第4話 親友兼幼馴染兼ライバル
昼休みの私はどうかしていた。
多分、悪魔に取り憑かれていたんだと思う。
だってあんな、大神くんの前であんなはしたないこと。
思い出しただけでも顔が火照ってしまって、黒板を使いなにやら数式の解き方を垂れ流している教師の声は、完全に右から左。
どうしよう、本当に暑くなってきた。でも、昼休みの時みたいなことはさすがにできない。二度とやらない。
気がつけば授業終了のチャイムが鳴っていて、挨拶のあと数学教師が去っていく。だからと言って顔の熱が収まるわけでもないし、このまま教室にいれば、クラスメイトに変に思われてしまうかもしれない。でも休憩は十分だけだから、変にどこかへ行くこともできない。
ここはポジティブに考えましょう。私の人生史上最大の勇気を振り絞ったあの色仕掛けは、ある意味成功したとも言えるんですから。
だって、前髪とメガネの奥に潜んでいた綺麗な金色の瞳は、ちゃんと私のことを見ていてくれた。真っ赤な顔して、私のことを意識してくれていた。
それだけでも嬉しいのに、あんな風に優しさを見せられてしまったんだから、もう堪らない。
「えへへ……」
つい漏れてしまうニヤけた笑み。ハッとなってあたりを伺うも、誰かに見られた様子はない。よかった。我ながら、人様にはお見せできない顔をしてたと思うから。
「なーにニヤけてんのよ」
「……っ⁉︎⁉︎」
すぐ隣から突然かけられた声に、思いっきり肩を震わせてしまう。そちらに振り向けば、クラスが違うはずの凪ちゃんが立っていた。
「なっ、ななな凪ちゃんっ⁉︎」
「はいそうですよー、あんたの親友の夕凪様ですよー。はい、てことで連行ー」
「えぇ⁉︎」
無理矢理立ち上がらせられて、そのまま腕を引っ張られ教室の外へと連れて行かれる。意外に力の強い凪ちゃん相手に抵抗出来ることもなく、やって来たのは人のいない階段の踊り場。
「どうしたんですかいきなり?」
「どうしたはこっちのセリフよ。あんた、昼休み大神になにしたの?」
「へ? 大神くんに?」
「そ、教室に戻ってきた時のあいつ、なんか様子がおかしかったのよ。だから夜露がなんかしたのは確定でしょ?」
それは確定なんですね……。いえ、たしかになにかした、と言えばその通りなんですけど……。
うぅ……でもそれ、凪ちゃんに言わなきゃダメでしょうか……ダメですよね……。
「そ、その、昨日の凪ちゃんのアドバイスを参考にしてですね……」
「昨日のって……。あっ、えっ、嘘、ホントに色仕掛けしたの⁉︎ あの夜露が⁉︎」
大きな声で驚く凪ちゃんに、コクリと首肯を返す。また顔が熱くなってきた。恥ずかしさのあまり、まともに凪ちゃんの顔も見れなくて俯いてしまう。
「で? 色仕掛けって、どんなことしたのよ。まさか体を触らせたとかそんなんじゃないでしょうね?」
「ち、違いますよ! そんなことしたら私が倒れます!」
「そこはあんたなのね……」
だって、大神くんに触ってもらえるなんて、そんな恐れ多いと言うか、もうそれってだって結婚してるのも同じじゃないですか! 付き合ってもない男女がするようなことじゃないですよ!
「じゃあなにしたの?」
「え、えっと、その、ブレザーを脱いで、カッターシャツの第三ボタンまで外してみたり、とか……」
多分、鎖骨のあたりとかまでは見えちゃってたかも。でも、それで大神くんが私を意識してくれるなら安いものだ。なにせ、スタートダッシュに大きく失敗してしまったのだから。
個人的には結構頑張ったと思っていたのに、けれど目の前からは何故かため息が漏れていた。
「夜露」
「はい?」
声のトーンが少し低くなった。さすがに顔を上げれば、その表情も少し険しいもの。
私、なにかまずいことでもしちゃったんでしょうか……?
「とりあえず、もっかい第三ボタンまで外してみなさい。今、ここで」
「な、なんでですか?」
「いいから」
「はい……」
言われた通り、カッターシャツのボタンに手をかける。いくら見ているのが同性の親友だけとは言っても、羞恥心は抑えられない。
第二ボタンまでを外し、次に第三ボタンに手をかけようとしたところで、気づいた。
これ、もしかして、もしかしなくても。まさか、下着まで見えちゃいませんか……?
