第278話 ■「究極の二択」
「クリスリード……ベルリード……リスティリード……ユスティリード……メイリアリード……
アリィリード……リリィリード……クイリード……マリーリード……うーん」
「ご当主様の奥様や家族を想う気持ち。臣下として誇らしく思います……さ、どんどん考えてください」
「いや、真剣に考えてるんだよ。イシュタール」
紙に悩みながら文字を書いていく僕に、その男――イシュタールは淡々と告げる。
ここは、僕の静養場所。という事になっている離れの一室。
そこで僕はイシュタールに急かされながら机に向かっている。
「少なくとも二百。できれば三百ほど考えていただきませんと」
「うげぇ……。ねぇイシュタール。こういったことは当主代理のクイに……」
「無理です。駄目です」
「バッサリ切るなぁ」
「エルスティア様は、病気で負荷のかかる執務が出来ないという事にはなっておりますが、心神喪失というわけではありません。
こうして考えるだけであれば可能です。いえ、負荷のかかる執務をやっていない今だからこそチャンスなのですから」
「鬼ぃ……」
そう言いながら僕は再度、紙に目を落とす。
そこに記載された名称――都市名候補は未だ五十個ほどである。少なくともあと百五十個も考えなければいけないという事にため息を吐く。
おかしい、こういう事から逃れたいために当主代理を置いたはずなのに……と。
――
クイが当主代理の席についてから一週間。
クリスの補佐の元、期待通りに執務をこなしているクイの姿と毎日の書類とのにらめっこから解放され、穏やかな気持ちで目覚めた僕のもとにイシュタールが訪ねてきた。
イシュタール・モリス
執務官としてアリスと同期となる彼は、今年で二十八。
アリスが信頼を置く若きホープ(アリスの方が年下だけど)の一人である。
そして、彼がメインで対応しているのが都市の整理である。
元々、バルクス領とルーティント領には大小合わせて四百二十八か所の町村が存在していた。
それに対して施策案を提示してきたのがイシュタールである。
国内的に見て最大規模の騎士団数を誇るバルクス辺境侯であってもその数の町村の治安維持は困難を極めるからだ。
なんせバルクス領だけで中国地方、ルーティント領も四国と同じくらいの面積があるのだ。
巡回だけで一苦労である。
なので魔物の脅威が南に集中するバルクス領の場合は、どうしても南方重視となって北方がおざなりになっていた。
南方も南方でどうしても人が多い中・大都市がメインとなり毎年、小村が襲われて少なくない被害を出していた。
そのため、イシュタールは、現存の町村を纏める事で騎士団の負荷低減と被害防止を提案してきたのだ。
それは僕にとっても次にやりたいと思っていたことの助けになるのでアリスたちとも話し合って実施を決定したのである。
そしてイシュタールの指揮の元、順調に進んでいたわけだけど一つ問題が発生していた。
「つまりは、合併した町村のそれぞれの代表が町の名前をめぐって争っている。そういうこと?」
「はい、そうなります」
「……どうでもよくない?」
「本人たちにとっては至極当然の事のようでして……」
元々大規模な町に吸収された村の多くは、広場や通りに村の名前を残してもらうことでちょっとした諍いはあったものの受け入れられていた。
ところが問題になるのが同じ規模の町や村が合併したところである。
それぞれがそれぞれにおらが村の名前に誇りがあるらしく新しくなる村の名前で揉めているらしい。
そういえば日本でも市区町村合併の時に新名で揉めているといったニュースが流れていることがあったなぁと思いだす。
「それが数か所であれば我々の方で何とかするのですが」
「思ったより数が多かったと」
「はい、その通りです。このままいつまでも揉められては進捗に影響がありますので領主特権で新名を勝手につけようと」
「住むところにはこだわらないのに面倒くさいなぁ」
そういう僕の言葉に全面肯定といった感じでイシュタールは深く頷く。
つまりは今後も揉めるようであれば僕が考えておいた候補から勝手に付けるぞ。という事らしい。
文句を言おうにもそもそもが、彼らが住む土地の所有者は国王から領有権を認められた僕である。
その土地に間借りして住む代わりに税金を納めている立場になる彼らに文句を言う権限はなかったりする。
単純に彼らが村を興した時に自分たちで村の名前を付けることが出来たのは、そんな面倒くさいことを領主がやらなかったからに過ぎない。
僕としては、永遠にそんな面倒くさい仕事を振らないでほしかったものだ。
こういったときに僕の語彙力の無さに苦労させられるのである。
そもそもこの王国の都市名の付け方が理解できていないのだ。
ガイエスブルクとかエルスリードとか、なんとなくドイツっぽさもあるかと思えば、ファンテとかゴルンとかアメリカ? ってなるところもある。
つまりは僕の中で一貫性がないのだ。そこで僕はふと気が付く。
「……あ、そうか。一貫性が無いなら何でもいいか」
そう言って僕は、紙にどんどんと記載していく。
やっと乗ってきたのかと、満足そうにイシュタールは僕の紙を見て、徐々に困惑していく。
「ホッカイドー、アオモリ、アキタ……な、何やら変わった響きの名前ですな」
うんうん、わかるよ。本当はなんだそりゃって言いたいんだろうけれど、早く決めて欲しいと言った手前指摘できないよね。
そう思いながらも僕は次々と名前――都道府県名を書いていく。これで一気に四十七個も出来るのだ。
止めるわけにはいかない。
「さてと……次は……」
都道府県を全部書いた後は、思いつくばかりの国名を書いていく。
ただ『日本』だけは避けていく。うん、都道府県を使ったのだから無罪放免だよ。
いや、べつに罰ではないけど何となくね。なんとなく。
その次は、世界の都市名を次々と書いていく。うん、こっちはモノによってはしっくりくるな。と思いながら。
こうして由来はごく限られた――日本語がわかる僕の家族のみ――しか理解不能な名前は、波に乗った僕によって二時間ほどで生み出されるのであった。
イシュタールも僕の生み出す名前に当初は混乱したものの、元々この事に悩まされる事が業務の無駄と考えていたため、そんなものだと自分を納得させたのであった。
――――
エルスティア・バルクス・シュタリアについて、多くの領民が彼の治世により自身の生活レベルが格段に向上した事から『名君』として慕っていた。
ただ彼のネーミングセンスの無さは、魔法に携わる人物のごく一部が知る事実であったが、周知の事実として知られているのは、この都市名の命名が最も有名であろう。
その後の合併町村に突き付けられたのは、僅か一週間で代表者同士で皆が納得する都市名を考えるか、エルスティアの奇想天外な命名候補からランダムで付けられるかの究極の二択であったと伝わる。
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