第二章② 未来人

 フィナの行こうと思っている場所は、本屋だった。彼女は魔術関連の本を買おうと思っていたのだ。それは、炎や氷の魔法などを習得するための魔法の本でもなく、本自体に魔法が掛かっている魔法の本でもなかった。彼女が学びたいのは、世界のなりたちを魔術的に論じた書物だ。彼女は適当に実用的な魔法を習得し終えたのちは、ずっとこの手の研究論文ばかりを集めては読んでいる。彼女は、魔術師というよりは、魔法学者だ。


 すると、そこにはあのベブル・リーリクメルドがいた。彼はこのラトルの街の本屋で、魔法の本を買おうとしているのだった。


 フィナは本屋に入ると、ベブルを見たが、すぐに自分の捜している本がありそうな書棚の方に歩いた。彼女が何も言わないので、ベブルが彼女に声をかける。


「おい、女、金を貸してくれ」


 ベブルは、父親の庵にある魔法書をほとんどすべて焼いてしまったため、適当な魔法書を本屋で探そうと思っていたのだ。だが、本を買うための、肝心のお金を持ってきていなかった。彼はノール・ノルザニではお金に不自由したことはなかったが、最低限以外のお金をそこに置いて来てしまったので、いまでは一文なしと変わらない。


 フィナは自分の名前を名乗り直す。


「フィナ・デューメルク」


「デューメルク、悪いが金を貸してくれ」


 ベブルの態度が、借りる者のそれでないことは言うまでもない。


 フィナは振り向かず、本を探しながら答える。


「いや」


「いいから貸せ。ノール・ノルザニに来たら、三倍にして返す」


「いや」


 フィナはまた即答した。


「おい、貸せッつってんだろ! お前が損するわけじゃあるまいし!」


 ベブルは怒り出した。彼の沸点は異常に低い。こうなるともう、女の子にからんでいるやくざ者にしか見えない。だが、フィナの口調は荒れる男を前にしても、全く変化しない。


「なぜ」


「……ッたく、このクソ女ッ!」


「フィナ・デューメルク」


 フィナは飽きもせず、ベブルが彼女のことを『女』と言うたびに、自分の名前を繰り返し言い、訂正させている。



 そこへ、誰かが駆け込んできた。彼はフィナとベブルとの間に割って入り、彼女を背中に庇うようにして、ベブルに立ちはだかった。物体召喚魔法を唱え、右手に荘厳な飾りのついた鉄の杖を呼び出すと、それをベブルに向けた。


 それは、さきほどのウォーロウだった。


「怪我は?」


 ウォーロウは後ろに庇っているフィナに訊いた。


「ない」


 目当ての魔法書を手に持ったフィナが、即答した。


 怒りも露わに、ベブルがウォーロウに言う。


「何だ貴様は」


「僕はディクサンドゥキニー、魔術師だ。彼女に暴力はやめろ」


 ウォーロウは依然として、右手の杖をベブルに向けたままで、彼を睨みつづけている。


「俺はリーリクメルドだ。その女にはちょっと金を借りようとしているだけだろうが」


 ベブルがそう言うと、ウォーロウは一瞬、はっとしたようになって、それから不敵に笑う。


「なるほど、お前がベブルか。噂に聞くほどのならず者というわけか!」


「リーリクメルドだと言ってるだろう! 魔術師だったら魔法名で呼び合え!」


 ベブルは、先程までフィナのことを『女』と言っていた自分のことを棚に上げ、ウォーロウに言い返した。



 魔術師同士では、魔法名で呼び合うのが古くからの慣わしだった。逆にいえば、魔法名を名乗っているにも関わらず、親しくない者を本名で呼ぶのは、この上ない侮辱に値する。


「お前は魔術師ではないだろう! 魔法のひとつも碌に使えぬ、えせ魔術師が!  魔法名を名乗るとは片腹痛い。恥を知れ!」


 怒りに駆られ、ベブルは魔法の詠唱を開始する。


「言ったな! “炎の魔法エグルファイナ”ッ!!」


 本屋が、そして周囲一体の建物が燃え上がった。ウォーロウは一瞬「なにッ!」と叫んで、魔力の障壁を作って身を護った。



 魔法の炎は燃え上がった。本屋周辺を焼け野原にして、炎はようやくおさまった。


 フィナは無表情で、焼けた本屋の中に立ち尽くしていた。魔法の障壁を張ったおかげで、手の中の本は無事だ。


 周囲の町の人々には、何がなんだか解らなかった。平屋ばかりの町だったので、幸い死者は出ていないように見えたが、突然自分たちの家が燃え出して灰ばかりになってしまったので、みな動転していた。


