第310話 ●「総本山」

 バルクス領から正反対となる王国北東に位置するルーデンターク領。


 そこは北にオーベル帝国。東にベルカリア連邦へと続く交易路が通じる交通の要ともいえる場所。

 領土としてはバルクス領の四分の三ほどで、王国内では北端に位置しているためバルクスより平均気温は四度ほど低い。

 それでも北部に連なるアスト連峰へとぶつかる暖かい南風の恩恵で気温ほどの寒さを感じることは無い。


 本来であればこれほどの良所をめぐって血みどろの争いが起こるだろうが、王国の有史以来一度として武力衝突は発生したことは無い。

 そもそもがルーデンターク領は、エスカリア王国であってエスカリア王国ではないという特殊な事情があった。


 王国民のみならず帝国民、連邦民にとってもこの地がルーデンターク領という名称であるという事に耳馴染みが無いであろう。

 彼らに耳馴染みのある名称。それは『ウスリア教皇領』である。


 ――


 人口は百万人ほどでその大半が聖職者もしくはその家族。

 そのうちの九割が、教皇領の中央に唯一存在する都市である『ガルーン』に居を構える。


 王都ガイエスブルクにも引けを取らない巨大都市である『ガルーン』は、中央にウスリア教の大本山となる荘厳な教会群があり、そこから八本の道路が放射線状に広がる。

 外縁を円形の高い壁で囲われた他の領の主都とは一線を画する。


 教会群の中央にそびえる一際古めかしい教会こそが『ウスリア教』の総本山である。

 その周りにそびえる新しい教会は、そこから分派した宗派の教会である。


 分派した宗教が一か所に集まる風景は、ある種異様ではあるが、ここで生き死にゆく彼らにとっては当たり前の風景である。

 そしてこの都市には毎日のように多くの信者たちが巡礼に訪れる。


 その中の一角。一際巨大な教会を拠点とする『アーグ教』

 比較的穏健派の多い『ウスリア教』の中に置いて唯一といえるほどに他宗教に対して攻撃的な教義で近年、その勢力を広げその影響度は王国・帝国の貴族や連邦の上層部にまで広がる。


 そんな政治に深く食い込んだアーグ教の上層部が十年ぶりにこの地に集結していたのであった。


「ふむ……この十年に渡り信者の数は十二倍となった。素晴らしいことではないか」


 二十メートルはあろうかという長机に十名ほどが座した中。

 上座に座る七十は超えている老人――メルキト上皇は、報告書を斜め読みした後、満足そうに呟く。

 それは自分にとって――その上皇という最高位に座るに足る成果として十分であったからだ。

 この成果があれば自身の上皇再選は間違いないであろう。


「ええ……喜ばしいことですな」


 言葉とは裏腹にまったく喜ぶことなく淡々としゃべる齢五十後半の男――イシト法王はメルキト上皇に視線を向ける。

 いや、正確にはその上皇という役職に視線を向けたという方が正しいだろう。


 アーグ教にとって喜ばしい結果である信者の増加という結果が、自身の上皇の席に座るという目標を遠ざけることになるからだ。

 神に仕える彼らもまた権力闘争から逃れることは出来ない。


 メルキト上皇派とイシト法王派は水面下で上皇の座を巡って対立している。

 その対立を忌避した者たちは純粋に神を信仰する――別の見方をすれば狂信者である――オーエン司祭長の元に集まり別の派閥を生み出していた。

 

