第8話 ヒーロー

 実は、映画館というものにあまり足を運んだことがなかったりする。

 なにか観たい映画があればレンタルするし、その方が安くつくし、そもそも特別観たい映画というものが出来たこともない。

 一回観るのに千円払うというのは、高校生のお財布事情的にも厳しいものがあるのだ。更に俺の場合、まず一緒に行く相手がいなかった。朝陽は部活だし、広瀬は映画に誘うほど仲良くないし。

 しかも映画館ってあれだろ、カップルがデートでよく使うとこだろ。なんで俺がそんな場所に一人で赴かねばならんのか。

 だが、そんな先入観を改めなければならない。

 巨大なスクリーンに映し出された映像は、最新のCG技術と役者さんの演技を最大限に引き出して魅せ、大音量のBGMや効果音、会話などは躍動感と臨場感を会場に与える。

 気がつけばあっという間に二時間が過ぎていて、エンドロールが流れ始めてからも暫く余韻を噛み締めていたほどだ。


「すっげぇよかった……」

「ふふっ、楽しんでくれたみたいでよかったです。あの映画を選んだ甲斐がありました」


 対面に座る葵は、オレンジジュースを啜りながら穏やかな笑みを見せる。

 ショッピングモールの最上階にある映画館を出た俺たちは、同じモールの中にある喫茶店に来ていた。お互いに映画を見ながらポップコーンを食べていたから、昼食はここで軽く済ませようとのことだ。

 葵の目の前にはオレンジジュースの他にもサンドウィッチが。俺の方には、コーラとミートソースのパスタ。


「ハリウッドの映画とか全然観たことなかったんだけどさ、マジで面白かったよ。アクションはかっこいいし、ジョークを挟んだ会話はテンポよくて面白いし、悪役もどこか憎めないところがあって、それでも最後は勧善懲悪。なんかスカッとしたな」

「大神くんは、どのシーンが一番好きですか?」

「俺はやっぱりラストの戦いかなぁ」


 主人公と敵のボスがお互いの能力を使って死闘を繰り広げるのだ。アクションだけじゃない。戦いながらも市民を守るヒーローや、逆にヒーローを応援する市民の姿にも心を打たれた。

 なによりも凄いのはCG技術だ。ビームとかなんかそういうのがもう本当凄かった。あれを嫌いな男子はいないだろう。少年心をくすぐられる。


「葵は?」

「私は、本当に一番最後のところが好きです。ヒーローがちゃんとヒロインのところに戻ってきてくれて。それから、エンドロールのあとに続く、私たちの知らない物語の中でも、ヒーローが誰かを守るために戦ってるんだって、教えてくれますから」


 なるほど、そういう見方もあるのか。いかんせん映画初心者だから実際に観た話の内容にしか意識が向かなかったが、それが終わった後の話。また続くであろう彼らの戦いに想いを馳せる。

 そんなのは、考えもしなかった。


「好きなんだな」

「へ? は、あ、え、な、ななななにがですか⁉︎」

「いや、映画の話」


 逆になんだと思ったんだ。慌てすぎだろ。可愛いからいいけど。


「ああいうヒーローアクション系のやつ。結構好きなんだなって」

「え、ええ、そうですね。映画は色々観ますけど、今日観た感じの映画が、一番す、すき、かも、です」


 ああ言う映画を好きと言うのは恥ずかしいのか、そこだけ酷く掠れた声になっていた。別に、そんな気にするようなことでもないと思うが。


「映画だけじゃなくて、特撮とか、アニメとか、ヒーローが出てくるお話が、小さい頃からお気に入りなんです、私」


 正直、かなり意外だとは思う。葵の可愛らしい見た目からは、あまり想像できないような嗜好だ。

 だが、俺はそれを悪いとは思わない。そもそも俺でなくても、それに対して何かを思う権利なんて、誰も有していないのだから。


「お話の中に出てくるヒーローみたいに、誰かを守れるくらい強くなりたいって、ずっと思ってたんです。私は弱くて、臆病ですから」


 その言葉の通り、浮かべた笑顔はどこか弱々しいものだ。自信がないのかもしれない。その自分の言葉自体を、信じられないのかもしれない。強くなりたいと思っていても、そんなの無理だと、心のどこかで思ってしまっているのかもしれない。

 俺の勝手な想像ではあるけれど、そう思わせるほどに、葵の笑顔には力がない。


「やっぱり、変、ですよね。女の子なのに、こんなのは……」

「いや、そんなことないんじゃねぇの」


 たしかに、普通の女の子なら可愛いものとか綺麗なものとか、そういったものを好むのだろう。いかんせんサンプルが乏しいのだが、少なくとも広瀬はそうだし、クラスの女子が雑誌を広げてあれが可愛いこれが可愛いと騒いでいるのを見かけたことがある。

