第一章③ ふたつの孤独
次の日の昼頃、フィナは闘技場に向かった。道すがら、闘技場は町の北東部の地域にあるという話を聞き、彼女は迷わず北東の方角へと歩いていった。
町では一昨日の使い魔の襲撃のことが取り沙汰されていたが、彼女は全く無関係だと言わんばかりに、噂する人々を無視して、自分の行きたいところへと歩いていった。
闘技場の近くに来ると、人間の数が極端に多くなった。すべての人間が、これから始まる戦いに熱くなっていて、その場の気温も明らかに高かった。
フィナは人込みの中を掻き分けて、奥の方へと歩いていく。人の足を踏もうが、蹴ろうが、お構いなしだ。
入り口の近くの受付で、彼女は入場料を払った。それで、いざ中に入ろうとすると、闘技ファンの人々が、会場入り口で押し合い
武舞台は傷だらけ、穴だらけの、石でつくられた広い台だった。この武舞台上で荒々しい男たちが戦いを繰り広げるというのだ。
フィナには闘技など好きでもなんでもない。彼女は魔術師だ。むしろ、腕力をことさら誇示するというのはみっともないと感じていた。だいたい、こんなところで優勝する人間でさえ、魔術師が相手なら太刀打ちできるかどうか、怪しいところだ。
「ここは危ないぜ」
フィナの横に、禿げ上がった大男が座った。
また変なのが出た……。フィナは心の中で、溜息をつき、その男のほうを向いた。
「特等席を取りたい気持ちはわからんでもない。だがな、ここはな、戦いが始まったら、激しい戦いで破壊された武舞台の破片が飛んでくる場所なんだ。怪我したくなかったら、退いたほうがいいぜ」
いかにも常連です、という風に、その男は彼女に忠告した。
「あなたは?」
「俺は平気さ。かつて、この闘技大会に出たこともある実力を持っている」
その男は鼻を鳴らした。
「優勝したことは?」
フィナが核心を突いたが、その大男は息をつまらせたきり、何も言い返せなかった。彼女が視線を武舞台に戻すと、その男はようやく、一言だけ返す。
「……い、言ってもきかねえんじゃ、仕方ねえ」
大男の返答はあいまいだった。つまり、自分がかつて大会に出たときに敗北したことに全く触れていない。
武舞台の中心に、男が片手を上げて入ってきた。どうやら司会者のようだ。彼は喋りだした。
「本日も、ご来場いただきまして、誠にありがとうございます。本日の挑戦者は、この方です! ラトルの戦う木こり! ゼス!」
進行役の男が選手入り口を指し、立ち去ると、ゼスが現れた。本当に『戦う木こり』という二つ名でエントリーしているのだなと、フィナは感心した。
ゼスは武舞台の上を歩いてくると、武舞台脇にいるフィナに気がついて、彼女に話し掛けた。
「よう、フィナちゃん、見に来てくれたのか!」
「あなたに用はない」
フィナは即答した。
ゼスは苦笑いして、右手に持っていた、大戦斧を肩に担ぎ上げると、表情を引き締めて武舞台の真ん中に立った。今日の武器はは大ノコギリではないらしい。
ゼスが来たほうと反対側の入り口が、閉まっていたのだが、それが開くと、両手に剣を持った、盾を鎧代わりにした小人、ソードレットが三匹飛び出してきた。魔獣たちは、われ先にとゼスに襲い掛かる。
「いつも、試合はソードレットから、って決まっとるんだ」
聞かれもしないのに、フィナの隣の大男が言った。
ゼスは駆け出した。まず、一番近くにいたソードレットを戦斧で叩き潰す。ソードレットが鎧代わりに身につけている盾は、彼の戦斧の前には、無いも等しい程度のものだった。続けざまに、彼は残りの二匹の魔獣も片付ける。
武舞台を取り囲んでいる観客席から、一斉に歓声があがる。ゼスは観客席の方に手を振っている。余裕の表情だ。
「まあまあだな……」
フィナの隣の男は言った。しかし、彼女は何も言わなかった。
