2 甘くてとろける……ちょこれーと?
「っ⁉」
明珠は、はっと息を飲む。
反射的に両手で押さえたのは、へその前辺りの帯だ。
「あ、あのっ、その……っ」
焦るあまり、うまく言葉が出てこない。
「す、すみません! わたし、ばれんたいんでーって何か知らなくて、その……っ」
あわあわと、言葉を紡ぐ。
「だから、ちょこれーとも……。その、客寄せにタダで配っていたのを、一つもらったきりで……」
元々、もらった給金のほとんどを実家の弟・
帯の間から取り出したのは、握り拳に隠してしまえるほど小さな、一口大の四角いチョコレートの包みだ。
が、取り出した瞬間、後悔する。
山のように高級チョコレートをもらっている龍翔に、こんなちっぽけなチョコレートを渡すなんて、失礼極まりない。
「す、すみませんっ! 今すぐ高級ちょこれーとを買ってきます! た、たぶん一個しか買えないと思いますけど……っ!」
頬の龍翔の手を引きはがし、身を翻して駆けだそうとすると、チョコレートを握っていた手を掴まれた。
「わっ⁉」
勢いよく駆けだそうとしたところに、真逆の力を加えられて、たたらを踏む。
よろめいたところを、ぽふん、と龍翔の広い胸板に抱きとめられた。
「す、すみませんっ!」
「わたしは」
優しく、けれども決してふりほどけない強さで、明珠の拳を包み込んだ龍翔が、明珠の顔を覗き込む。
「お前がわたしに贈ってくれるというのなら、この一つで十分だ」
龍翔が思わず
と、不意に声が弱々しくなり。
「……お前は、わたしにくれぬのか?」
「っ⁉ なんでそんな捨てられた子犬みたいな顔するんですか⁉ そりゃあ、私だってお贈りしたいですけど……っ! で、でもこんなのお渡しできませんから! ほらっ、季白さんがものっすごい顔でこっち
「わたしは、これが良いのだ」
龍翔の指先に力がこもる。
強引が拳がこじ開けられ、チョコレートがのぞくが……。
「これっ、溶けかけてますからっ! 龍翔にお贈りできるようなものじゃないですからっ!」
この陽気の中、帯の間に挟んでいた上に、ぎゅっと握り込んだせいで、チョコレートが変形してしまっている。
「だ、だから、ほんと別のものを買って……、って、あ――っ!」
明珠の手から、不格好に変形したチョコレートを取った龍翔が、チョコレートの包み紙をかさかさと開けていく。
中から出てきたのは、溶けて柔らかくなったチョコレートだ。
「だめですっ! お手が汚れますっ!」
チョコレートを取り戻そうと、手を伸ばす。
指先がかすめ、溶けたチョコレートが指先につく。やっぱり溶けている。が。
明珠が奪い返すよりも早く、龍翔が口の中へチョコレートを入れる。茶色く染まった己の指先を、ぺろりと
「うむ。
龍翔が、花が咲くような笑みをこぼす。
「お前のチョコレートが、一番、美味い」
「なっ、そんなわけ……っ」
言いかけて、気づく。
そういえば、龍翔はいくらでも高価なものを食べられる身分だというのに……。
(味オンチだなんて、おいたわしすぎる……)
もしかしたら、ふだんから高価なものを食べている分、庶民的なものが目先が変わって、おいしく感じるのかもしれない。
心の中で龍翔の不幸を嘆いていた明珠は、そのせいで反応が遅れた。
「ん? チョコレートがついているな」
龍翔の手が、明珠の指を掴む。
秀麗な面輪が、不意に近づき。
「きゃ――っ!」
あたたかくて湿ったものに指先を
「なっ、何なさるんですか―――っ⁉」
手を振って逃れようとするが、龍翔の手は放れない。
「ああ、すまぬ。
「絹の手巾をあっさり汚そうとしないでくださいっ!」
「なら、かまわぬだろう?」
「かっ、かまいますよっ! こ、こんなっ、こんな……っ」
