第309話 ■「新野菜の安定化を目指して」

「新規農作物の種子が流出している……と?」

「まだ確証はないんだけど、商人たちの話では北……エウシャント伯領内でキャベツとジャガイモに非常によく似た野菜が販売されていたそうです。エル兄さん」


 王国歴三百十六年の年が明けてすぐ、夕食後にリリィを伴ってアリシャが僕に相談してきた。


 誠に不本意ながらレッドやブルーたちとの関係も良好なようで心身ともに充実している二人は、約束の五年まで残り一年ほどとなったので後進育成に奔走している。

 色々と大変ながらも順調なようで今では農試のメンバーは二百人を超えている。


 そうなるとどうしても良からぬことを企む人間が出てくる。こればかりはセキュリティシステムが未発達なこの世界では避けようがないだろう。

 そのうちの誰かが金に目がくらんで農試中の種子を他の貴族に売りさばいたのだろう。


 新種野菜――前世の野菜――は、バルクスにとっても目玉商品の一つだ。それを別の領地でも作れるとなるとその希少価値は落ちてしまう。

 それはバルクスにとって致命傷と考えているのだろう。二人の表情は暗い。

 まったく、うちの可愛い妹たちにこんな表情をさせた奴は必ず探し出してやるから覚悟しておけ。


「なるほどね。ま、問題ないかな」

「え? 問題ないんですか?」


 深刻なことと考えていただろうアリシャとリリィに、僕は努めて明るく返す。

 その回答に二人は驚きの表情をする。


「農試で生産できることを確認してバルクス領内に流通した野菜って、毎年僕が種子を提供しているでしょ?」

「はい、それはお兄様の『ギフト』で手に入れた種子ですから」


 そう、二十歳のギフトで僕は『地球のありとあらゆる作物の種』を望んだ。

 それは『豊穣ほうじょうの指輪』の中に無限ともいえる量が収納されている。

 恐らく僕が死なない限り、尽きることはないだろう。


「そうだね。でもおかしいと思わない? 野菜であればそこから採れる種で野菜を作ればいいんじゃないかって」

「あ、確かに……でも兄さんからの指示で種は採る必要はないって……」

「うん、正確に言うと『採ることが出来ない』もしくは『採っても使えない』ってのが正解かな」


 僕の言葉に二人は頭の上にはてなマークが浮かびそうな表情を向ける。


「えっとね。今まで二人に試験してもらっていたのは、『F1種』っていう品種だったんだよ」

「F1種……ですか」


「簡単に言えば、その一世代に限って安定して一定の収量が得られる品種ってこと」

「一世代……つまりそこから採れる種を育てても同じようにいかないという事ですか?」

「そうだね。二世代目以降はものすごく出来が悪いとかそもそも育たないとか……

 つまりはバルクスから種子を盗み続けない限り他の領主には新種野菜は出来ないんだよ。

 もちろんそんなことはさせないし、漏洩に加担した領主に金輪際譲るつもりは無いからね」


 これは正直に言えば怪我の功名だろう。

 僕も農試を始めた後に見た本で、日本で流通している野菜の種の大部分がF1種だという事実を知ったのだ。

 正直、最初はショックではあったが、ポジティブに考えることとした。

 野菜が流通して人気が出た場合、その種子を一元管理しているのはバルクス辺境侯。厳密に言えば僕だ。


 つまり、全ての紐を僕が握っているともいえる。種子を領内の商人に対して販売すれば永続的な資金源となる。

 数量調整をすれば大航海時代の『胡椒一粒は黄金一粒』という希少価値を付けることだって可能だ。


 ただ現状は僕が死ねばそこで供給源が途絶えてしまう。それは早急に避ける必要がある。


 幸運にも『豊穣の指輪』の中には過去に流通していた固定種の種子もあったので、そろそろ品種改良を含めて僕がいなくても安定供給できる道を模索しようとしていた矢先だった。