「やっと気づいた?」
もう一度ため息を零した凪ちゃんは、額に手を当てて心底呆れているようだった。
いや、そんな状況分析してる場合じゃなくて。つまり、大神くんに、私のブラジャーがちゃんと見られていたということで。
「〜〜〜っっ!!」
待って、待って待って、待ってください。そんな、嫁入り前の女の子がこんな、えっ、嘘ですよね? 実は大神くんには見えてなかったとか、そういうオチですよね? ね?
「全く。けしかけたあたしが言うのもなんだけど、ちょっとやり過ぎよ? 相手が大神だからいいものの、他の男子だったらどうするのよ」
「ほ、他の男子相手にこんなことしません!」
「それは分かってるけど、それでも親友としちゃ心配しちゃうの」
ほら、ボタン止めなさい。言われて服装を正す。こんなことなら、もう少し気合いの入ったブラジャーにしておけばよかった。
じゃなくて。
問題は、このことを知ってしまった私が、今後まともに大神くんの顔を見れないかもしれないと言うことだ。
「ど、どうしましょう凪ちゃん……」
「そうね……」
それを凪ちゃんも分かってくれているのだろう。親友とは言え他人の私のために、頭を悩ませてくれる。
私は当然のように凪ちゃんを頼ってしまっているけれど、これは本当にありがたいことで、当たり前のことじゃないんだ。
「夜露、たしか今日は家の手伝いだったわよね?」
「はい……だから次に大神くんと会えるのは明日です……」
「ん、そうでもないかもよ? まあ、ここは親友のあたしに任せなさいな」
豊かな胸をドンと叩く姿は、とても頼もしい。
でも、その胸の大きさにちょっとだけ嫉妬しちゃう。大神くんも、凪ちゃんくらい大きい方がいいんでしようか……。
宣言しておくべきだと思うが、俺は葵夜露に対して恋愛感情を抱いているわけではない。
そりゃ可愛い子だとは思う。たった二日だけ昼食を共にしてみれば、抱いていた印象は覆されたものの、小動物じみたところがあって男の庇護欲を駆られる。
だが、その内面については未だなにも知っていない。
そもそもの話、他人の内面を完璧に理解することなんて不可能だ。それが親兄弟であれ、親友であれ。恋人や夫婦であっても例外なく。
だから極端な話、朝陽が本当に葵のことを好きなのかは本人にしか分からないし、葵のあの日の告白の真意なんかも葵にしか知り得ないことだ。
だから人は言葉を弄する。意味を持たせたその音で本心を隠し、伝えたいことだけを自分本意で伝え、そこから相手に理解を強要する。
これは人間である以上仕方のないことだ。コミュニケーションと呼ばれるものは、すなわち心理的な争いとも言える。それに失敗してしまうからこそ、もしくはそれを放棄するからこそ、人は物理的な争い、つまりは世に言う戦争へと発展してしまうのだ。
閑話休題。
話が大きくなりすぎてしまった感は否めないが、要するに、葵夜露が果たしてどのような人間なのか、俺は全く知らないということ。
そりゃ紛いなりにも親友の想い人であるわけだから、表面上の情報なら知っている。
朝陽と広瀬の友人であり、二年次においては俺も同じクラスに在籍していた。三年である今は二組に所属していて、穏やかな物腰と若干天然気味なところが男子からの人気に拍車をかけている。
勉学も非常に優秀で、体育の授業を見る限り、運動神経もいいのだろう。朝陽たち以外にもそれなりに友達はいるみたいだし、二年の時はクラス内カーストでもそれなりに高い位置にあった。
あと今日のブラは白。
俺の知ってる情報なんてこんなもんだ。最後のは余計だったな。
この程度であれば、俺でなくても知っている。ブラの色だって、同じクラスの女子なら体育の着替えの時にでも見ているだろうし。
だが果たして、葵が俺に、あそこまで積極的なアプローチを見せるのは何故か。これは仮説を立てられるが、では何故その仮説が立ってしまっているのか。
つまり、俺が葵に好意を寄せられる理由とはなんなのか。
結局気になるのは、その一点に尽きるのだ。
「大神ー、ちょっとツラ貸せよー」
聞こえて来たヤンキーみたいな声に思考を中断させる。俺を呼んだのは広瀬。その隣には朝陽もいた。
時間は放課後。クラスメイト達は部活に向かったり帰宅したりで、気づけば教室内には俺たち三人しか残っていなかった。
広瀬の見た目が超ギャルなだけに、その言い方は若干怖いのでやめて頂きたい。
「どうした?」
「ご飯食べに行くよ」
「は?」
え、このギャルいきなりなに言ってんの?
