4 わたしがお前に食べてほしくて、食べさせたのだ


「どうした? 顔が真っ赤だぞ?」


 ぎゅっと形良い眉を寄せた龍翔の手のひらが、明珠の頬を包む。


「ひゃっ!?」


 かと思うと、秀麗な面輪が大写しになり、明珠は反射的に服の上から守り袋を握りしめて目を閉じた。


 こつん、と龍翔の額が合わさる。


「熱はないようだが……」

「ん……っ」


 龍翔の吐息が肌をでるだけで、そわりと背筋にさざなみが走り、無意識に声が洩れる。


 心臓がばくばくする。

 はっ、とこぼれた息は熱く、荒い。


 なんだかおかしい。


 龍翔に抱きしめられている時はいつも、どきどきして、顔が熱くて、恥ずかしさと自分でもよくわからない感情が入り混じって、ずっとこのままでいたいような、同時に逃げ出したいような気持ちになるのだが……。


 今は、いつものそれとも微妙に違う気がする。


 心とは裏腹に、勝手に身体だけが先走っているような……。


 既視感のある感覚なのに、いったいどこで味わったことがあるのか、まったく思い出せない。


 と、不意に明珠を横抱きにしたまま、龍翔が立ち上がる。


「ひとまず、わたしの寝台で休め。季白を……。いや、まずは梅宇ばいう達だな。身体に不調がないか診てもらおう」


「だ、大丈夫です……っ」


 明珠の反論を無視して、龍翔がすたすたと部屋の奥へ歩んでいく。

 衝立ついたての向こうに回ると、すぐに大きな寝台が見えた。


 絹の敷布の上にそっと横たえられ、大いに慌てる。


「ほ、本当になんでもありませんから……っ!」


 優しい龍翔のことだ。明珠がこんな状態では、落ち着いてチョコレートを味わうどころではないだろう。


 また龍翔に迷惑をかけてしまったと、涙がにじみそうになる。


 起き上がって謝ろうとするより早く、手早く明珠の足から靴を脱がせた龍翔に、肩を押さえられた。


「横になっていろと言っただろう?」

「で、ですが……っ」


 起きようと身動みじろぎするが、肩を押さえた手は、痛くこそないものの、まったく緩まない。


 と、明珠に掛け布団をかけた龍翔が、黒曜石の瞳を悪戯っぽくきらめかせる。


「寝ぬというのなら、わたしが隣で添い寝してやろうか?」


「っ!?」

 冗談とわかっていても、一瞬でぼんっ、と頬が熱くなる。


「ご、ご冗談はおやめくださいませ……っ」


 恥ずかしさでさらに呼吸が荒くなる。

 守り袋ごと胸を押さえていなくては、心臓が口から飛び出しそうだ。


「すまんすまん」


 苦笑して謝った龍翔が、ぽふぽふと優しく頭を撫でてくれる。

 それだけで心地よい漣が身体を満たし、声がこぼれそうになる。


「お前が休もうとしてくれぬゆえ、ついな」


「だ、だって……っ。せっかく龍翔様もちょこれーとを楽しまれようとなさってましたのに……。あんなに美味しいものを食べられないままだなんて、申し訳なさすぎますっ! 私はちゃんと休みますから、龍翔様は遠慮なさらずお食べくださいねっ」


 本当は自分の寝台に行きたいが、この様子では起き出すのを許してくれぬだろう。


「なるほど、チョコレートか……」

 龍翔が何かに気づいたように呟く。


「以前、小耳に挟んだ覚えがあるが、確か、チョコレートには……」


 言いさしてやめた龍翔が、明珠の顔をのぞきこむ。


「今まで、チョコレートを食べたことは?」


「いえっ、初めてです。あんなに甘くておいしいお菓子は初めていただきました!」


 口の中でとろりととろけるチョコレートの濃厚な甘さを思い出すだけで幸せな気持ちになり、ふにゃ、と顔がにやけそうになる。


「……確か、二十個近く食べていたな……」


「すっ、すみませんっ! 龍翔様に贈られたちょこれーとだというのに、私だけばくばくいただいてしまいまして……っ」


 苦い顔で呟いた龍翔に、慌てて謝る。


 主人のお菓子を横取りするなんて……。


「この不調は、罰が当たってしまったんでしょうか……?」

 じわ、と涙がにじみそうになる。


「大丈夫だ。わたしがお前に食べてほしくて、食べさせたのだ。罰など、当たるわけがなかろう」


「ふあっ」


 龍翔がくしゃりと明珠の髪を撫で回す。その心地よさに、思わず声が飛び出した。


「ただ……」

 龍翔が何やら言い淀む。


「ただ……。何ですか?」


 苦い声に不安が胸に押し寄せる。

 じ、と主の秀麗な面輪を見上げると、龍翔が諦めたように吐息した。


「チョコレートには媚……。いや。食べ過ぎると、酒に酔ったようになるらしい。お前の不調はそのせいだろう。すまぬ。聞いた覚えはあったのだが、本当だとは思わず……。お前の喜ぶ顔見たさに、ついたくさん食べさせてしまった」


 頭を下げて謝る龍翔に慌てる。


「り、龍翔様っ!? お願いですから、謝らないでください! 本当においしくて、食べられて嬉しかったので、その……っ」


「……そうか。それはせめてもの慰めだ」


 微笑んだ龍翔が、もう一度明珠の頭を撫でてくれる。


「んん……っ」


 ふわふわとした心地に、無意識に声が洩れる。と、龍翔が慌てたように手をひっこめた。


「というわけだ。少し休めば、体調もよくなるだろう。梅宇達には、わたしから言っておくゆえ、気にせず少し休め」


「はい……」


 龍翔がいつになく早口で言い、身を翻そうとする。その袖を。


「? どうした?」

 龍翔が虚を突かれた顔で明珠を振り返る。


「え? ……あっ、すみませんっ!」


 無意識に手を伸ばして龍翔の袖を掴んでいたことに気づいた明珠は、慌てて手を放そうとした。


 が、自分の手なのに、指先はぎゅっと龍翔の袖を掴んだまま、放せない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る