第266話 ■「喪失3」

「前線は当面の間はこれで大丈夫です。ですがエルは早急に主都へ帰還してください。

 今後のルード要塞の動きも不透明な以上、アルーン要塞では遠すぎて十分な対応ができませんから」


「そうだね……今頃クリスとベルが頑張ってくれているだろうけれど事が事だ。当主の権限が必要になる可能性もあるか。

 明日にでも出発できるように準備は可能かな?」

「はい、直ぐにでも準備を始めます」


「リスティはどうする?」


 僕の問いかけにリスティは静かに首を振る。


「私はアルーン要塞方面の指揮を任されています。自分のわがままで帰ったりしたら……父さまと御大に叱られてしまいます」

「分かったよ。バインズ先生の状況は分かり次第直ぐにでも連絡するね」

「はい、それだけでも十分です」


 そう言ってリスティは優しく微笑む。


「急な準備ですので十分な護衛は準備できませんが。ユスティ。お願いしてもいいかしら?」

「うん、任せてよリスティ。アリス。その為に私は居るんだからさ」


 そうユスティは力強く言う。


「後はファウント公爵についてだけれど」

「ルード要塞にも襲撃があった。それは正直にお伝えしたほうがよいでしょうね。どちらにしろ情報は入るでしょうから。

 出立の挨拶が出来ないことについては私から説明しておきます」

「ごめん、助かるよ」


「それじゃ、皆も大変だろうけれどよろしく頼むよ」


 僕の言葉に皆は頷くのであった。


 ――――


 翌日。アルーン要塞の前に僕たちの出立を見送りに来た数人が集まる。


 馬車二台と護衛の騎士が十八名ほどという、当主を護衛するにはやや心もとない戦力ではあるが、昨日の今日である事を考えれば十分に揃えたといえるだろう。

 ユスティが『エル君と私がいるから過剰戦力だねぇ』と言ったのに見送りに来た騎士団長達が頷いたのは見なかったことにしよう。


「それじゃアリス。ファウント公爵たちへの説明も含めてよろしく頼むよ」

「はい、お任せください」

「リスティもある程度戦況が安定したら帰還を認めるから無理しないように」

「ありがとう。エル」

「アインツ。ロイド。ガイアス。アリスとリスティのフォローを頼むよ」

「おぅ、任せとけ」

「かしこまりました。エルスティア様」

「お任せください。エルスティア様」


 僕が他の人とやり取りをする中でアリスとリスティは準備をしていたユスティの元に向かう。


「ユスティ……エルの事。よろしくね」

「うん、私でどこまで出来るかわからないけど。任されたよ」


 そういうと三人は抱きしめあう。妻たちで仲が良いのはうれしいけれど何の話だろ?

