第325話 ●「ラスティアという男」

 ラスティア・ヒアルス・ファーナ

 

 今年で二十九歳になる彼の今までの人生は小さな不幸の積み重ねであった。


 ヒアルス男爵家は元々がエスカリア王国の北西最端に位置しており男爵家というのも名ばかりの田舎である。

 そして男爵公子の四男として生を受けた時点で長男が父親の次に家督を継ぐことは既定路線であり、四男である彼が後継することは既に絶望的であった。


 そうなると貴族とはいえ平民に毛が生えた程度の財政力しかないヒアルス男爵家の四男坊では無駄飯食らいでしかない。

 五歳の時に産まれた弟パソナと共に冷遇に近い扱いを受けたが、それはパソナとの兄弟愛を深める結果となった。


 そしてヒアルス男爵家の後継者争いにおける立場は、まさに蝙蝠がごときであった。

 当初は第三王子派に所属しており自身はボーデ伯爵公子、弟であるパソナはルーティント伯爵公子であるラズリアの取り巻きとなった。


 彼が十五歳の時、祖父から父親に家督が継がれた際に第二王子派へと鞍替えをしたのだ。

 その際に彼と弟であるパソナともどもクィント伯爵公子の取り巻きとなる予定であった。

 だがある事件が発生する。『レイーネの森事件』である。


 その事件の際に最愛の弟であるパソナを失う事になるのだが、その事が男爵家にとっての大きな問題となる。

 パソナがルーティント伯爵公子の取り巻きとして死んだことである。

 それは、タッチの差での情報連係ミスではあったのだが、第二王子派からはヒアルス男爵家は疑心の目を向けられることになる。

 第二王子派内での栄達の望みが薄くなった父は、家督を継ぐことになる長男以外の三人の息子を別派閥に入れることで何らかのおこぼれをもらおうという暴挙に出たのである。


 本来であれば無謀ともいえるこの企みは、奇跡的に成功することになる。

 ヒアルス男爵家程度の最下級貴族を気にする大貴族がいなかったからというのが実際の理由ではあるのだが。


 第一王子派は既に脱落したと考えた男爵は、次男を再び第三王子派に、三男を第一王女派に入れたことでラスティアはある程度の選択の自由を得たといえる。


 そんな彼が希望したのは、バルクス伯爵家であった。

 それは次期当主であるエルスティアによって最愛の弟が魔物による深刻な損傷も受けることなく故郷に戻れたことへの恩義があったためである。


 そう、ラスティアがアリスやクリスに語ったエルへの感謝の思いは、何の打算もない紛れもない事実だった。

 だが男爵によってそれは拒否される。バルクス伯爵家は無派(正確には末娘のクラリス派)であり男爵家にとっての旨味がないからである。


 再三の懇願に嫌気がさしたのか、バルクス伯爵家の北部に位置し第一王女派のエウシャント子爵の執務官としてラスティアは男爵によって強制的に入れられてしまう。

 よりにもよってバルクス伯爵家を敵視する子爵の元へ放逐に近い形で入れられたのは彼の不幸の最たるものであろう。


 だがそこで彼の軍略家としての才能は開花する。

 当初は圧倒的に不利と予想されたオルク子爵との戦争に圧倒的勝利をもたらしたのである。

 それは自身の生存をかけただけの事ではあったが、その勝利がさらに彼の利用価値を高めエウシャント伯爵の元に縛り付ける結果となる。


 当主となり急速に内政強化していくエルスティアの元に行くために、幾度となく行われた暇乞いはエウシャント伯爵によって拒否され、対立が鮮明化してきた今日に至るまで自身の希望は叶うことはなかった。


 後年におけるラスティアの評価である「知略軍政は名人、処世術については良くも悪くも凡人であった」は正に的を射ていた。


 ――――


「よいかラスティアっ! バルクスの子倅なんぞに負けることなど許さぬぞっ!」


 鼻息荒くラスティアに命令するエウシャント伯爵に頭を下げながらラスティアは誰にも見えぬように嘆息する。

 どれだけラスティアが頑張ったところでバルクス辺境侯に勝てる可能性は限りなく低いからである。


 この時のバルクス辺境侯の軍事レベルの高さを誰よりも理解していたのはラスティアであった。

 ファウント公爵すら抑える事ができなかったルーティント解放戦争におけるバルクス軍の強さをラスティアは、把握していたからである。

 ルーティント解放戦争のおり、ルーティントからの難民を受け入れバルクス軍の情報収集に力を入れたからである。

 その難民の中には実際に初戦場となったカモイ大平原での戦いに参加したものもいた。


 そこからもたらされた情報にはラスティアも幾度となく耳を疑ったものである。

 あれから六年。その間にどれだけ軍事力を増強したかは不明だが、その当時の戦力ですら脅威以外の何物でもない。


 そもそもがバルクス側の騎士団とエウシャントおよび恐らく参戦してくるであろう北部貴族の連合の騎士団では実戦経験からして天地ほど差がある。

 そこに加えて新兵器である銃といった技術力でも差があるのだ。勝ち筋などあろうはずもない。


 だが彼にとってのせめてもの光明はバルクス側のポリシーであろう。そこをラスティアは突くしかない。

 せめて善戦するための対策を今まで彼は積んできているのだから。


(……それでも勝率を二割まで持ってくるので精一杯ですけどね)


 そう自嘲する。その二割の勝率もバルクス側を撤退させることが主目的という状況である。


(エウシャント伯爵には申し訳ないですが、此度の戦い。私がバルクスに登用してもらうための足がかりにさせてもらいますよ)


 ラスティアはそう考え、再度エウシャント伯爵に対して頭を下げながら


「エルスティア侯に我が名をしかと覚えて・・・いただきましょう」


 そう別の思惑も含みながら口を開くのであった。


 ――――


 最終的にエウシャント伯側はバルクス辺境侯側の公文書に対して王国歴三百十六年十一月二十日十二時に至るまで完全無視を決め込む。


 とはいえ、それはバルクス辺境侯側も想定の範囲内であったといえるであろう。

 その無言の返答を持ってバルクス辺境侯側はエウシャント伯に対して十一月二十五日に宣戦布告を行う。

 それに対してエウシャント伯は北部の貴族たちに号令。それに北部の貴族は答え『北部貴族連合』を形成する。


 人口比率はバルクス辺境侯側が三に対して北部貴族連合側は七。

 兵力に至っては、騎士を主体として民兵は補給ラインの維持のみに活用したバルクス辺境侯側に対して、総動員体制を実施した北部貴族連合とでルーティント解放戦争時の一対四を超える一対七という状況に誰もがバルクス辺境侯側の負けを予想した。

 ……いや、そもそも王国民にとってセンセーショナルなのはいよいよ顕在化した後継者争いを巡る内戦であり、遥か西方で起こった戦争に対する興味も低かったと言わざるを得ないだろう。


 こうして後に『エウシャント水戦争』と呼ばれる戦いは始まるのであった。


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