第3話 『大好き』

それは、まるで儀式のようだった。


いつもの教室が窓から差し込む夕陽によって朱色に染め上げられ、その中でただ一人床に座りまるで人形のようにピクリとも動かず目を閉じている彼。その手には異質なまでにぎらぎらと銀色の光を放つナイフが握られ、己の首筋へとあてがわれている。

その光景はまるで神への祈りのように神聖で、厳かで、美しくて。

私はそれを壊さないように、ただ息を殺して食い入るようにして扉の隙間から一枚の絵画のようなそれを見つめ続けた。

しばらくして彼が静かにその双眸を開き、視線を宙へと彷徨わせて何事かを唇の形だけで呟く。それはきっと彼にとっての祝詞。何よりも大切な言葉。

そして最後に淡い柔らかな笑みを浮かべて、彼は銀色を走らせた。

首筋から噴出するのはこの朱色の世界においてもなお鮮烈な赤、アカ、あか。

それが彼の周りにじわじわと広がっていき、ついには彼を囲い込んだ時。

彼はまるでスローモーションであるかのようにゆっくりと自らの生命の証に倒れた。

ぱしゃりと小さな音を立てて倒れ込んだ彼に、私はようやくそっと近づく。

力を失った体、血の気の失せた青白い顔。そして足元に広がる赤い海。

――彼はもうここにはいなかった。

私はおかしいのかもしれない。

彼がこうなっているのを見て思うことが綺麗、だなんて。

あまりに綺麗なものを見た時、感動で胸が打ち震えるのだということをこんな場面で知るなんて。

悲しみなんて欠片もなくて、感動と歓喜で今にもどうにかなってしまいそうなんて。


だって彼は、私の好きな人なのに。








彼の名前は隼人。

白く滑らかな肌、色素の薄い柔らかな髪、紅を刷いた様な赤い唇。

まるで人形のように整ったその中性的な容姿と儚げな印象、そのうえ誰にでも優しい彼は皆の人気者だった。

何人もの女の子たちが彼に夢中になり、恋情を抱いた。

私もそんな一人だった。優しくて、恰好よくて、まるでおとぎ話の王子様みたいな彼。

彼と同じクラスだった私が憧れ、勝手な思慕を募らせていくのも当然だったといえよう。

何気ないふりを装って彼に話しかけたり、共通の話題が欲しくて彼の好きなものを調べたり。

私はそんな精一杯の努力をして、なんとか彼と友人関係を結ぶことができた。

そうして授業中、休み時間、登下校、様々な行事。学校生活における彼を私はきっと誰よりも見つめ続けた。彼をもっと知りたい、ただそんな一念で。

だからこそ、気がついてしまった。

彼の視線の先にいるのは、彼が恋焦がれているのは私なんかじゃなく――彼の幼馴染の男だということに。

その男は単細胞で粗野、おまけに幼馴染というだけで彼を独占し、荒っぽく扱う。だから、私はあまりあの男が好きではなかった。

しかしあの男と居る時だけ、彼の頬に僅かに赤みが差す。視線が熱を帯びる。声色が明るくなる。私が見たこともない様な幸せな顔で笑う。

そして彼の目はいつだってあの男の姿を追っている。ずっとずっと、ただ愛おしいものを見るような目で。

それだけで、彼の思いがどれほどのものか分かってしまった。理解させられたのだ。

私がどんなに頑張ろうと、彼の視界に入ることはできないのだということを。

私のこの想いは叶わない。けして届かない。彼は私を愛さない。

ならば、と私は思った。

彼に憧れるその他大勢の人間になるくらいなら、私は彼に最も嫌われる人間になろう。

せめて、私の存在を彼に刻みつけるのだ。

愛が得られないのだと言うのならば、聖人のように清らかなあなたの憎悪を嫌悪を全部全部奪ってしまおう。

だからどうか忘れないで、私を忘れないで。

お願いだから。




私がしたのは彼の好きな人を奪うこと。それはあまりにも簡単だった。

彼の友達というのを利用して何度も何度も接触を計り、その度にあの男が受けそうな回答をする。それだけで、あの男がどんどん私に惹かれていくのが手にとるように分かった。

とどめにあの男を呼び出して、『ずっと好きだったの』と嘯いてやれば、笑えるほど簡単に私の手に落ちた。

さらにそれを二人で告げに行った時の彼の表情といったら!

思い出すたびにぞくぞくと得も言われぬ狂喜が私を襲い、笑みを抑えることができない。

彼の表情はまるで地獄の底を見たような顔だったのだ。

彼のただでさえ白い肌が血の気を失っていく姿にあの男は気付かずに笑う。

己のやっていることがどんなに残酷な事かも知らないで。

話を聞き終わった彼の引き攣った笑みはとても愛らしく思えた。

それからも、わざと彼のいるまえであの男にくっついてみたり私に『愛の言葉』を言わせたりして長い日々を過ごした。

彼の泣きだしそうな顔を何度見ただろう、苦しそうな表情を何度見ただろう。

でもそれが私によって刻まれていく傷なのだと思うと、愛おしくて愛おしくてしょうがない。

日に日に憔悴して、追い詰められていく彼を見ているのはなんだかとても幸福だった。









「隼人、どうしてなんだ……なんでなんだよ隼人……」

彼の葬儀の後、男はずっと悲嘆に暮れ塞ぎこんでいた。

私はまるで健気な恋人のようにそんな男を慰め、一緒に彼を悼むふりをしてやる。

ふり、というのは私が彼の死をまるで悲しいと思わなかったからだ。

彼が死んだのがなんだと言うのだ。

そんなことはたいしたことではない。私の彼への想いを断ち切るには至らない。

だって私はまだ彼を愛しているのだ。そしてこれからもずっと私は彼を愛し続ける。

彼のことをもっと知りたい、私の知らない新しい彼をもっともっともっともっと。

――だからこそこの男は手放せない。

「ねえ、私達ずっと一緒にいましょうね」

摩耗しきった男の精神に毒を刷り込むように、甘く柔らかな声色で私は男の耳元に囁きかける。その言葉は大切な人を失った男にとって酷く魅力的な言葉。

男はこの誘いを拒むことはできない。それを分かっていて、私は男に甘言を紡ぐのだ。

「ずっとずっと、彼を想って彼と共に生きましょう」

男が声もなく私に縋りつくようにして腕をとった時、私は思わず口元がゆるんでしまった。

だって、これでもっとずっとあなたを愛することができるんだもの!








「ねえあなた。私ね、この子の名前決めたのよ」

「もうかい?まだ性別も分からないっていうのに。気が早いな」

「いいのよ。きっと男の子だわ」

「はいはい。で、なんて名前にするんだ?」

「ええ、こうして私達が一緒にいるのは彼のおかげでしょう?だからね、」


「この子の名前は『隼人』にしようと思うの――」

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