 だが、だからと言って葵のその気持ちが否定されるわけではない。

 普通の女の子と違うからなんだと言うのか。なぜ、普通と違うからといって、衆目に晒され、忌避の視線を向けられ、迫害されなければならないのか。

 みんな違ってみんないい、なんて言葉を綺麗事だと、俺は思わない。人間なのだから違って当たり前だ。だと言うのに無理に周囲と合わせて、合わせることを強要するリア充どもの同調圧力は気に入らない。

 みんなと違うからなんだと言うのか。違うことがそんなに悪いことなのか。変なことなのか。んなわけがないだろ。それは尊重されるべき立派な個性で、願いだ。


「たしかに、他と違うってのは色々と窮屈なこともあるけどさ。それでも変わらず、好きなものを好きでいられる葵は、十分強いと思うけどな」


 誰かを守れる強さとは違うのかもしれない。けれど、自分の願いを守ることが出来ている。ならば葵夜露は強い女の子だと断言できる。


「好きなものを、好きでいられる私……」

「あんまり間に受けんでくれよ。所詮は十七歳のガキの戯言なんだから」


 噛みしめるように俺の言葉を反芻した葵に、一応釘を刺しておく。そこには照れ隠しの意味もほんの少し含まれているが。

 ただ思ったことをそのまま口にしただけだ。俺の言葉が全てではないし、葵にはまた違った価値観、ものの見方というものがある。それはさきほど、映画の感想を言い合った時に分かっている。


「いえ、そんなことないです。ちょっとだけ、救われた気持ちになっちゃいました」

「……ならよかった」


 にこりと微笑みかけてくるその表情は、とても柔らかなもの。それを直視出来なくて、思わず視線を逸らしてしまう。

 今度は照れ臭かったからとかじゃなくて。

 葵にこんなことを宣っておきながら、みんなと違う自分を受け入れられないのは、他の誰でもない俺自身だから。





 喫茶店で軽く昼食を摂った後は、葵の立てた予定通りにウインドウショッピングと洒落込んだのだが。

 デートなんてもんお互い初めての俺たちが、そんな目的もなくただ歩くだけなんてのが長いこと保つはずもなく。二時間も経たないうちに呆気なく帰ることとなってしまった。

 まあ、それでも今日は楽しかった。映画は面白かったし、その後モール内をふらつくのもなんだかんだで悪くはなかったし。

 ショッピングモールを出て駅に向かい、行きよりもだいぶ空いている電車に乗ったのだが。満員電車でもないに関わらず、葵は行きと同じく、俺の服の裾を掴んできた。


「お前、本当に大丈夫か?」

「はい……ちょっと、電車が苦手なだけなので……」


 それは、満員電車に限らず、ということか。

 だったらなぜわざわざ、電車を使うようなデートコースを考えてきたのか。例えば、時間は電車よりもかかるとは言え、あのショッピングモールにはバスで行くことだって可能だったはずだ。

 なにか理由があってのことなのだろうが、俺はそれを察せるだけ葵のことを知っているわけではない。


「大神くんとなら、大丈夫だって思ったんです。そしたら、本当に大丈夫だから、私もビックリしてるんですよ?」

「俺となら大丈夫って……」


 それは、彼女が俺に抱く感情ゆえにか。

 立ったまま電車に揺られ、窓の外で流れる景色を見つめる葵は、どこか懐かしむような目をしている。

 裾を掴んだ手に、少し力が込められた気がした。


「大神くんは覚えてないかもしれないですけど、私、一年の時にあなたと会ったことがあるんです」

「一年の時……?」

「はい。あの時は日曜日で、今朝みたいな満員電車で」


 言われて記憶を掘り起こす。思い当たるのが、ひとつだけあった。


「まさか、あの時おっさんに触られてた子が、葵だったのか……?」


 恐る恐る問いかけた言葉に、首肯を返される。

 高校に入学してからすぐの話だ。休日に少し遠出しようと思った俺は、見事に満員電車で人間ミキサーにかけられていた。

 慣れない満員電車でただでさえイラついていたのに、見つけてしまったのだ。すぐ隣にいまスーツ姿のおっさんが、俺と同い年か年下くらいの女の子に痴漢している場面を。

 そんな胸糞悪いとこを見せられたら、いくら温厚な俺でも限界というもので。その場でおっさんの腕を掴み、電車内にも関わらずデカイ声で痴漢してると叫んでやり、次の駅で駅員に突き出してやった。幸いにも周りの乗客たちが手助けしてくれたから、俺はその場の混乱に乗じてさっさと退散したのだが。

