(12) 作家には酒

 

「悪かった!」

 

 レン太は深く頭を下げた。

 

 ぼくは焦りで、思わず汗ばむ。いったん生活費の心配から解放されたところにもってきて、やっぱりやめたというのは、ことさらキツい。

 

「なんで急にとりやめたんだ?  ゴーストは無理としても、添削ならこちらとしても問題ないよ」

 

 ぼくは動揺を必死に隠して、余裕をもった態度で言った。

 

「先生に問題がなくても、ワタクシには問題ある!」

 

 強い口調でレン太が言い返す。

 

「どんな?」

 

 僕が聞き返すのと同時に、部屋がノックされる。

 

「どうぞ」

 

 レン太が応え、重いドアが開いてトレーがガラガラと押されてきた。押しているのは、これぞ物語から出てきたような老執事で、レン太のことをおぼっちゃまと呼ぶ。あまりのステレオタイプに、ぼくは目が離せない。

 

 老執事は慣れた手つきで、タンブラーから透明な液体を2つのグラスに注ぎ、そして今度はピッチャーに入った少々黄色く濁った液体を、透明な液体より多めに入れた。そして軽くかき混ぜる。

 

 老執事はもう一つ引っ張ってきた小ぶりのトレーをぼくの前に運び、先ほどのグラスのひとつを置くと、礼をして部屋から出て行った。絨毯がふわふわだったこともあるだろうが、入ってきてから出て行くまで、老執事は足音を響かせなかった。

 

「アルコールが入った方が、口が滑らかになるだろうと思って。それに、作家には酒が付きものだろう。いや、あまりにステレオタイプかな、その考えは」

 

 右の手のひらを差し出しながら、レン太が言う。酒よりも執事だろう、ステレオタイプは! そう思いながら、ぼくはグラスを手に取る。

 

「ありがとう。なんとも上品そうな酒だな」

 

「そうかな?  先生にはなじみある酒だと思うけど」

 

「なじみある?」

 

「ホッピーだ」

 

「えっ?」

 

「ホッピーの黒だよ」

 

 レン太が苦笑しながら言う。ぼくはグラスを取り、ひと口呑む。たしかにこのチープな味わいはホッピーに間違いない。タンブラーは『ナカ』で、ピッチャーの濁ってる方は『ソト』ということか。

 

 レン太も、クッと勢いよく呑む。そして少しグラスを見つめたあと、氷を1個つかんでポチャンと入れた。そしてもう一個。

 

「ホッピーの正式な呑み方は氷を入れないということだが、真夏なのでな。先生も入れたかったら、どうぞ」

 

 レン太がグラスを回すと、カランカランと涼しげな音がした。

 

 


 

 

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