 本屋は、もはや本屋ではなかった。本は一冊も残っていない。本棚も、ほとんどが形を残していなかった。焼け焦げた番台の向こうには、すすけた店主が恐怖に凍り付いて座り込んでいた。



「これでどうだ。お前、俺のことを魔法名で呼んだほうがいいんじゃないのか」


 ベブルは、焼け焦げて屋根のなくなった本屋の中で、元の位置に立ったまま、目の前にいるウォーロウに言った。ウォーロウのほうは、その時点でようやく魔法の障壁を消した。


「……チッ」


 ウォーロウは顔を歪ませて舌打ちした。それから、ベブルの言葉には何も答えず、辺りを見回した。



 本屋の外には、難を逃れて建物から出た人々がいる。人々は何が起こったのかわかっていない。そのなかには、酷い火傷を負った人々がいる。それを見て、ウォーロウは外へ飛び出した。


「大丈夫ですか?」


 ウォーロウは近くにいた、顔に火傷を負って喘いでいた男の子の傷を、魔法で一瞬にして治した。


「ああ、ありがとうございます」


 目に涙を浮かべて、男の子の母親らしき女性が言った。


 それを見ると、その周りにいる、怪我を負った人々、それから怪我を負った子供を連れた大人たちが、すぐに彼のもとに集まった。そして、口々に火傷の治療をしてくれるよう申し出たのだった。火傷のせいで、その場は苦痛に喘ぐ声ばかりになった。


「この酷い放火を行ったのは彼です!」


 人々の怪我を魔法で治療しながら、ウォーロウはそう叫んで、本屋の中にいるベブルを指差した。人々の目は、ベブルに視線を注いだ。


「彼は、愚かにも自分の持つ魔法の力を見せびらかしたのです。『懸崖の哲人』と呼ばれる偉大な魔術師を父に持つ、自分の力を示そうとしたのです。この偉大な血統ならば、街ひとつ焼き尽くすのはたやすいと、彼は言ったのです。現にそうなりました。ですが、彼は魔法の力の使い方を過ったようです」


 ウォーロウは治癒魔法を使いながら、雄弁に語った。


「俺はそんなこと言ってねえぞ」


 ベブルはウォーロウと街の人々のいる方に向き直ったが、人々は彼の話を聴こうとしなかった。


「いくら哲人さまの息子でも、やっちゃいけねえことってものがあるんだ!」


 男が、ベブルの方に近づいて来た。


「よくも、街を、家を!」


 もうひとり、別の男も彼の方に近づいて来た。


 男たちふたりは、ベブルの服を掴み、殴りかかってきた。更に他の男女数名が、新たに近づいてくる。


「俺に……」


 ベブルは羽交い絞めにされて殴られつづけながら、何かを言い出した。


「――俺に触るんじゃねえッ!」


 ベブルは襲いかかってきた街人たちを振り払った。余りにも簡単に、大人の男たち数人が跳ね飛ばされる。人々はベブルを見ている。彼を締め上げようと近づいてきた人々は、時間が止まったように動かなかった。彼は拳を握り締めたまま、肩で息をしていた。目は何かに驚いたように、大きく見開かれていた。


「二度と来るかよ! こんな町!」


 町の人々にそう吐き捨て、彼は走り去った。


 音が戻った。驚いてざわめく声。痛みに喘ぐ声。


「……あいつは化け物だ」


 そう、誰かが言った。


 フィナは、ベブルが走り去ったほうをぼんやり眺めていた。彼女の白いローブは、すすで一部黒くなっていた。


 ウォーロウはときどき、人々の火傷の治療をしながら、そんな様子のフィナを見ていた。


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