「ですが、その増加もここ二年ほどは鈍化しております。これは『御子様』も悲しまれる事でしょうな」


 そんな上機嫌であるメルキト上皇に釘を刺すように丸々と太った男――ボルス副司祭長は大げさに祈りのポーズをしながら言い放つ。

 メルキト上皇にとってボルスはイシト法王の腰巾着であり、嫌悪の対象だ。


 そんな嫌悪の対象が祈りが捧げられるのは西――『ウスリア教』の本山である。

 彼が言った『御子様』というのは、その本山にいる彼らが唯一神として崇める魔道神ウズの一滴の血から生まれたとされる神の代理人である。


 『ウスリア教』が誕生して以来、『御子様』がまるで不老不死のように存在し続けている。


 いつ代替わりしたのかすら幹部である彼らすら知る由もない。本当に誕生以来ただ一人であると言われてもそれを一笑に付す自信や根拠が彼らにもなかった。


「ふん、それは布教を行うイシト法王の力不足ではないかね?」


 ボルス副司祭長の言葉に少しばかり機嫌を悪くしながらメルキト上皇は言い放つ。

 彼にとっては良き知らせは彼の功績。悪い知らせはイシト法王の責なのだ。


「これはこれは。我が力及ばず申し訳ありませんな。メルキト上皇の素晴らしき威光もここより遠く離れた南方では太陽の光に比べれば暗闇と等しいようで……」


 それにイシト法王は慇懃無礼に返す。それに会議室の中の空気がピリッとひりつく。


「魔物どもとじゃれ合っている野蛮なる南方の蛮人たちに有難き神の言葉が理解できぬのは致し方ありますまいて」


 その空気を切るかのようにオーエン司祭長が口を開く。


「これもアウンストめが我らが崇高なる『アーグ教』を国教として認めておれば万事解決したものを……」


 続けざまに現エスカリア国王を呼び捨てにしながら罵る。


 アーグ教は勢力を伸ばしたとはいえ、王国内の全人口で見た場合、『ウスリア教』を全派としても四割にも満たない。

 それでも王国として国教と認められれば、別宗教を国王の名のもとに排除することが可能となる。


 そのため再三再四、アウンスト国王に対して国教とすることを求めたが、彼はついぞ首を縦に振ることは無かった。

 ――後世で、凡愚であったとされるアウンスト国王の治世後半において、宗教弾圧を防いだ数少ない功績であったと評価される――


 だからといって彼ら自身が直接南方――バルクス領近辺に布教のために行き尽力しようというものはいない。

 彼らが主に居を構えるのは、ここ『ガルーン』と王都『ガイエスブルク』。


 そこでの絢爛豪華な生活を捨てるだけの熱意が彼らにはない。

 王国もそうであるように長き人類による歴史の中で宗教そのものも腐敗していたのだ。


 唯一可能性があるのは狂信家であるオーエン司祭長だが、彼の言動からも分かるように南方に対する彼のイメージは最悪。

 彼が行ったところで余計な軋轢を生むだけであろう。


 さらに言えば彼らにとって信者を増やす意味は、向けられる視線への優越感。そして得られる名誉や財である。


 ところがかつてバルクス領を訪れたボルス副司祭長によりもたらされた、独断と偏見が混ざった情報によりさらに辺境という認識が強まっていた。


 そんなところで信者を増やしたところで彼らにとってもうま味は少ないのだ。

 つまりは他力本願。何かのきっかけで信者が増えればラッキー程度の地域でしかなかった。


「……おお。そういえば……」

「なんであるか? ボルス副司祭長?」


 その中でボルスは手に入れていた情報を思い出す。それにイシト法王は疑問の声を上げる。


「私が手に入れた情報では近々に信者ファウントの末娘がバルクス辺境侯の弟の元に嫁ぐとのこと」

「信者ファウントの末娘……おぉ信者イーグニアであるか。彼女は熱心な信者であったな。

 あれほどの熱心な信者に諭されれば、ともすれば蛮人にも信仰心は目覚めるかもしれませぬな」


 ファウント公爵の末娘の名前を思い出したオーエン司祭長が口を開く。

 その言葉に皆の頭の中では、彼女に丸投げするイメージが固まる。


「であれば信者イーグニアに期待することにしよう」


 メルキト上皇が放った他力本願な言葉にその場にいた全員が頷くのであった。

 

 ――――


 時ほぼ同じくして『ガルーン』より遥か南西。

 バルクス領とルーティント領の領境に位置するモレス要塞を馬車の一行が通過していた。


 その一行は一見質素であるが、馬車に使われた木材や装飾は一流品。

 荷馬車に乗せられた品も価値を知る物であれば目を見開くほどの高価値なものばかり。


 そして屈強な騎士十二人によって警護された馬車に刻まれた家紋は、白と黒で塗られた二匹の獅子。

 赤ではなく白ではあるが、その家紋は十四根源貴族の一つにして第二位のファウント公爵家の縁戚であることを意味する。


 その馬車に乗るのは齢にして十四・五の少女と傍付きのメイドが一人。

 その少女は、馬車の中から広がる風景を見て楽しそうに笑う。


「ねぇエルザ。バルクスは魔物の巣窟って聞いていたけれど思ったよりも平穏な場所のようね」

「それはそうでございましょう。そのような場所にお嬢様を嫁がせるわけにはまいりません」

「あら? 私としてはむしろその方が楽しかったのだけれど? 平穏なんて退屈でしかないじゃない」


 そう返す少女にエルザと呼ばれたメイドはため息を吐く。

 目指すはバルクス辺境侯主都エルスリード。


 一行がバルクスに何をもたらすのか。まだ誰も知らない。

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