第一章② ふたつの孤独

 ベブルが用事を終えて店から出ると、ひとりの若い女がそこに立っていた。ただの通りすがりかと一瞬思ったが、その両目がはっきりと自分を捉えていることに気づいだ。この若い女が自分に用があってそこにいるのだ。


「なにか用か?」


「……ベブル・リーリクメルド」


 若い女はベブルの名前をはっきりと呼んだ。『魔法名』までを含めてきっかりと。魔法名を持つ人間に対して魔法名を省略して呼ぶことは友人同士の間柄でもない限り失礼に当たる。その点において、この若い女は礼儀をわきまえてはいる。ややぶっきらぼうなところはあるにしても。


 女は先を続けた。


「お父上である『懸崖の哲人』ヨクト・ソナドーン師が呼んでる。わたしとともに帰るべき」


 その発言で、ベブルには、この若い女が自分の父親ヨクトの弟子のひとりだという推察ができた。何の用かは知らないが、このノール・ノルザニの街まで、霊峰ルメルトスから弟子を送って寄越したのだ。


「何のつもりか知らないが、俺は親父のところになんか帰らない。ここで問題なく暮らしている。いや、前よりも自由に暮らしているんだ。なにを今更そんなことを言い出すんだ。……それに、お前は何なんだ。名前は?」


「フィナ」


 彼女はそう答えた。柔らかい風が吹き、黒光りする髪が、暖かい風になびく。長い後ろ髪は、三つ編みにされて、丸い水晶がついた髪飾りで括られている。黒いワンピースの上に、白いローブを羽織っている。上衣として白いローブを羽織るのは、このアーケモス世界の魔術師としては一般的だった。


 フィナは数歩、ベブルのほうへと歩み寄った。彼女の進行方向と逆向きに吹いているため、裾が広く長いスカートは彼女のかかとよりも二、三歩遅れてついて来る。


「魔法名は? まだ与えられてないのか?」


「デューメルク。フィナ・デューメルク」


「あるんじゃねえか」


「フィナでいい」


「知らねえよクソ女。すぐに帰って親父に伝えろ。俺は親父の生き方を認めていないし、親父の真似をして生きていくのなんか真っ平だってな。魔法なんか、反吐が出る」


 ベブルは吐き捨てた。だが、フィナは簡単には引き下がらない。


「そうもいかない」


「いかなくねえよ。俺は明日も仕事がある身だ。邪魔をしないでくれ」


「仕事って?」


 ベブルはフィナを放って歩き始め、彼女は彼が歩いて行くその背を追って歩く。


「俺はこのノール・ノルザニの闘技場の胴元だ。魔獣を仕入れて、俺が仕切ってるハコで挑戦者――人間と戦わせる。勝てば賞金が支払われる。俺がやっているのは賭けの胴元だ。魔獣が凶悪なほど、挑戦者がしぶといほどに儲かる。そういう商売だ」


「……野蛮」


「だからどうした。こいつは、一攫千金を狙った連中を餌にして、金を動かす魔法だ」


「明日はない」


「はあ?」


「私とともに来る」


「来ねえよ」



「よぉ――嬢ちゃん、また会ったな」


 ベブルとフィナの歩いて行く先から、ひとりの男がやって来る。背に巨大な戦斧を背負った、垂れ目の男だ。


 ベブルは尋ねる。


「誰だお前は」


「俺の名は戦う木こりのゼス。昨日の晩、そっちの嬢ちゃんと街中に出た魔獣退治でご一緒したんだ。嬢ちゃん、また会いたいと思ってたぜ。敵襲が夜だったから、まともに顔も見れてなかったが、声が可愛いと思ってたもんでな。嬢ちゃん、名前を聞いてもいいかい?」


 ノコギリを背負った男はそう答え、フィナに名前を訊いた。


 ゼスはフィナよりも頭ひとつ分とすこし背が高い。この背丈はベブルとほぼ同じ程度だった。鉢巻を巻いた赤毛の短髪の男だ。全体的に短髪であるにも関らず、後ろ髪を一部、長く伸ばして紐で括っている。彼の顔は垂れ目で、本来、頼りなげにみえるはずのその顔を、釣りあがった眉が補っている。少しばかり時代遅れな染物の服は、霊峰の麓の町ラトルでは、少しは見受けられるものだった。


