。何回か角を折れ、そしてしばらく進んでから、巨大な扉を見つけた。


「こりゃ何かありそうだな」


 ベブルはそう言って両手を腰に当て、大扉を見上げた。


 先ほどと同じように、錠を壊して扉を開けた。そこには大きな機械がいくつもいくつもおいてあった。どれも作動していなかったが、ここでは何かを作っていたようだ。


「指輪はどこだ?」


 ベブルは探し回ったが、指輪らしいものは見つからない。指輪のような繊細なものはなさそうで、プレス機や大型カッターなど、物騒なものばかりがあった。


 フィナはその部屋に机を見つけ、その上に置いてある図面を読んだ。ウォーロウは図面を彼女の横から覗き込んだ。


「なるほど。指輪はここでつくっていたんですね。『時空輝石は原石から精製すると、七十分の一しか採取することができない』ですか……。それは大変ですね。ふむ、この装置はどうやら三つめのようですね。ここの主は、以前二度、指輪作りに失敗しているようだ」


 ウォーロウは図面に書かれていることをまとめて、そう言った。フィナはひとりで読んでいるだけだ。


「おい! 指輪はねえのか、指輪は!」


 ベブルは大声を出したが、フィナもウォーロウも反応しない。


「次」


 フィナはそう言って、その部屋を出た。


 

 次の部屋には、先ほどの部屋にあった機械を少し小さくしたものがたくさん置いてあった。ここが、指輪作りに失敗した場所のひとつらしい。


「あった、指輪です」


 部屋の奥のほうで、ウォーロウが声をあげた。ベブルはそちらにすっ飛んでいって、その指輪を奪い取った。


 ベブルは指輪を手にとって見てみた。確かに、ウォーロウがつけているものと似た指輪だ。同じ金属でできているようだったし、時空輝石もふたつ、青いものと黄色いものが埋め込まれていた。だが、肝心の時空輝石が小さすぎる。


 フィナが一枚の紙を持ってきた。その紙は、例によって指輪を作るための図面だった。何かややこしい式が書いてあったので、ベブルにはわからなかったが、ウォーロウが納得したようだ。


「そうか、時空輝石は一定以上の大きさがないと、効力を発揮できないんですね。だから、それは失敗作だったってことですか。指輪を作った人はずいぶんと嘆いていますね」


「だったらこれは使えねえのか」


 ベブルは不満そうに、指輪は手の中で弄んでいた。


「つけろ」


 フィナはそう言った。


「特殊固定金属は時間改変から身を守ってくれる。つけたほうが良いということだ」


 ウォーロウが、フィナの言葉を通訳した。なるほど、確かにそのとおりだ。ベブルは小さな時空輝石のついたその指輪をはめることにした。


 はめてみると、周囲のものが、何か違ったように見えた気がした。どこが違うのかは彼自身、よくわからない。これが、周りとは違った時間の流れに乗った、ということなのだろうか。


「まあ、これで一安心、なのか?」


 指輪をつけたまま物を殴るとなると時空輝石が邪魔なので、彼は、宝石がついているほうを手のひら側にくるように向きを変えた。


「次」


 フィナはその部屋を出て行った。ベブルもウォーロウも、ひとりで勝手に歩いていくフィナの後を歩いていくのに随分慣れてしまっていた。



 その次の部屋は、この工房の主が最初に指輪を作ろうとしたときの工作室だった。先ほどの機械よりも、さらに小さい機械郡が置いてあった。こうしてみると、ふたつ前の大部屋にあった機械がいかに大きかったか、そしていかに精巧につくられていたかがよくわかる。


 三人は歩き回って、部屋の中を探した。ベブルは、足元の、紙くずや鉄板の切れ端の中に指輪が落ちていることに気づいた。彼はそれを拾い上げた。


 時空輝石の数はふたつ。青と黄。だがその石の大きさは、ベブルがつけている指輪のよりもまだ小さい。


「女、あったぞ」


 ベブルはフィナに言った。フィナはそれを聞いて、彼の方に歩いて来た。もちろん、ウォーロウもそこへやって来た。


「フィナ・デューメルク」


 フィナは自分のことを「女」と言われたので、そう言って訂正させた。


「デューメルク、これをお前にやる」


 ベブルはフィナに指輪を手渡した。


 その指輪を、ウォーロウは検証していた。


「ふむ、小さくて時空移動には使えませんね。フィナさんはもともと、時間改変の影響を受けないということですが、どうします?」


 答える間もなく、フィナはすぐにそれをつけた。そして急に、腰の力が抜けたかのように、その場に座り込んだ。


「よかった……」


 何がなんだか、わからない。ベブルとウォーロウは顔を見合わせた。


「何のことです?」


 ウォーロウが、座り込んでしまった彼女に訊いた。


「消えなかった」


「何が」


 ベブルは間髪いれずに訊いた。この掛け合いにはずいぶんと慣れてきたものだ。


「私が」


 すぐには意味がわからなかった。『私が消えなかった』?


「人が消えて」


 フィナはそう言った。まだ何か続くようだ。ベブルとウォーロウは黙って聞いている。


「わたしも消えるかと」


 そこで、ウォーロウが声を出す。


「ああ、わかりました。過去の歴史が曲げられると、僕たちの時代に存在していた人が、存在しなかったことになってしまうこともある。でも、その人は最初から存在しなかったことになるから、それには誰も気づかない。フィナさんだけが時間改変の影響を受けないから、たったひとり、そのことに気がついていたんですね」


 フィナは深く、深く頷いた。



 ベブルは、沈黙して俯いているフィナを見下ろしていた。この女は、ずっとそんな世界に住んでいたのか。人間が消えていく世界。消えた人間は完全に忘れ去られる世界。人々の記憶がすり替わってしまう世界。……この女が回りの人間に対して深くかかわりをもとうとしない気持ちもわかるような気がする。そして、いつか自分も消えてしまうのではないかという恐怖を常に抱いていた。指輪の力で自分の存在を確かに保護されるまでは。


 そういうこの俺自身も、今の今まで、『すり替えられてしまう』側にいた。



 いままで、俺の何を変えられてきたのだろうか。



 フィナは立ち上がった。ベブルは彼女を見下ろしていたとき、彼女の両目は髪に隠れていたので、泣いているのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。この女が泣くわけねえよな。



 フィナは部屋を出ると、廊下をもと来た方向へ歩き始めた。


「おい、どこに行く」


 部屋から出たベブルが、後ろから声をかけた。フィナは立ち止まり、振り返る。


「本」


 それだけ言い残して、彼女は歩きつづけた。意味はわからないが、ベブルもウォーロウも彼女の行く方向についていくことにした。何か目的があるのは明白だからだ。

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