自分の顔も、龍翔に掴まれたままの指先も、燃えるように熱くなっているのがわかる。
「すまぬ。だが……」
「お前がくれたものだと思うと、ひとかけらとて、無駄にしたくなかったのだ」
握ったままの明珠の指先を持ち上げ、そっと龍翔がくちづける。
「何よりも甘くて……。もっと、と願ってしまう」
「ひゃああっ⁉」
驚きのあまり、龍翔の声もろくに耳に入らない。
と、明珠の手を放さぬまま、龍翔が悪戯っぽく笑う。
「では、次はお前の番だな。さあ、どれから食べたい?」
「えっ⁉ 今ですか⁉ いえっ、私は後で……」
「ん? 食べたくないのか?」
「た、食べたいです! 食べたいです、けど……っ! でも、その、今は入る気がしないっていうか……」
貧乏人の本能は、こんな高級チョコレートを食べる機会を逃してはならないと大声を上げている。
が、一方で、
「あ、あの、後で張宇さんと一緒にいただこうかなあ、なんて……」
「張宇とか?」
じりじりと下がりつつ答えると、龍翔が不機嫌そうに顔をしかめる。かと思うと。
突然、ひょい、と横抱きに抱き上げられ、明珠は仰天した。
「なっ、何ですか―――っ⁉」
「ここで食べればよいではないか」
明珠を横抱きにしたまま、卓のそばの椅子に腰かけた龍翔が、手近な包みを引き寄せ、開け始める。
「い、いただきますから! だから下ろしてくださいっ!」
明珠は、龍翔の太ももの上で足をばたつかせて暴れるが、腰に回された腕は緩まない。季白や張宇や安理だっているのに、恥ずかしすぎる。
「季白さんっ、張宇さんっ! 龍翔様になんとか言って……って、どこ行くんですか――っ⁉」
三人そろって、そろそろと部屋を出て行こうとする季白達に、必死に呼びかける。
「お願いですから、おいてかないでくださいっ!」
「え~、でもぉ~」
きしし、とものすごく人が悪そうな笑顔で振り返ったのは安理だ。
「あまりの甘さに胸やけしたら、せっかくのチョコレートが食べれなくなっちゃうし~」
こめかみに青筋を浮かべ、いらいらと口を開いたのは季白だ。
「いいですか、小娘! 龍翔様のお望みですから、今回だけは見逃してやります! ……どうせなら、ついでに食べられてしまえばいいものを……っ!」
「その……。龍翔様、お願いですから、あまり明珠を困らせないでやってくださいね……」
明珠と龍翔を見ないよう、赤く染めた困り顔でそっぽを向いて告げたのは張宇だ。
「ちょっ、待って! 待ってください……っ!」
明珠の願いもむなしく、三人は部屋を出て行ってしまう。
ぱたりと扉が閉まり。
「あのっ、龍翔様、お願いですからお放し……むぐっ」
懇願の途中で、何か固いものが口の中に押し込まれる。
ふわっ、口の中に広がる濃厚な甘みと、舌の上でとろりと溶け出すなめらかな食感。
「お……おいしい……っ!」
思わず片手で口をふさぎ、感動にうち震える。
「こ、これがちょこれーと……っ‼ すごいです! 甘くって濃厚で、口の中でとろけて……ふああぁっ!」
至近距離で炸裂した笑顔に、明珠の心臓が大きく跳ねる。
「うん。その顔が見たかった」
龍翔が溶けたチョコレートのように甘い笑みをこぼす。
「お前の喜ぶ顔を見られただけで、満足だ」
にこやかに微笑む龍翔は、すこぶる嬉しそうだ。
主人の喜ぶ顔を見られるのは、従者として、この上なく嬉しい。が。
「あのっ、おいしいものをいただけるのは嬉しいんですけどっ。お放し……」
「ほら、もう一つ」
龍翔がにこにこと、二つ目のチョコレートを明珠の口元に持ってくる。
理性が止めるより早く、貧乏人の意地汚さがぱかりと口を開けてしまう。
「っ! こっちは中に木の実を砕いたものが入ってます! これもすっごく美味しいです!」