「葵のとこだよ。俺と凪はたまに行ってるから、今回は真矢もどうかと思ってな。なにせ、昼休みにあんなとこを見せられたばかりだし」
「ああ、そう言う……」
そう言えば、そんな話もあったか。忘れていた。
葵夜露の実家は、小さな洋食屋を営んでいるらしいとは、かつて朝陽からも聞かされた覚えがある。広瀬と二人で定期的に通ってるのは初耳だったが。しかし。
「俺も行っていいのか?」
「当たり前だろ?」
問いに対するはまさしく即答。何言ってんだこいつバカじゃねぇのとか言われそうなくらいに。
朝陽本人の口からも出た通り、昼休みにはあんな状況を見られてしまったのにも関わらず、だ。
「んで、お前と葵のこと聞かせろよ! 今までは俺が一方的に話してただけだからな。存分に語り合おうぜ!」
「いや、お前がいいならいいけど……」
「んじゃ決定ね。ほら、さっさと荷物まとめな」
広瀬に急かされて荷物をまとめ、三人で教室を出る。校内にはまだ疎らに生徒の姿が見受けられ、各々が友人達と雑談に興じたり、バカが走り回っていたり、教師を捕まえて授業の質問をしていたり。様々な放課後を過ごしている。
いつもの俺なら、授業終了と同時に即帰宅していたが、少し考え事をしてしまったのが捕まった原因か。
まあ、そうじゃなくてもラインで呼び出されたりしてたかもだ。
「葵の家ってどこにあんの?」
「ここから割と近いぞ。俺たちの家と学校のちょうど中間くらいじゃないか?」
俺と朝陽の家は、歩いて三十秒の位置にある。いわゆるお向かいさんと言うやつだ。俺の家から道路を挟んだ場所に朝陽の家があって、そこから数分歩いたところに広瀬の家。学校にも徒歩で通っている。
学校を出て歩く中でも、他愛のない話は尽きることなかった。
「あんた、なに暗い顔してんのよ」
「は?」
そんな時、不意に広瀬が俺の顔を覗き込んでくる。昼休みの葵ほどではないが、お前も結構胸元緩いんだからやめて頂きたい。眼福ではあるけど。
「あれだろ真矢。俺と葵のことだろ」
「……まあ、そんなとこだけど」
続け様に言葉を発した朝陽には、どうやら俺の考えていることなどお見通しらしい。少し前のコミュニケーション云々なんて思考が馬鹿馬鹿しくなるほど、俺の心情は幼馴染に見透かされていた。
「あんま気にすんなって。昼休みにも言ったろ? これからはライバル、正々堂々勝負だってな」
「そうは言ってもな……」
多少気が楽になっていたとは言え、それでも朝陽に対してどう接したらいいのか、未だ悩んでいる。俺は葵のこともよく知らないのだ。そもそも、この状況にこそ困惑は収まりきらない。
「てかさ、朝陽がこう言ってんだし、大神がそれ以上気にすることなくない?」
「凪の言う通りだぞ。そりゃまあ、ちょっとは嫉妬もするし、悔しいが、お前と俺が親友なのに変わりはないだろ? 俺たちの友情はんなもんで揺らぐような、ちゃちなものだったかよ」
たしかに、朝陽とはこれまで長いこと親友をやらせてもらってる。色んなことをして、色んな感情を共有して、喧嘩したことだってそりゃある。
だが、こんな状況になることなんて、今までになかったわけで。
「それにな、真矢。俺は、お前が今のままの態度の方が気に入らないぜ。悩んでくれるのは結構だが、俺を理由に葵の気持ちに向き合わないってのは、それこそ不誠実ってもんだ」
声音は低く、視線は鋭い。俺よりも高い身長から見下ろしてくる朝陽の表情には、怒りにも似た感情を伺わせている。
どうやら俺は、己の親友を見誤っていたらしい。全く、随分と長い付き合いになると言うのに、今更気づかされるとは。
「そうだな……悪い、朝陽」
「いいってことよ! お前が葵と付き合ってるなんて思いもしなかったが、そりゃ言い出しづらいのは当然だからな!」
とりあえず、道すがらその勘違いを正すことにしよう。
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