 こうして僕たちは挨拶を交わし、出発するのだった。


――――


 出発から十分ほど経った。既にアルーン要塞は視界からは見ることは出来ない。

 二台の馬車は騎士たちに四方を守られながら一路、主都エルスリードへと進む。


 その馬車の二台目に僕は搭乗している。一緒に乗るのは横に座るユスティのみ。

 護衛の騎士が二名ほど乗車するのが本来の形ではあるけれどユスティが固辞した結果である。

 僕が乗る馬車は、密談することも考慮されて防音・魔法阻害が充実しているので外からの音も殆ど聞こえない。


「やっと……二人きりになれたね。エル君」


 そんな中、ふとユスティが口を開く。


「まぁ、ユスティさんったら、こんな日中からそんなドキドキする事をおっしゃるなんて」


 それに僕はおどけながら冗談を言う。


 そんな僕の頭を……ユスティは泣きそうな笑顔と供に両腕でやさしく包み込む。

 それにより僕の頭は自然とユスティの柔らかな胸元に触れることになる。僕の耳に響くのはユスティの規則正しい鼓動と優しい声。


「エル君。今は私しか居ないんだから当主の顔で居続ける必要は無いんだよ。よく頑張ったね」


 その言葉はすっと僕の心に沁みていく。それと同時に抑えていたものがあふれ出してくる。


「はじめて……だったんだ。御大と二人きりでお酒を飲めたのは……」

「うん。よかったね」


「言ってくれたんだ。五歳の時に初めて会った時には不安しかなかったって。でも当主になってからはバルクスは見違えたって」

「うん。頑張ったもんね」


「僕には人を惹きつける才能があるって。それを大事にしろって。お世辞でも嬉しかったんだ」

「ううん。エル君の才能はエル君を知る人なら誰でも知っていることだよ。それを御大は言葉にしてくれた。それだけだよ」


「約束……したんだ。引退してもまたお酒を飲もうって。楽しみだって言ってくれたんだ」

「うん。よかったね」


「僕は……僕にとっては……おじいちゃんみたいな存在だったんだ」

「うん。そうだよね」


「これからもずっと一緒にバルクスで暮らせると思って……思ってたんだ……なのに……ちくしょう……」


 その後は僕からでてくるのは嗚咽のみ。そんな僕をユスティは優しく頭を撫でる。

 僕の頬に温かな滴が一つまた一つと落ちてくる。あぁ、そうか。ユスティも泣いているんだと理解する。


 それがさらに僕の感情を揺さぶってくる。こうしてしばらくの間二人は泣き続けた。

 僕たちにとって初めて大切な存在を失った。それを噛み締めるように――――


 ――――


 古来からの風習として功績があった騎士や部下に対して当主である貴族たちは、豪華な墓標を建立し、その墓石に彼らを讃える詩を刻み、彼らの命日には自身の財力を誇示するかのように墓前に絢爛豪華な品を供えた。

 墓石に刻まれた詩の多くは、自身が長年にわたり彼らが尽くすに足る人物であるかといった自画自賛を含んでいたため後年の歴史学者にとっては嘲笑を含んだ格好の研究材料となった。


 それは私がこの書を記すきっかけとなるわけであるが。


 ~中略~


 そんな研究材料の中でも例外がある。その例外のほとんどをたった一人の人物が占めているのわけであるが……


 王国歴三百十五年十一月にそのたった一人の人物たるエルスティア・バルクス・シュタリア辺境侯(当時)が建立した元第三騎士団団長ルッツ・ヘイマーの墓標がその一つである。


 彼の功績を鑑みた場合、豪華ではあるもののやや物足りなさを感じる墓標である。

 ただエルスティアが建立した墓標の多くが同じような印象を受けるので、歴史学者の多くは彼がけちであったと結論付けている。


 またエルスティアは、その生涯を閉じるまでルッツ・ヘイマーが死んだとされる一月十日ではなく、十二月四日にワイン樽四本とこちらも豪華さに欠ける供え物であった。


 この扱いから、多くの歴史学者たちは、資料上のやり取りで彼らは親密そうに残っているが、実際には不仲で、命日ではなく何の関係も無い日に供え物をしたのは陰湿な嫌がらせであったとするのが通説である。


 それをさらに裏付けるとされたのがバルクス辺境侯が墓標に刻んだ詩である。

 刻まれたのは三行のみ。


 それは当時エスカリア王国で使用されていた文字とは異なり、何人もの歴史学者が解読に挑んだものの、あまりに多種多様で類似性を見出せずに解読不能な文字のような図であった。

 この図はエルスティアが建立した墓標の多くに残っているが、ルッツ・ヘイマーだけがその図のみであった。

 それが讃える詩を刻むことすら拒否するほどの関係であったのだとされたのである。


 刻まれた文字のような図は以下である。

 (注)刻まれた図をそのまま転写しているので欠落などがある可能性あり。



  『我が最愛なる祖父へ。』

  『初めて飲み交わした日に驚き喜ぶとびっきりのワインを捧ぐ。』

  『再び共に飲み交わせる日々を夢見て。』



            ――ハーベン・スーク著『墓標から読み解く歴史・文化』

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