第二章

第二章① 未来人

 翌日、フィナにはやることがたくさんあった。彼女には、学ぶことがたくさんあるのだから。


 フィナの師匠の住む霊峰ルメルトスの庵の周辺は、ベブルが焼き払ったために禿山になってしまった。しかし、山に木が茂っていようとそうでなかろうと、彼女には何の関係もない。



 昼頃、フィナは外に出て、霊峰ルメルトスの麓にあるラトルの町を歩いていた。彼女が歩いていても、誰も話し掛けてはこない。


 何年も前はそうではなかった。六年前、フィナが単身、このラトルの町に引っ越してきたときには、周りの人々は揃って世話を焼こうとしたものだった。なにしろ、『遠くから、まだ幼い女の子が魔法を学ぶためにこの地にやってきた』のだ。世話好きな町のおじさんたちやおばさんたちが放っておくわけがない。しかし、彼女はろくに返事をしなかった。彼女の性格は、その時点で既に完成されていた。その頃から、人とまったく話をしたがらなかったのだ。


 フィナは自分の興味の対象以外にはまったく手を出すことをしない。その上、彼女の興味の対象は物言わぬ書物ばかりときている。人に話し掛けられても内容に興味がなければ何も答えないし、何か用があって話すときも、ほとんど短い文節で喋る。


 周囲の人々には、ひょっとすると、フィナには言語を操る能力がないのではないか、と噂するものもあった。外形的にはそうなのかもしれない。だが、そうでないことは明らかだ。彼女の頭脳は極めてよく、並の魔法使いが学ぶものをすべて学び終わり、いまや、魔法研究者の論文を考究するほどだ。


 しかし残念なことに、フィナの家や、彼女の師匠の庵にはそういった研究を追試するための器材がなかったので、十分な実験ができなかった。ごく簡単な模擬実験であれば家でもできたが、それは書物の内容を部分的に確かめる程度に過ぎなかった。



 フィナは、ここ数日間で手に入れた『戦利品』を、この町の道具屋に売り払っていた。その『戦利品』の多くは、ラトル~ノール・ノルザニ間の往復で出現した魔獣どもから奪った武器類であった。そんな武器を、武器屋ではそのまま売ることもあれば、また融解してもう一度生成して、素材として売ることもあった。


 道具屋でも、フィナと店主のやり取りは極めて静かだった。彼女が武器を番台に置けば、それだけで意図は伝わる。そのとき、店主が何もしなかったとしても、「売る」と一単語、彼女が言えば、店主は彼女が何をしようとしているのかわかるだろう。引き換えの銀貨・銅貨を受け取ると、彼女は何も言わないで建物から出て行く。


 いつも、毎日そんなものである。フィナの生活にとって、一日、二日、いや、一ヶ月間、人と会話をしないことなんて、当たり前のことだった。



 フィナが町を歩いていると、声をかけられた。


「こんにちは、フィナさん」


 そこにいたのは、彼女の魔術の後輩に当たる、ウォーロウという名の青年だった。青い髪、つりあがった青い目に、垂れ下がった眉。ラトルの人間らしい、帯で止めた服の上に、魔術師の白いローブを羽織っていた。彼もまた魔術師で、魔法名はディクサンドゥキニーというので、省略のない名前はウォーロウ・ディクサンドゥキニーとなる。


「なに」


「昨日は凄かったですね。師匠の山があんなに燃えて……。お怪我はありませんでしたか」


 ウォーロウは微笑しながら、フィナに訊いた。彼女が怪我などしていないというのは、見ればすぐにわかることである。


「ない」


「それはよかったです」


 彼はまた微笑った。と言っても、彼は垂れ眉の下の鋭い目つきで、常に微笑っている。どこに微笑いの切れ目があるのかはわからないが、彼はまた微笑ったのだった。



 彼、ウォーロウは十九歳。フィナよりも一歳年上である。しかし、彼が魔術を習い始めたのは彼女よりも半年ほど遅い。ラトルに来る前から既に魔法を使うことができていたフィナに比べて、彼は数年分の後輩だった。


 ウォーロウは、フィナが歩いていく方向に、彼女について歩いていた。明らかに、そちらの方向から歩いてきた彼にとって、そちらの方向に用はない。彼は、彼女にあわせて歩いているだけなのだ。彼は話を続ける。


「それにしても、面倒な用を言いつけられてしまったものですね。あの魔術の才能の欠片もない粗忽そこつ者のために、ノール・ノルザニまで迎えに行かねばならなかったなんて。……おっと、これは師匠に失礼な発言でしたね。まあ、そのうつけ者と、何日も一緒にいなければならなかったなんて。知っていたならば、僕が代わりを務めましたのに」


「そう」


 フィナの返事はごく短かった。彼女は過去のことに興味はない。ウォーロウが彼女の代わりを買って出るのだといま知っても、既に起こった過去は変えられない。彼女には何の利益もないのだ。だから、彼女はその話には何の興味もない。返事は、そんな意思の現れだった。


「彼は今どちらに?」


「知らない」


 フィナの言葉はいつも、短い代わりに、言葉の最後までかすれることのない力強さがあった。



 そんな折に、町の人から声が掛かった。勿論、フィナに声をかける人はいないので、それはウォーロウにかけられた声だった。


「ウォーロウさん」


「はい、なんでしょう」


 彼は、フィナと共に歩きながら、声をかけてきた中年の女に愛想よく返事した。


「うちのサルトが梯子から落ちちまってね、本人はどうってことないって言うんだが、はたから見てると、どうにもひどい怪我でね。ちょっといって治してくれないかねえ」


 声をかけてきた彼女は、彼にそう言った。


 彼は微かに、チッ、と舌打ちすると、「フィナさん、そういうことですので、僕はこれで」と言い、彼女のもとを離れて、中年の女の方に歩いて行った。


 フィナはというと、何も言わず、振り返りもせず、そのまま彼女の行きたい方向に歩いて行ったのだった。

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