「そうか。お前が喜んでくれて、何よりだ」
龍翔が幼子にするように、ぽふぽふと頭を
髪をすべる手のひらの優しさに、くすぐったい気持ちになる。が、恥ずかしさの方が、強い。
「で、でもっ、お願いですから下ろしてください……っ」
「なぜだ? お前は美味しいものが食べられる。わたしはお前が喜ぶさまを見られる。どちらにも益のあることだろう?」
龍翔が心から不思議そうに首を傾げる。が、そういう問題ではない。
「恐れ多すぎて、私の心臓が壊れますから! そ、それに龍翔様が食べられないじゃないですか⁉ っていうかこれ、季白さんが贈ったちょこれーとじゃ……っ⁉ 私が食べたって知ったら、絶対怒られますよ……っ! お願いですから、龍翔様もお食べくださいっ‼」
「お前が」
きらり、と龍翔の黒曜石の瞳に、
「お前が食べさせてくれるなら、食べてもよい」
「なんでですかっ⁉ 別にあーんなんて、しなくったって……っ」
自分の言葉に、自分で恥ずかしくなる。
というか、龍翔が悪戯好きなのはいつものことだが、今日は度が過ぎている気がする。
「でなければ、食べぬ」
悪戯っぽく笑いながら、しかし、きっぱりと龍翔が言い切る。
「龍翔様っ⁉ 今日はどうなさったんですか⁉ あの、食べるのにお邪魔でしたら下ろしてくだされば……っていうか、ほんと、下ろしてくださいっ!」
「お前の願いでも、それは聞けぬな」
楽しげに喉を鳴らしながら、龍翔が明珠の腰に回した腕に力をこめる。
龍翔の衣にたきしめられた
というか、恥ずかしすぎて、身体が
「で、明順。次はどれがよい?」
「いえっ、ですから下ろしてくださいって……っ! 龍翔様! 聞いてらっしゃいますか――っ⁉ むぐっ」
明珠の叫びは、甘いあまいチョコレートに遮られた。
おわり
※ ※ ※
診断メーカー「推しにチョコをもらえるかチャレンジ」をやってみた結果がおもしろかったため、思わず番外編を書いてしまいました!(笑)
ただひたすら五人で騒いでおりますが……あれ? これ、本編とそんなに変わらない?(笑)
ちなみに私がやってみた時の結果は、以下の通りです(日替わりらしいです)
◇龍翔、季白:「推しにチロルチョコをもらえました!」
うん、明珠の財力なら、いいところチロルチョコですよね……。
そして、主に結果を合わせてきた季白さん!(笑) さすがですっ!(笑)
◇明珠、張宇、安理:「推しにチョコをもらえました!」
この結果を見た瞬間、「明珠が龍翔にチロルチョコを、龍翔から高級チョコレートをもらう」という今回の流れが確定しました!
張宇さんは、きっと人望でもらえたのでしょう。よかったですね、甘味には目がありませんもんね~。
安理……。そのチョコ、どこで誰をたぶらかしてもらってきた⁉(笑)
◇
まさかの!(笑) あ、龍翔がもらったからですね(納得)
「呪われた龍にくちづけを」は、天然鈍感娘・明珠が借金を返済するために、鬼上司・季白にしごかれながら頑張る、にぎやかほのぼのあまあま物語です!
もし、よろしければ、本編の方もよろしくお願いいたします~!(ぺこり)
「呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884543861
「呪われた龍にくちづけを 第二幕 ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885652282
番外編におつきあいいただき、本当にありがとうございました~!(ぺこり)
※ ※ ※
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