第306話 ■「南方の決着」

 王国歴三百十五年もあと半月ほどを残す頃。


 バルクス領から東。ボーデ領の奪還任務のため第一・第六騎士団率いるリスティア・バルクス・シュタリア軍令部長代理――この時点ではバインズ・アルク・ルードからの正式に権限移譲は行われていない――は険しい視線を南方へと向けていた。


「リスティア殿。何かありましたかな?」


 そんな彼女に後方から供の騎士二人を連れた男が話しかけてくる。


「あぁ、いえ。何でもありません。パウロ殿」


 リスティは男――パウロ・ホースト・ロボスに笑いかけながら言う。

 それに対してパウロは苦笑と共に口を開く。


「リスティア殿。確かに我らは抱くあるじを異としますが、こうしてここまで力を合わせてきたのです。

 何か懸念することがあるのでしたら、気兼ねなく共有していだけませぬか?」


 そう言うパウロに対してリスティも、なるほどと頷く。

 このパウロという男は、ボーデ領解放にあたりファウント公爵側の最高指揮官の任についている。

 ファウント公爵に許可された騎士団数は八つとバルクス辺境侯に比べれば少なく見えるが、中央南部に位置し、敵は人間だけの立地としては強大な戦力である。

 さらに公爵領の私財で私設騎士団を五つも持っている。その事実からもファウント公爵領の潤沢な資金運用を思い知らされる。

 その中でパウロは第五騎士団の団長という事だ。


 特に男尊女卑の激しい軍部の人間だから、女性であるリスティに少なからず思うところはあるだろうが、それでもリスティが見聞きする範囲では礼節を持って接してくれている。


 リスティの進言についても道理にかなっていれば採用するだけの柔軟さがある好人物という評価である。

 とはいえ全幅の信頼を寄せるというわけではない。リスティの立場上、エルやクリス達家族以外は裏切る可能性……いや裏切ることを前提としておく必要があるからだ。


 ファウント公爵は、現時点では友好関係を結んでいるとはいえ、明日はどうなるかはわからない。

 満面の笑顔で握手しながら後ろ手に凶器を持つ。外交とはそういうものだ。


 こちらの手を全てさらけ出すわけにはいかないから、不要不急の用がない限り最低限の会話しか今までしたことはなかった。


(ただ、まぁ今回はそこまで気にするほどでもないか……)