 固定種自体はF1種に比べて安定した品質や収量は期待できないが、世代を重ねて品種改良することも可能だ。

 こちらが動き出す前に漏洩が分かったのは良かったと割り切れる。


 二人にもそのことを説明していくうちにその強張っていた表情も徐々に柔らかくなる。


「これからお願いしようとしている品種改良については、漏洩するのは出来る限り避けたい。

 それでだ、二人にはメンバーの中から十分に信用できる人を十人ほど選出してほしいんだ」

「その方たちに品種改良をお願いするという事ですか?」

「うん、しかも品種改良ってのはものすごく時間が掛かる。少なくとも七~八年。場合によってはもっとだ。

 そのすべてが成功するとも限らない。本当に気が長くなる話だから根気があることも重要なんだけど……」


 品種改良というのは人工交配による『交配育種法』と呼ばれるものが一般的だ。

 二種類の品種を人工交配させて、互いの長所を引き継いだ株を選抜し、そこから種子をとりさらに育てて優秀な株を厳選していくを繰り返す気の遠くなる作業の連続となる。


 しかも本来であれば七~八年後。さらにそれ以上先の時代にどのような品種が必要になるかを予想して交配しなければいけない。

 それは多くの知識と経験が必要となるんだけど、この世界ではそんな知識や経験を持つ人はいない。


 けれど僕には『ギフト』で手に入れた『転生前世界にある技術・知識が記載されている数多の書物』がある。

 そこには農作物の品種改良の系譜が記載された本もあった。


 例えばイチゴであれば『とよのか』は『ひみこ』と『はるのか』の掛け合わせである事。

 そして『ひみこ』は『久留米三十四号』と『宝交早生』の掛け合わせ。『はるのか』は『久留米百三号』と『ダナー』の掛け合わせ……と先祖を追っていくことができて、ある一定の先祖まで遡れば『豊穣の指輪』の中に種子が存在している。


 ある意味カンニングだが先達者たちの知識と経験に最大限敬意を払いながら活用することにしよう。


「分かりました。それでは根気強く信頼に足る人を考えてみます」

「うん、兄さん。私たちに任せておいて」


 そうアリシャとリリィは笑顔で返すのであった。


 ――――


「いや、まぁさ。根気強く信頼に足る人とは言ったけどね……」


 後日、アリシャとリリィによって選抜されたメンバーを見て苦笑と共に呟く。

 メンバーは、笑顔を向ける母さんと、少しぐったりとした父さん。そして顔見知りのメイドさん七名を含む総勢十八名。

 父さん……母さんに付き合わされてるんだろうなぁ。心中お察しします。


「大丈夫よエル。伊達に母さんたちも農作業を手伝ってきたわけじゃないもの。モリーザ達も元々農家の出だから経験は豊富よ。

 それにエルもモリーザ達のことは子供の頃から知っているでしょ? 信頼度は十分だから」


 そんな僕の思いを知って知らでか母さんは自信たっぷりに言う。

 だけど家族だから分かる。最近よっぽど暇だったんだな。と。


 茶飲み友達と化していたレスガイアさんは、冒険者ギルドへの加入希望者が増加したことで訪ねてくる頻度が減っている。

 ファンナさんも居るとはいえ元々は当主の正室とメイドの一人。姉のように慕っているレスガイアさんのように気楽に会話を。とはいかないのだろう。


 そう考えると図らずもレスガイアさんを母さんから遠ざける結果となった責任が僕に無いとは言えなくもなくもない。


 ちなみにモリーザとは七名のメイドさんの中の一人で、僕が整備した裏庭の筆頭管理を二年前までやっていた古参だ。

 そしておそらく全員が母さん直轄の諜報員でもあるのだろう。


 そんな母さんの後ろでアリシャとリリィが、諦観が混じった笑顔を僕に向けてくる。

 あー、うん。二人じゃ母さんは止められないよねぇ。僕に裁可を任せたようだ。

 ここで当主権限を使って父さんと母さんを除くこともできるけど……うん、色々な意味で後が怖い。


「はぁ……わかりました。参加を認めます」

「うんうん、ありがとうエル」

「た・だ・し! 当主の父親と母親が一緒となると他の人も気兼ねするでしょうから二グループに分けます。

 二人とモリーザ達は二班。それ以外は一班とする。一班にはメインとして主菜として期待できる野菜の品種改良を。

 二班には嗜好品の意味合いが強いフルーツ関連の品種改良を」


 そういう僕の言葉に皆頷く。


「当面のサポートとして一班にはアリシャ・バルクス・シュタリア。二班にはリリィ・バルクス・シュタリアをあてる。

 もちろん二人にとっても今回の事業は未経験の部分が多い。なので全員でフォローし合って進めること」


 それにアリシャとリリィの二人が頷く。


「それでは皆。鋭意努力せよ」


 当主である僕の言葉を元に王国歴三百十六年二月。この世界では初となる野菜の品種改良はスタートするのであった。

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