 まさかまさかである。その時の女の子が、葵だったなんて。


「ずっと、お礼が言いたかったんです。あの時大神くんは、すぐいなくなっちゃったから。でも、その眼だけは。金色の瞳だけは、覚えていたから」


 葵の澄んだ瞳が、髪とメガネで隠れた俺の瞳を、たしかに捉えている。口元には優しい微笑を湛えて。

 俺は一人で遠出する際なんかには、髪の毛も少し弄ったりメガネもつけなかったりしている。その時の俺も、その例に漏れず。

 だから、その場にいた葵には知られていたのだ。俺がどうしても好きになれない、みんなと違う、この金色の瞳を。


「凪ちゃんに相談してみれば、すぐに特定してくれました。ちょうど、大神くんからもその愚痴を聞かされたって言ってたので」


 ああ、そう言えば。朝陽と広瀬にはなにかの拍子に愚痴を漏らしたことがあったか。

 いや、そんなことより。葵は、なにも思わないのだろうか。こんな、明らかにおかしい眼の色をしている俺に対して。

 電車が駅に到着する。ここで降りたのは俺たちだけで、ホームも閑散としたものだ。さすがにこんな中途半端な時間だと、それなりに大きな駅と言えど人は少ないらしい。

 降りたばかりの電車が次の駅へと去って行くのを見送って、葵は俺に向き直った。


「あの時は、ありがとうございました。私、怖くて、声も出せなくて……。でも、大神くんが助けてくれたから。だから大神くんは、私にとってのヒーローなんです」

「そんな、大層なもんじゃない……」

「大神くんがそう思っていても、私にとっての大神くんは、紛れもなくヒーローなんです。いつも画面の向こうにいた、私が憧れる存在と同じなんです。今は、ちょっとだけ違いますけど」


 なら、それは。それは、恋愛感情とは言えないんじゃないか。そう思っても、目の前で照れたように笑う葵には言えなかった。

 もしもそれがキッカケだとしたら、葵が俺に対して抱いているのはただの勘違いだ。刷り込みだ。吊り橋効果なんて言われる紛い物だ。

 でも、一年の頃から俺を知っていて、見ていて、あまつさえ朝陽や広瀬なんかから話を聞いてもなお、その気持ちが揺らいでいないのだとしたら。二年もの間、変わらないのだとしたら。

 彼女の気持ちを簡単に否定することなんて、俺には出来ない。

 もっとも、ハッキリとした言葉を伝えられたわけでもないのだが。それどころか、嫌いだと言われてるまである。ああ、それはなかったことにしているんだったか。


「葵はさ」

「はい?」


 そんな彼女だからこそ、改めて聞いてみたい。返ってくる答えにはなんとなくの察しがつくけど。それでも、ちゃんと言葉にして聞きたい。


「俺の目、変だとか思わなかったのか?」

「変、ですか?」


 キョトンと小首を傾げる葵は、その質問の意図を理解していないのだろう。

 俺の祖父さんはヨーロッパの出身だ。四分の一だけ欧州の血が流れてる、クォーターと言うやつ。だからその遺伝なのか、俺の瞳の色はアンバー。正確には葵の言っていたような金色ではないのだが、光の当たり方や加減などでそう見える時もある。

 みんなと違う瞳。ただそれだけの理由で、どれだけ苦い思いをしてきたか。こんな眼をもって生まれたことを呪ったし、両親に八つ当たりじみたこともしたことだってある。

 それでも、朝陽は俺の瞳をカッコいいと言ってくれた。広瀬は羨ましいだなんて言いやがった。

 そして葵は、綺麗だと、そう言って微笑んでくれた。


「変だなんて、思うわけないじゃないですか。たしかに大神くんの瞳は、私達とは違うのかもしれません。でも私は、大神くんのその瞳が、すっ……」


 中途半端なところで言葉が途切れて、葵の頬が一気に紅潮しだした。突然なんだと不思議に思っていれば、赤くなった顔を俯かせてしまう。


「す、すてき、だとおもいます……」

「そうか……」


 遅れて、葵の様子がおかしくなった理由に気づく。大方、俺の瞳が好きだとか言おうとして、恥ずかしくなってしまったのだろう。

 その葵らしさに、思わず笑みが漏れてしまう。安心感すら覚える始末。


「ありがとう。そう言ってもらえるなら、まあ、なんだ、ちょっとは元気出るよ」


 嬉しいと伝えるのが照れ臭くて、変な言い回しになってしまった。

 幼馴染二人以外から、この眼をこう言ってくれる奴なんて初めてだから。本当に、本当に嬉しいんだ。

 でもそれを直接伝えられるわけもなく。

 素直になれないのは、俺も葵も同じだ。


「よし、んじゃ帰るか」

「はいっ」

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