第58話 鈍感系ヒロイン夜露ちゃん

 色々ひと段落、と考えてもいいだろうか。なんにせよ葵とは無事に和解できたし、あの後彼女が体調を崩すこともなく、木曜日にはお互い普通にいつも通り店で働いていた。

 とは言え、まだちゃんと話せていないことだってある。話すわけにはいかないこともあるけれど、それでもコミュニケーションというのは欠かしてはならない。言わなくても伝わることなんてこの世には存在しないのだから。

 そんなわけで金曜日。我が家の自室にて。


「ズルイですズルイです! なんですかその勝ち方! 卑怯ですよ!」

「はっはっはっなんとでも言うがいい勝てばよかろうなのだよ!」


 葵と二人、大乱闘に興じていた。

 俺の操る大王が葵の操るキャプテンを横Bで掴んでからの場外へとそのまま心中。それを三回繰り返してようやく掴んだ白星。我ながら情けない勝ち方ではあると思うけれど、そうでもしないと勝てないくらいに葵が強いのだ。因みに俺はこの戦法をメンヘラ心中ダイブと呼んでる。ロクでもない名前だな。

 この技の欠点を挙げるなら、自分の残機が相手より一つでも少ないと使えない点だろうか。あと大王の横Bは隙が大きいから中々当てられない。


「自分よりも上手い相手に正攻法で勝負したって仕方ないだろ」

「それにしたって酷い勝ち方ですよ……」

「立派な戦法だ」


 格下には格下なりの戦い方がある。むしろ、自分よりも上手な相手に勝つため色々と工夫するのはある意味でそれも正攻法と呼べるものだ。自分の実力と相手の実力を的確かつ冷静に判断し、限られた選択肢の中から最も適した一つへと絞り込む。その選択肢の中には、逃げの一手だって含まれているだろう。

 少なくとも俺は、これまでの人生でそうしてきた。戦うことを選ばずに逃げてばかりで、降りかかる火の粉の全てを避けてきた。

 だけどどうにも、高校三年になってからはそうもいかなくなったらしい。葵と知り合った時も、それから彼女にアプローチされていた時も、今回も。逃げ場は完全に塞がれてしまっているのだから。


「さて。話をしようか」

「……はい」


 ゲームの電源を切り、隣に座る葵と改めて向き合う。夜の輝きを秘めた瞳は強い意思を映している。そこに迷いはカケラもない。

 葵はいつだってそうだ。自分が決めた道を真っ直ぐ進める強さがある。自分の信じたものが正しいのだと思える。それはこの子の欠点になりかねないけれど、けれど俺にはない強さだ。


「つっても、話すことなんざそう多くもないけどな。大前提として、俺たちがあいつら二人のことをどうこうしようと、結局はあいつら二人の気持ちが最優先にされるんだ」

「それは……分かってます」


 少なくとも、キャンプの時の俺の言葉は幾らか効いているんだろうか。

 葵は自分が広瀬からしてもらった時のように、向こうから助けを求められたわけではない。ただ自分がそうするべきだと思ったから。友達の力になりたいと思ったから。広瀬の気持ちなんてなにも確認しないままに動いていた。

 葵の気持ちを否定するわけではないけれど、やり方がまずかった。相手の気持ちをそうだと決めつけるのは愚かでしかない。それは確実に、どこかで決定的なすれ違いを起こしてしまう。


「やるならやるで、せめて広瀬に一言断ってないとダメだ。誰もかれもが好きな相手と今すぐ付き合いたいだなんて思ってるわけじゃないからな」

「でも……それでも私は、凪ちゃんの力になってあげたいです。私のことを応援してくれて、後押ししてくれたから……」

「それは分かってるよ」


 本当に純粋な気持ちでそう思っているのは、痛いほどに伝わる。キャンプの時には珍しく声を荒げてまで主張していたのだから。

 俺が三人の中で誰の味方なのかと問われれば、間違いなく葵の味方だ。恩人と呼んでも差し支えない幼馴染二人よりも、俺はこの子を選ぶ。けれど、他二人を切り捨てられるほどの強さも、非情さも、俺は持ち合わせていない。