 フィナは答える。


「フィナ」


「夜の敵襲?」


 ベブルは疑問を投げかけた。


「ああ、お前さん知らないのか? どうやら『ある魔女』がこの街に使い魔を放つ事件が起きているみたいだ。誰かを探しているらしいという話もある。この街では顔が利く方なんだろ? ベブルさんよ」


「俺を知っているのか?」


「知っているもなにも。俺は明日の闘技場の挑戦者さ。おたくの闘技場なんだから、挑戦者のことくらいは憶えておいて欲しかったね」


「そうか……それは悪かったな」


 ゼスは咳払いをする。


「まあ、それはそれとしてだ。昨晩フィナちゃんが泊まっていた宿の周辺で、例の使い魔騒ぎがあったってわけ。俺はノール・ノルザニ警固団に雇われる形で夜回りをしていたのさ。騒ぎを聞きつけたフィナちゃんが宿から出てきて……。そこから先はフィナちゃんの使い魔の力もあってあっという間さ」


 雇われ警固団員、戦う木こり、ゼスの言うとおりだった。フィナはベブルを連れ帰るべく、昨夜のうちにこのノール・ノルザニに入っていた。時刻が夜に差し掛かっていたので、彼女はまず宿をとった。だが、未明に宿屋の外に猿の魔獣の大群の騒ぎをきいて起きだし、魔獣を屠ったのだった。


「あとで警固団の連中に訊いてみれば、俺たちに加勢してくれたフィナちゃんは『懸崖の一番弟子』と呼ばれる、あの有名な魔術師様だ。もう一度会ってみたいと思っていたところに、ちょうど出くわせたわけさ。しかも、明日お世話になる闘技場主、ベブルさんも一緒ときた」


 ゼスはそう言って両手を広げたが、ベブルは顔を顰めている。一方のフィナは表情を全く動かさない。


 フィナが口を開く。


「明日はない」


「ないって、闘技大会が?」


 ゼスは驚いた。だが、ベブルは否定する。


「ある! 俺はルメルトスには行かないと言ってるだろう。闘技場も賭博も明日もある」


「ははあ、なるほど。フィナちゃんが昨日言っていた、誰かをルメルトスへ連れて行くという話、闘技場主のことだったのか」


 ゼスには、フィナとベブルのやりとりに合点がいった。


「ルメルトスに」


「行かねえ」


 そのありさまを見て、ゼスが笑う。


「いいじゃないの。俺が明日、闘技場で勝ち抜いて見せれば良しだ。五年間、誰も勝ち抜いたことのない闘技場、俺が勝ち抜いて賞金もいただいて、それで仕舞いってことでどうだ?」


 そう言われてベブルは一瞬頭にきたが、すぐに考え直して、それを承諾する。


「ほう……面白い。受けて立とうじゃないか」


「いますぐに来るべき」


「フィナちゃんは黙っててくれ」


 ゼスが横から割り込んできたフィナに言った。どうもフィナは空気を読むということをしないらしい。



 ベブルは高笑いする。


「いいだろう! 明日の闘技場でお前が最後まで勝ち抜ければ、俺も闘技場を廃業してルメルトスへ帰ってやろう! だが、お前が途中で敗退すれば、俺は帰らない!  これで決まりだ」


 ベブルはそう言い残し、歩いてどこかへと去って行こうとした。


「リーリクメルド!」


 フィナは小声でささやくように話していた今までの声とは打って変わって、ハリのある声でベブルを呼び止めた。


「それで勝てるのか!」


 彼女の声にベブルは振り返った。彼女は続ける。


「父親に! 両親に!」


 それを聞いたベブルは心底嫌そうな感情に表情を曲げたが、何も反論することなく歩き去って行った。


 フィナちゃん、俺の勇姿、観ててくれよな! とゼスは早くも調子づいているが、フィナは彼には全く興味が湧いていなかった。彼女にとってみれば、この契約に合意したつもりもない。だが、力尽くで連れ帰るわけにも行かない今、成り行きを見守ることにした。


 ひとまずは、明日がくるのを待とう。


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