次に戦う相手は大目玉という魔獣だった。丸い球体型の身体をしていて、大きな一つ目と、牙のついた口を持つ魔獣で、常に魔法を使って地面から浮いていた。
「ほう……大目玉か。さすがに、これには勝てんだろうな」
フィナの隣の蘊蓄男が言った。
大目玉が炎の魔法を発動させ、ゼスに炎を浴びせかかった。彼は武舞台の上を走り回って躱す。
魔獣は次に、
氷の魔法が武舞台を削り、石の破片がフィナやその隣の男たちの方に飛んで来た。
「あいたたた……ほら、言わんこっちゃない」
大男は手で顔を覆いながら言った。そして、隣のフィナの方を見た。
フィナは魔法で障壁を張っている。右手には既にサファイアの杖を持っている。蘊蓄男は、石
「おい! 逃げてばかりでは何にもならんぞ!」
観客席では声援やら野次やらで沸きあがっている。
不意に、ゼスが戦斧を投げると、それは中空で円弧を描き、見事に大目玉に命中し、魔獣を地面に落とした。彼は走り、魔獣から斧を引き抜くと、それで魔獣にもう一撃加えた。彼は大目玉を倒した。
歓声と拍手が上がった。
「ふん……ここまでなら、前に俺も来たさ」
フィナの隣の男が、まだ偉そうにそんなことを言っている。
「これで、ようやく最後の怪物のおでました」
それを聞いて、フィナは、魔獣が出てくる入り口の方に目をやった。この闘技場の最後の怪物とは、他ならぬ、ベブル・リーリクメルドその人である。
ゼスは血まみれになった大戦斧を構えた。魔獣用の入り口から、ひとりの男が歩いてくる。ベブルだった。
「よォよォ、ベブルさんよ……。俺が勝ったら、賞金六〇〇万モネって約束は守ってくれるんだろうな?」
ゼスが訊いた。彼は一歩も動いていない。
「そうだな。だが、お前は俺には勝てない」
ベブルはゆったりと、ゼスのいる方へと歩いてくる。両手は腰に当てていて、落ち着いているように見える。
「いや、俺は勝つぜ。それに、そこのフィナちゃんが、お前さんを大魔術師『懸崖の哲人』の庵に連れ帰るって言ってる話、ちゃんと叶えてやるんだろうな?」
ベブルはぐっと構えを深く落とす。
「上等だ。だが、俺を連れ帰ることが無理だと、身にしみて実感するだろうよ!」
「わかってる、今やるさ」
ゼスは今一度、大戦斧を構えた。そして、ベブルが武器を持っていないのを訝しんだ。
「ベブル、お前は武器を持たないのか? 俺がこの戦斧で闘ってもいいのか?」
「構いやしないさ。そんな鉄っきれじゃ俺は殺せない」
ベブルは鼻で笑った。
「ならば……いくぞ!」
ゼスはその言葉と共に、疾風のごとく駆け出した。大戦斧が風を切って唸り、ベブルを真っ二つにしようとした。しかし、ベブルはそれを受け止める。彼の左手の指で、戦斧を受け止めていた。
「はっは、やっぱりその程度かよ」
ベブルは自信たっぷりに笑い、そして、空いているほうの手でゼスの腹に一撃をくれた。打たれたゼスは、軽く十歩分の距離を弾き飛ばされる。
「この程度の斧で、俺が傷つくってか?」
ベブルは左手に持った大戦斧を、自分の右の拳で打ち砕いた。
鉄くずと化した、ゼスの戦斧がベブルの足下に落とされる。ゼスの方は、血を吐いて、腹を抑えて、倒れこんだままうめいている。
「おいおい、ご自慢の武器がなくなっちまったよなあ。もう戦えないのか? そっちのクソ女とでも交代するか? ああ?」
ベブルは嘲り笑った。
「や……野郎……」
ゼスは武舞台に両手をついて立ち上がろうとしているが、なかなか立ち上がれない。
「さあ寝ろ」
地面に這いつくばっているゼスを、ベブルは蹴り飛ばした。選手入り口の中に勢いよく弾き飛ばされたのち、ゼスは気を失って立ちあがらなくなった。
「まあ、いつもこんなもんだ」
フィナの隣の男が、顔を顰めて、彼女にそう言った。
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