 四人全員が今のままの関係で。目指すべきゴールはそこだ。


「俺だって、広瀬のことは応援したいんだ」


 けれど本人はそれを望んでいない。キャンプの日の夜。あいつはたしかに責任を感じていた。後悔していた。具体的な主語が全くはっきりしない会話の中で、それを俺に伝えた。

 そんなあいつが、他の誰でもない葵から、自分の気持ちを応援されるなんて。そんなこと望んでいないだろう。彼女にとっては生き地獄に等しい。


「今だって、あいつのことは応援してる。でも、直接後押ししてやることは出来ない理由もある」

「その理由は、言えないんですか……?」

「悪いけど、俺の一存で言えるようなもんじゃないな」


 でも、なんの蟠りもなく四人での関係を続けるのなら。いつもみたいに、四人で集まって楽しくバカみたいなことをするには。いつか、話さなければならない。俺の口からか、もしくは広瀬の口からか。

 さらに問題は広瀬のことだけじゃない。


「じゃあ、伊能くんの好きな人って、真矢くんは誰か知ってますか?」

「広瀬ってことになってるんじゃなかったのか?」

「その言い方だと、違うんですね?」

「……」


 見事な誘導尋問である。思わず黙ってしまった。てっきり葵はこういう駆け引きは苦手だと思っていたのだけれど、そもそも頭の出来が俺なんかとは違う。その気になれば出来てしまうだろう。朝陽や広瀬、まひるさん辺りが相手だと通用しないだろうが、俺だと話は別。ただ性格的に向いていないというだけで、可能なだけの頭を持っている。


「よくよく考えたら、私は伊能くんの口からそうだって聞いたわけじゃないんですよね」

「まあ、好きな奴がいるとしか言ってなかったしな」


 そもそもお前がそう思ってるってちゃんと聞いたのも、キャンプの時が初めてだし。まあそういう考えに至るのも不思議ではないけどさ。


「凪ちゃん以外に思い浮かばなかったからそう思ってましたけど、他に候補を挙げるとしたら誰になるんでしょう? 世奈ちゃんとか?」

「柏木はさすがにないだろ……」


 あの二人は同じグループに属しているから比較的仲がいいが、だからと言って特別距離感が近いわけでもない。それこそ、朝陽と距離が近いのなんて広瀬くらいしかいないのだ。

 ここで自分の名前が出てこないあたり、どこの鈍感主人公だと言いたくなってしまう。まあ、朝陽も朝陽で自分の校内での立場ゆえにアプローチらしいものは中々していないから、仕方ないっちゃ仕方ないのかもだけど。


「やっぱり凪ちゃんが一番可能性高いですよね……」

「どうだろうな」

「真矢くん、知ってるんですよね?」

「これに関してはノーコメントを貫かせてもらう。これこそ、俺の一存で喋っていいもんでもないだろ」

「それもそうですね」


 忘れてはならないのは、キャンプ前に感じていた朝陽の違和感。結局それに関してはなにも分からないままにあいつは部活を引退してしまった。キャンプ中にはそのようなもの感じられなかったし、いつも通りの朝陽に戻っていたけれど。

 それでも、あいつがなにかを考えなにかに悩んでいたことは頭の片隅にでも置いておいた方がいい。


「私、学校が始まったら凪ちゃんに聞いてみます」

「朝陽の好きな奴?」

「そっちじゃないですよ。私は凪ちゃんのこと、応援してもいいのかです」

「そうか」


 高校生にとっての惚れた腫れたの話は、とてもプライベートなものだ。いくら親しい友人とはいえ、他人が土足で踏み込んでいい領域ではない。ともすれば、家族にだって。

 そこをちゃんと弁えてさえいれば、最悪のパターンにはならないのではないだろうか。

 なんて、油断はできないのだけれど。

 朝陽が葵に告白するのは確定だ。あいつも葵と同じで、一度決めたことを覆すような真似はしない。その時に葵は、広瀬は、果たしてどのような反応をするのか。行動を見せるのか。考えるだけで胃が痛いけれど、逃げるわけにはいかない。そもそも、逃げ道なんてとうに塞がれている。


