第268話 ●「対岸の火事」

 エスカリア王国 王都ガイエスブルク。

 

 その中央にそびえる王城には連日のように早馬が訪れる。

 その早馬からもたらされる情報は大きく分けて二つ。


 南西のルーティント領へと派兵しているファウント公爵の動向と、南東のホールズ領に結集したホールズ侯爵を筆頭とした貴族連合の動向である。


「報告! ボーデ領へと進軍したホールズ侯爵旗下のギュネイ伯爵率いる騎士五百、民兵五千の部隊が魔物の集団五千と会敵。

 奮戦するも民兵三千の被害を出し、後方に退避!」

「報告! ホールズ侯爵旗下のインズベンド男爵家三男、ポルンド様、名誉ある戦死をされました!」

「報告! ルーティント領アルーン要塞にてファウント公爵率いる部隊が魔物の集団八千と会敵。

 敵に四千の被害を与えて撃退に成功!」

「報告! アルーン要塞にて連日の魔物襲撃も全て撃退。既に魔物二万をせん滅した模様!」


 まさに両極端ともいえる報告にその場にいる多くの者たちが苦虫を噛み潰したような表情をする。


「まったくホールズ侯爵はなんたる無様な状況か。これではファウント公爵の一人勝ちではないか」

「この度、新たに騎士五千と民兵五万レイモンド侯爵が派兵します。これで戦況は逆転しましょうぞ」


 彼らが苦虫を噛み潰したような表情をしたのは、王国民が三千人も犠牲になったことではない。

 そもそも貴族でない人間の死など彼らにとっては些末なこと。王国には六千万人もの平民がいる中で三千人など彼らにとっては家畜の何頭かが死んだ程度の認識しかないのだ。

 それよりも後継者争いでライバルとなるファウント公爵が輝かしい武功を挙げている事こそが問題なのだ。


 皆が皆、民兵三千人の犠牲について一言も触れることなく不平不満を言う中で、本来であればそれを窘めることができるであろうファウント公爵もキスリング宰相もこの場にはいない。


 ファウント公爵としてはこの場の雰囲気を事前に理解していたからこそ自らが軍を率いることでこの会議に参加しない免罪符を手に入れていたわけであるが。


 こうして不平不満を言う中でも、未だファウント公爵や追随する七公爵家を除く、六公爵家は動こうとするものはいない。

 各々に思惑があるのだろうが、未だに彼らにとってはボーデ領への魔物襲撃は対岸の火事でしかないのだ。

 その火の粉が自らに迫っていることも理解せずに……

 いや上手くいけば後継者争いでトップを行くファウント公爵が躓くことを期待しているのだ。


「だがファウント公爵派が王都にいない今。チャンスであるのも確かですな」

「いやいや、まったく。再度、勢力を立て直す格好の時ですな」


 彼らは、気づいていない。今、この時期に求められていたのは中央での政戦では無く戦場での功であることを。

 今その求められているものをファウント公爵が確実に手中に収めようとしていることを…………


 ――――


「畜生、何人やられた」

「民兵が百五十。だがまだは十分だ」


 平原が一面に広がる場所で男たちが会話する。

 男たちが装備するのは統一感のない鎧ではあるが、この世界で最も優秀とされる鉱石の銀を使用して作られたフルプレートアーマーであることが、強制徴兵された民兵でないことを意味している。

 

 その鎧の至ることろには緑や紫、赤色の液体がこびりつく。それは自分たちが殺した魔物の体液である。


 彼らの周りには数多の人や魔物の亡骸が伏し、そこかしこに流れ出た血や体液のなんともいえぬ匂いが漂ってはいるが、既に鼻がマヒしている彼らは気にするでもなく、周囲を警戒した後、手に握った剣を鞘へと収めていく。


 彼らはホールズ侯爵の号令の下、集められた貴族たちに仕える騎士たちである。


 騎士三千と民兵六万という、前線――帝国や連邦、魔陵の大森林――に接していない侯爵家としては大部隊といえる規模で意気揚々とボーデ領へと進撃を開始した彼らは、初戦から大打撃を受けることになった。

 普段は遭遇してもゴブリンやオークといった低級の中でも最底辺に位置する魔物のみだった彼ら騎士たちは、魔物への認識が低すぎたのだ。


 これは、先祖代々、多くの同胞はらからの犠牲を払いながらも他領への魔物の侵攻を防いできたバルクス家の功績が逆に障害となってしまったのである。

 そんな彼らに迫ったのはダイアウルフの群れ。ゴブリンやオークが騎士三人に相当するといわれる中で騎士六人に相当するといわれるダイヤウルフの強さは職業軍人ではない民兵の群れを容易く切り裂いた。


 そこに広がるのは地獄絵図。ある者は押し倒され首から上を食い切られた。

 またある者は後からゆっくりと食事を取るためか逃げられぬように両足を食い切られ、絶望の悲鳴を上げた。


 初戦における被害は、民兵三千の被害。それはそっくりそのまま魔物たちの栄養源となった。

 一時撤退した後、増援を連れて戻ってきた彼らが見たものは、無残に散らばる布切れや毛髪、肉を綺麗にこそぎ落とされた白骨ばかりであった。


 それ以降の魔物との戦いは、消耗戦の様相を呈していた。

 いや……それは民草を犠牲にする作戦といったほうが正しいであろう。


 騎士たちは民兵を前面に出し、魔物が民兵を襲っている隙を付いて切り倒す戦いへと方針を転換した。

 場合によっては、襲われている民兵共々……。

 彼らの鎧にこびりついた赤色の液体のいくつかはその時の返り血も含まれているだろう。


 その時から、騎士たちにとっては民兵は撒き餌と同等の扱いへとなっていた。

 現に今、周囲に転がる人の遺体の多くは簡易な鎧を付けた――民兵ばかり。

 中には鋭い刃物――本来味方である人類によって付けられた切り傷を持つものも少なくはない。


 魔物の襲撃が頻繁に発生するバルクス領の騎士にとって、自分たちの存在意義は守るべき領民に向けられる。

 そして、歴代のシュタリア家はそれを是とした。

 一方、魔物の襲撃が少ないバルクス領以外の騎士の役目の多くは、仕える――給与を与えてくれる――貴族による領地の保持または拡張である。

 自然と自身の存在意義は上司となる貴族へと向かう。


 存在価値の向かう先が違う。


 ただそれだけのことではあるが、それは騎士たちの思想にも深く影響していく。

 圧倒的に大多数を占める民草を軽視する貴族により騎士たちの思想も自然とそちらへと傾く。

 現に此度の非人道的な行為は、民草を軽視する貴族に仕える騎士により顕著にあらわれる。

 

 さらには感覚がマヒした彼らの中には明日何人餌となるかを、酒を誰がおごるかの賭けにするものまでいる。


 笑い声と共に漏れ聞こえる話の内容を聞く民兵たちの内心を気にすることもなく……


 その非道なる作戦により多くの犠牲を出しながらもホールズ方面も次第に態勢を持ち直しつつあった。

 その犠牲が何を意味するのか。それはまだ誰もわかりはしなかった。

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