 そう考えたリスティは口を開く。


「パウロ殿は、ここ最近……そうですね。九月過ぎごろからの魔物の動きに違和感はありませんか?」

「違和感……ですか。……それは魔物が激減した事ですかな?」

「さすがに気づかれてましたか」

「ハハハ、リスティア殿たちとは比べようもありませんが、我々ファウント騎士団も十か月ほど魔物との死線を伊達にくぐってきたわけではありませんからね。

 ……東側。ホールズ方面に流れたという可能性は?」


「私もそれは考えましたが可能性としては低いかと。

 ホールズ方面の進捗状況を逐次入手していますが、九月中旬から十月中旬まで進捗が滞っていたようですがそれ以降は再び順調に進んでいるようですし」

「確かに私にもそのように報告が来ていますね」


 二人ともに貴族連合側がひた隠しにしていた民兵の大量逃亡については、最前線まで偵察を送ることが出来ないのでさすがに入手できていない。

 この時点では強力な魔物に手こずったという可能性が最も納得のいく理由である。


「それでは、信じられませんがボーデ領から魔物たちがきれいさっぱりいなくなった。ということですかな」

「私もにわかに信じられないのですが、念のためボーデ領と魔陵の大森林に近いウェス要塞から偵察を多く出していますが、そちらからも発見できず。と」


 多くは言わなかったが、バルクス騎士団の偵察部隊については、殊に魔物相手に関して隠密性・偵察能力ともに大陸一という自負がリスティにはある。

 そんな彼らが発見できなかったということは、本当にボーデ領から魔物が消失したということだ。


 ならばどこに? となるとリスティたちは北西から進捗率は落ちることを覚悟のうえで虱潰しに進んできたのだ。

 自分たちが確保した場所に魔物が存在する可能性は極めて低い。となると答えは一つ。南――魔陵の大森林に戻ったということだ。


 だがそうなると新たなる疑問が出てくる。なぜ南に戻ったのか? だ。

 魔物も生物である限り本能というものがある。その本能の最たるものが『魔物は魔力に惹かれる』だ。


 そして魔物にとって最高の魔力とは、言ってしまえば『人の血肉』である。

 といっても人間の魔力が魔物の魔力より優れているというわけではない。魔物と人間とでは魔力の本質・根本の部分が異なっているのだ。


 魔陵の大森林に生息する魔物たちは基本的に自分より弱い魔物を喰らう。捕食する魔物の魔力は別種族とはいえ根本の部分はほぼ同じ。

 それを毎日・毎年・数十年と喰らうのだ。人間でも同じ食事ばかりをすれば食傷を起こす。


 そんな食傷気味の魔物にとって自分たちとは全く異質な魔力が目の前にあるのだ。

 しかも集団にならなければ対抗することもできぬ圧倒的弱者が。

 彼らにとっては本能に逆らうことなど至難の業であろう。


 であるにもかかわらず、ここ二・三か月。小規模な集団はあるもののこれまでのような圧倒的数による襲撃は影を潜めている。

 彼らの好物である人間は確かに一度、このボーデ領から圧倒的に減少――自分たちの胃袋へ――した。

 けれど再び、北東(貴族連合)と北西(ファウント軍)から万単位の人間がやって来たのだ。尽きたところに餌が勝手に現れたのだ。


 そんな垂涎の状況を自らが放棄したとすると、リスティの中に一つの可能性が浮かび上がる。

 エルたちと可能性として話した『本能すら束縛する圧倒的強者による命令』である。


 これはパウロには話さない方がいい……理由はないが直感的にそう考え口にするのを抑える。


「まぁ、不穏な動きをしてはいますが、ボーデ領奪還がスムーズに進むことは有難いですな」


 そんなリスティの思いを知ってか知らでかパウロは口を開く。


「そうですね。順調に進めば後半月もあればボーデ領南端を確保できそうですし」


 会話の内容が変わったことを幸いとリスティも笑顔でそう返す。


「バルクス側は契約ではボーデ領奪還まででしたかな?」

「はい。終わり次第、ウェス要塞経由で帰還予定です」

「それはよろしいですな。我々はそれから要塞の再構築と復興支援。なかなか戻れそうにありませんよ」

「パウロ殿たちがいるおかげで私たちも安心して戻ることが出来ます」


 ファウント公爵とエルとの間で結ばれたアルーン約定内でバルクス側の第一・第六騎士団はファウント公爵傘下となっているがそれはボーデ領解放までとなっている。


 『バルクス領への魔物の侵入阻止』がバルクス辺境侯の最重要任務であることを考えれば、そもそも論ではバルクス辺境侯は此度のボーデ領解放に援助する必要性は一つもない。


 辺境侯という地位は他の領主持ち貴族とはその性質を完全に異としている。

 極論を言えばバルクス領以外が他国または魔物により滅んでもバルクス領を守り切れば役目を十分に果たしていることになる。


 アルーン約定の第一項を批准してからこそ束縛されるものであり、その終了と共にファウント公爵側に拘束力は消滅する。

 むしろ以降の拘束は、辺境侯本来の責務を侵害するものとして非難されることになるだろう。


 ゆえにパウロからのそれ以上の救援要請は出来ないし、リスティからも追加支援を提案することもできない。

 勿論、両者ともに今回の事が完了した後の情勢を理解しているからこそそんな無駄なことは行わない。


 そんな二人の元にまだ幼さの残る少年が向かってくる。バルクス騎士団の騎士見習の一人だ。


「軍令部長代理殿! 第一・第六ともに進発の準備整いました!」


 両陣営の最高責任者を前に少し緊張した顔で敬礼しながら報告する。それにリスティは頷く。


「さてそれでは、互いの明るい未来のため」

「えぇ、今できる最大限の事をするとしましょう」


 そう言ってリスティとパウロは互いの軍へと戻っていくのであった。


 ――――


 リスティの予想通りボーデ領南端確保は年内に完了。バルクス辺境侯軍はファウント公爵傘下から離脱しバルクスへと帰京する。

 

 明けて王国歴三百十六年一月四日に北東から侵攻した貴族連合軍もボーデ領南端確保を完了させる。

 王国歴三百十四年十一月十六日に発生した『南方の悪夢エルクーゼ』はその時点をもって新たなる局面へと移行することになるのであった。

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