「さっきも言ったけど、結局はあの二人がどうするか。最終的に優先されるのはそれだからな。あんまり出しゃばりすぎるなよ」

「はい」

「よし。んじゃこの話終わり。残りの夏休み、どうするか決めようぜ」


 パン、と手を打って話を切った。こんな話よりももっと楽しい話をしたい。

 とはいえ、この近辺では夏祭りや花火大会なんてものはない。電車で何駅か移動すればあるにはあるのだが、間違いなく満員電車。それが苦手、というかトラウマにまでなっている葵を連れて行くわけにはいかないだろう。


「あ、それじゃあ久し振りに映画観に行きたいです! 最近忙しくてあんまり行けてなかったので!」

「お、いいなそれ。どれ観るかは葵に任せるよ」

「それから、勉強もちゃんとしないとダメですね!」

「……」

「真矢くん……?」


 思わず目を逸らしてしまった。勉強。うん、勉強ね。そんなのもあったね。別に忘れてたわけじゃないよ? だって俺たち受験生だし。


「一応聞いておきますけど、受験勉強ちゃんとしてますよね?」

「……まあ、ほどほどに」


 嘘である。ここ最近勉強机に向かったことなんて皆無である。


「宿題は、さすがに終わってますよね?」

「もうちょい、かな……?」


 嘘である。まだ半分も終わっていないどころか、本当にほんのちょっと手をつけただけである。


「しんやくん?」

「ごめんなさい嘘です全くしてません……」


 目が全く笑ってない笑顔で問い詰められてしまえば、白状するのも早かった。てか怖い。葵さんマジで怖いっす。そんな表情も出来たんですね。


「はぁ……たしかにバイトもあるから忙しかったとは思いますけど、毎日一時間でも机に向かうだけで今頃には終わってるはずですよ?」

「仰る通りでございます……」


 三年生に課せられる夏休みの宿題は、過去二年よりもかなり少ない。学校側としては宿題なんかよりも受験勉強に取り組んで欲しいのだろうし、予備校や塾に行っている生徒だっているのだ。少なくて当然だろう。他の学校がどうかは知らんけど。

 二学期が始まると、すぐに文化祭の準備が各クラスで行われる。そして夏休みの宿題を期日までに提出できなかったやつは補習。

 クラスのみんなが文化祭に向けて青春してる最中、宿題をやっていなかって哀れな連中は勉強ちゃんとランデブー。文化祭準備中に距離を縮めていい雰囲気になってあいつ俺のこと好きなのかな? とか考えたり、ふとした拍子に目が合ったりしてちょっと照れ臭くなったりするやつらがいる中、一方で補習してるやつらは国語の問題で筆者の気持ちを考えたり数学の公式と熱い視線を交わすのみ。筆者の気持ちなんか締め切りヤバい以外なにもないだろ。

 勉強も青春の一部と言うやつらもいるだろうが、そういうやつらに限って特に努力もせず成績優秀だったりするのだ。そもそも勉強も青春の一部とか本気で思ってたら宿題ちゃんと終わらせてるわけで。補習組はそう思えないから補習組なわけで。

 とまあ、現状の俺はそんな哀れな補習組への道を一直線に進んでいるのだ。これは由々しき事態である。


「じゃあ、今から宿題進めましょうか」

「へ?」

「私が見てあげますから、ちゃちゃっと終わらせちゃいましょう! 大丈夫です、一日五時間やっていれば三日で終わりますから!」

「いやあの、葵さん? 今からやんの?」

「当然です。私だってまだまだ夏休み中に真矢くんとデートしたいんですから」

「うっ……」


 それを言われてしまえば弱る。もちろん俺だって残り二週間ほどになってしまった夏休みを葵と存分に謳歌したいと思っているが、宿題は捨て置けないし受験勉強だってやらねばならない。

 マズイぞ……俺も段々と俺自身が嫌ってきたタイプのリア充になりかけてる……あいつらどうせ年中遊んでばっかでろくに勉強もせず後から苦労するんだろザマァとか思ってたのに……。


「分かった……葵の言う通り三日で終わらせるよう頑張るよ……」

「はい、頑張ってくださいっ!」


 今日はこんなはずじゃなかったんだけどなぁ……。朝陽と広瀬のことを心配する前に、自分の勉強を心配する羽目になるとは。

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