第265話 ■「喪失2」
「ははっ馬鹿どものせいで御大が死んだだと……笑えるかよっ! ふざけるなっ! くそっ!」
急使が退出し、十分に離れただろうタイミングでアインツは悪態をつきながら壁を思い切り蹴る。
魔法阻害のために鉄板が埋め込まれた壁からは、土壁の欠片がパラパラと床に落ちるがそれを咎めるものはいない。
アインツの言葉がこの場にいる全ての人間の気持ちを代弁していたからだ。
口に出すことは無いが、新米の騎士百人のために、第三騎士団のみならず多くの騎士たちから慕われる御大を失ったことはあまりに釣り合わない。
『命の価値は平等である』――何とか美麗な言葉だろうか。だがそれは綺麗ごとでしかない。
僕だけが知ることだが、今回の作戦を機に御大は引退する予定だったから結局は騎士団から居なくなる事は決定事項だった。
それでも、それ以降も近くに居てくれると居ないでは雲泥の差なのだ。
重たい空気が流れる中、凛とした声が響き渡る。
「我々は御大を失った。それは紛れも無い事実です。であるならば生きている私たちはこれからの事を決めなければいけません」
「ですね。後任人事。部隊の再配備。考えることは山積みです」
「アリスッ! リスティ! お前らこんなとk……」
冷静に会話をするアリスとリスティに噛み付こうとしたアインツは言葉を失う。
二人の両目から止め処なく流れる涙を見たからだ。
政務のトップである執務長官と軍務の二番目となる軍令部副長に女性の身ながら二人が就任した際、大きな軋轢が生じなかったのは御大の存在が大きかった。
長年にわたり執務長官の席に居たベイカーさんから後任を託され、その他の執務官からもその才能を認められていたアリス。
一方、男尊女卑の気質が強かった軍部において軍令部長が父親であるバインズ先生ということも含めてリスティへの人事は親のコネという見方が非常に強かった。
現に発表当初は僕の元へ「女の下では働けない」といった陳情書が毎日束となって届けられたものだ。
そんな軋轢の火種が燃え上がろうとする中、真っ先にリスティが軍令部副長に就任する事に賛成したのが御大であった。
軍歴が最長で全騎士団の主要ポストに元部下を持つ御大が女性の下に付くことを是としたのだ。
その他の騎士たちは女だからという言い訳を失ったのである。もちろんその後にリスティの実力を知ったことで不満が一掃されたがその下地は御大の存在が大きい。
リスティはその恩や普段からの接し方も含めて御大を敬愛し、祖父のように慕っていたのだ。
そんな御大が亡くなって悲しくないわけなどない。それでも彼女は……彼女達は自分の責務を全うしようと声を上げたのだ。
二人は流れ続ける涙を拭うこともなく――拭ったところで止まらない事を分かっているのだろう――話を続ける。
「第三騎士団の団長については、副団長のアスタート・ネイクさんに昇格で問題ないかと。
実務についてはほぼルッツ団長に一任されていましたので」
『坊主。年寄りからの金言だ。世の中には適材適所があるってこった』
あの日、ワインを片手におどけながら言われた言葉を僕は昨日のことのように鮮明に思い出す。
「空いた副団長の空席についてですが……」
「リスティ。それについては僕から推薦があるんだけれど」
「推薦ですか?」
「うん。アスタート副団長のサポートをしていたリックを」
「リック……リック・シュベルトですね。ですがエル。どうして彼を? 他にも適任と思える候補はおりますが?」
「御大に……自分が引退した後の副団長後任として彼を推挙されていたんだ」
『それを決断できるだけの後継者は育てたつもりだ』
御大の自信に満ちた表情が自然と脳裏に浮かんでくる。
「なるほど……かしこまりました。御大の意思のままに。詳細についてはこちらで検討させていただきます」
「うん、頼んだよ」
僕の言葉に
「次に御大の死についてですが……前線の騎士団に対してはしばらくは伏せるべきかと思います。
御大を失ったという事実は全騎士の士気への影響があまりに大きすぎます」
アリスの言葉に僕は頷く。
「ですが、エルスのもとに急使が来たということはアルーン要塞の騎士たちの耳にも届いています。
急使には守秘義務がありますのでまだ漏れていないでしょうが、来た理由は知らせるほうがよろしいでしょう。
『ルード要塞に大規模魔物の襲撃有り。死者を出すものの撃退には成功』と」
「……なるほどね。嘘は言ってはいないか」
「人というのは情報をあまりに制限しすぎますと悪い方向へ想像を膨らませる動物です。大部分は開示し限定的に隠す。
それだけでも十分な意味はあります」
情報というのは劇薬だ。特に言論統制が行われている場合、権力者にとって都合がよい情報のみが流されることになる。
連敗や餓死者が続く中で国民には連戦連勝していると伝えられた戦中の日本のように……
国民の多くは本土が空襲されることで初めてその情報に疑いを持ったという話すらあるのだから。
「御大については、こちらの状況が落ち着き次第、公開してエルスの名の下に葬儀をお願いします」
「御大には『ゆっくりさせてくれや』って文句言われそうだね。でも僕の許しも得ずに勝手に死んだんだ。文句は言わせないよ」
そう笑う僕にアリスは少し悲しそうに微笑む。
「……皆様と共有しておきたいことがあります。今回の魔物たちの動きについてです」
「動き? そういえばリスティは急使の言葉に引っかかりを感じていたよね……確か……『待ち伏せ』だったっけ?」
「はい、こちらを
魔物たちが戦術を駆使してきた。そう考えるのが妥当です」
「戦術……リスティ。魔物どもにそれだけの知識があるのか? グエンサリティスファルンテでもそんな話を聞いたことが無いぞ」
リスティの言葉に今まで黙って聞いていたローザが口を開く。
「ローザもだろうけれど私たち含めて魔物たちの全貌を知らない。恐らくほんの一欠けらの情報しか知らないのよ。
現に私たちは中級魔物が『将』『王』『災害』『厄災』『天災』、上級が『神災』に分類されることは知っている。
けれど実際には厄災級以上は、伝説上でしか知識は持っていないの。
だから人並みに戦術を駆使できる魔物が居ないと否定するだけの根拠が無いの」
「お待ちください。それでは今回ルード要塞を襲撃してきた魔物に『厄災』級以上が存在するということですか?」
「正直に申し上げれば『その可能性もある』ですね。ロイド騎士団長。なにせ『将』『王』級で知能が高い魔物がいないとは一概に言えませんから」
「……確かに」
「過度な不安を持つことは愚策ですが、今後は『人並みの戦術が可能な魔物が存在する可能性がある』という認識を共通化しておきたいのです」
「……ですな。かしこまりました。全騎士団に情報を共有化しておきましょう」
「はい、よろしくお願いします。『厄災』級以上が出張ってこない事を願いましょう」
そう言うリスティの言葉に皆は力強く頷くのだった。
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