第269話 ■「最愛なる孫たち」

 王国歴三百十五年二月二十五日。


 僕とユスティは二か月半ぶりに首都エルスリードへと帰還した。


 家までの風景はほとんど変わらない。

 それでもなんとなくもの悲しく見えたのは僕の気持ちの問題だろう。


「おかえりなさい。エル。ユスティもご苦労様」

「エルさん、ユスティおかえりなさい」

「お兄様、ユスティ姉さま、おかえりなさい」


 クリスは少しだけ悲しそうな笑顔で、僕とユスティを出迎えてくれた。

 その横には、少しだけ目を赤くしたベルとアリィ、リリィも付き添う。


「うん、ただいま。

 クリス、僕がいない間の当主代行ご苦労様。

 ベルも治療のためにルード要塞まで行ってくれてありがとうね。

 アリィとリリィもクリスのサポートご苦労だったね。

 それで……御大の……御大の……」

「……二人ともついてきて」


 『遺体』と続けることを躊躇した僕の思いを慮ってか、クリスはそう言うと歩き始める。

 それに僕たちは何も言うことなく付いていく。


「ここよ」


 付いていった先は、辺境侯館一階の離れ。さらに西端の一室。

 そこは、代々バルクスの当主家族――僕の先祖だ――や重職に就いていたものが亡くなった際に使用される霊安室である。

 遺体の腐敗を長期間防ぐ魔道具が設置され、本館からも離れているため静寂の中、魔道具が起動している微かな駆動音のみが聞こえてくる。


「出来ることならば、この部屋に来る経験はまだしたくなかったなぁ……」


 僕は足が震えることを自覚しながら部屋へと一歩踏み込む。

 他の部屋と比べて寒く感じるのは普段から人の往来が少ないゆえか、僕自身の精神状況がそうさせるのかは分からない。


 一歩、また一歩と僕は御大が横たわるベッドへと歩を進める。僅か六歩程度の距離。それでもそれはあまりにも遠く……

 ベッドの上に横たわる御大の顔はやや青ざめてはいるけれど、あの日、飲み交わした時となんら変わず傷一つない。

 けれど……顔を合わせるたびに響き渡るあの豪快な笑い声を聞くことは叶わない。

 この状況でようやく僕は本当のことだったのだと実感する。


「傷口については……ベルが可能な限り治癒魔法で目立たないように……」

「ごめんなさい、それくらいしか……できなくて」

「そんな事ないよ。ベル、ありがとうね」


 僕はベルにそう感謝を告げ、再び御大に向かい合う。


「御大……お疲れさまでした。今まで……本当に……」


 僕は御大に感謝を告げようとして言葉に詰まる。この場にいるのはクリス、ベル、ユスティ、アリィとリリィの家族のみ。

 もし泣いたとしても決して皆は馬鹿にしないだろうけれど、これ以上続けると思いが決壊しそうと自分で理解できたからだ。


「エル、これを」

「これは?」


 続いて部屋に入ってきたクリスは懐から封筒を取り出し、僕に差し出す。


「御大からエルへの……遺書よ」

「っ!!」


「騎士は、自分に何かがあった場合に備えて定期的に遺書を更新しているの。もちろんそれは御大も同じ。

 御大が準備していたのは二通。家族、そしてエルに……」


 僕は手が震えるのを抑えながらクリスから封筒を受け取る。

 そして封筒から手紙を取り出し、一呼吸ついてから開く。先頭に書かれたのは遺書をしたためた日付。


 そこには『王国歴三百十四年十二月五日 記』の文字。

 酒を飲み交わし御大が最後の戦いの場所であるルード要塞に向けて出発した日付。

 そのことに出発時に交わした会話が頭をよぎり、目頭が熱くなる。

 それを必死に我慢しながら手紙に目を通していく。


 ――――


 王国歴三百十四年十二月五日 記

 エルスティア・バルクス・シュタリア殿


 この手紙を目にされているということは、

 我力尽き、御身のためにこれ以降、孝行が出来ぬということ慙愧の念に堪えず……


 ……あー、止めだ。止めだ。こう言った畏まった言い方はどうにも苦手だ。

 最期くらい勝手にさせてもらうぜ。


 エル。お前がこの手紙を読む事態にならないことを祈ってるぜ。

 まぁ、俺も易々とくたばるつもりはないがな。とはいえ、念のためだ。


 お前とさしで酒を飲めたこと、本当に嬉しかった。あんだけ小さかったガキが今や立派な当主様だ。

 あの時、お前にガッカリした自分を馬鹿野郎とぶん殴ってやりたい気分だ。


 酒の勢いで言ったが、お前には人を引き付ける何かがある。

 あれは俺の本心だ。今後どれだけお前が偉くなってもそれだけは大事にしろ。それはお前の最大の武器だ。


 それから、嬢ちゃんたちを大事にしろ。

 俺が死んだこと。お前も嬢ちゃんたちも自分のせいだと悔やむような優しい子たちだ。

 だがそれは違う。単に俺の天命だっただけだ。だから後悔はしないでくれ。


 エルと子供の頃のように笑いあいながら話すクリス嬢ちゃん。

 兄のために頑張るアリシャ嬢ちゃん、リリィ嬢ちゃん、クイ坊、マリー嬢ちゃん。

 子供の頃から変わらぬ優しさを持ち続けるベル嬢ちゃん。

 俺たち騎士が一人でも多く生きて帰れるように頑張るリスティ嬢ちゃん。

 誰よりも自分に厳しく、誰よりも努力するメイリア嬢ちゃん。

 誰よりも優しいのにエルのために心を鬼にして頑張るアリス嬢ちゃん。

 エルと親友として兄弟として頑張るアインツ坊。

 いつも元気で俺たちに勇気をくれたユスティ嬢ちゃん。

 そして、そんな大切な皆と繋がりをくれたエル坊。


 あぁ、こんなにも大切な、孫に等しいお前たちと過ごせた人生。なんの後悔もありはしない。

 お前と嬢ちゃんたちがこれからも変わらず笑って暮らしている。

 

 それが俺の一番の望みだ。

 

 それだけで俺の人生は十分幸せだったと胸を張って誇れる。


 それから、最後まで面倒を見きれなかった第三騎士団のこと、済まないがよろしく頼む。

 馬鹿な奴らばっかりだが、俺にとっては大切な家族だ。


 最後に。

 また飲もうと約束したこと、守れなくてすまん。

 あの世ってのがあるんだったらそこで嬢ちゃんたちも含めて浴びるほど飲もうや。


 ただ八十年ほどであの世を俺のものにしておくから、それ以前に来るんじゃねぇぞ。

 それじゃぁ、そん時まで。しばらくお別れだ。


 最愛なる孫たちへ 

                 ルッツ・ヘイマーより

 ――――


「ははっ、御大は最後まで御大だなぁ」


 読み終えた僕は手紙をクリスへと渡しながら笑う。その目からは我慢していた涙が自然と溢れ出す。


「本当に御大らしいわね」


 その手紙を一読したクリスも笑顔で涙を流す。

 手紙を回し読みした皆も溢れ出す涙を抑えることはできない。けれど皆の顔に浮かぶのは笑顔。


 それは御大が望む光景。


 それが僕たち孫が、最愛なる祖父に捧げることが出来る最高の光景なのだから。

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