第231話 ●「治世が壊れる音2」

 近づいてくるのは複数の馬の蹄鉄と車輪の音。その音の組み合わせからして馬車であろう。

 

 そしてレザーリアに高額な馬車を持つ者がいるとは思えないから、外部から来たと考えていい。

 ウォーレン公爵公子とともに来た貴族たちは皆、騎乗していたのだから彼の仲間でもない。

 

 それに公子は訝しみながらも、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 夜闇から現れたのは四頭の馬に引かれた馬車。一台の馬車にかける馬の頭数はその持ち主の財力の表すといってもいい。


 四頭も馬を使用できるという事は少なくとも侯爵以上と考えて問題ないだろう。

 それが、公子の中で嫌な予感を確信へと変えていく。


 馬車には御者が二名乗っており、一名の手には魔道具らしき照明が掲げられている。

 馬車に施された装飾はその闇夜の中でも荘厳さを醸し出す。そして彫られた家紋は『五三桐ごさんぎり』。

 その家紋を許されたものはただ一名のみ。


 馬車は、公子の数十m前に静かに止まると、御者の一人が降り立ち馬車の横の扉を開くと恭しく頭を下げ、降り立つ者への敬意を示す。

 先ず降り立ったのは、二人の男。その身を高価な白銀の鎧で固めた要人警護を生業とする騎士。

 その後に降り立ったのは、齢六十ほどの男性。だがその顔つきは若かりし頃よりいささかも覇気が衰えてはいない。


 予想通り、しかも最悪な男の登場にも公子は焦ることは無い。思ったより来るのが早かったなという感想を抱いていた。


「これはこれは、キスリング・レイート・ベルクストではございませんか。

 このような場所、しかも汚らしい地面に降り立たれてまでいったい何の御用でしょうかな?」


 そう慇懃無礼に男――エスカリア王国宰相であるキスリングに馬上から言い放つ。


「レズナ殿、これはいったい何をされておるのか。王命により『人狩り』が停止されている事、よもや忘れてはおりますまいな?」


 キスリングは、上から見下ろすレズナに対しても少しもひるむこともなく言い放つ。


 この二人の立場はいささか複雑となる。

 

 貴族位としてみた場合、レズナは公爵公子、しかも公爵家第一位の次期当主。一方、キスリングはレイート侯爵家であるが当主は既に兄、そしてその息子へと移っている。つまりは現侯爵の叔父でしかなく、貴族位も伯爵待遇とレズナの方が上の立場となる。


 だが、エスカリア王国の権力者としてみた場合、その立場は逆転する。

 キスリングは、王国宰相。つまりは王に次ぐ権力者となる。一方、レズナはあくまでも次期当主候補、御前会議においても出席は認められたとしても発言権は無い。


 だからこそ、レズナはキスリングに対して『伯爵』と貴族の立場を強調し、キスリングはレズナに対して『殿』と宰相の立場を強調したのである。

 両者ともに表情上は友好的に――漂う雰囲気は攻撃的に――十数秒、相対した後、レズナが口を開く。


「ふむだがキスリング伯爵よ。その王命は昨年の王国歴三百十三年十二月三十日までの期限だったと記憶しているが?」

「いいえレズナ殿。この王命は王国歴三百十四年十二月三十日まで延長されております。つまりは今、王国歴三百十四年一月五日も有効となりますぞ」


「なんと、それは知らなんだ。困りますなぁ、そういった情報はちゃんと『正確に』伝達してもらいませねば」

「ウォーレン公爵家に対してもちゃんと『正確に』伝達をしておりますぞ」

「それはそれは、であれば部下から私への伝達漏れがあったようですな。これはいけない。部下にはしっかりと罰を与えねば」


 もちろんレズナが知らないというのは嘘である。知っているからこそこのタイミングで『人狩り』を行ったのである。

 部下からの伝達不足、それを手札として。

 キスリングとしてもそれが嘘である事は十分に分かっている。

 だがレズナの部下から実際に伝達が有ったのか無かったのかの証拠が無い以上、これ以上追求することはできない。


「ベインド子爵!」

「は、はい! 何でございましょうかウォーレン公爵公子様」


 その二人のやり取りに入ることも出来ずにその行方をただただ見ていたベインド子爵にレズナは僅かに怒気を含んだ口調で話しかける。


「終いじゃ、公爵家に戻るぞ」


 そう言い放つと馬を歩ませ始めて、キスリングの横をわざとらしく舌打ちして抜けていく。

 レズナが帰宅を始めたことを知った部下の貴族たちも慌ててレズナの後を追っていく。

 

 キスリングは、その中でもただ一点――事切れた十歳ほどの少年の遺体を見続けたのであった。


 ――――


「キスリング様、少なくとも犠牲を抑えることが出来た。そう思いませんと」


 レザーリアでの惨劇の後片付けを後からやってきた兵士たちに引き継いだ後の帰路。

 しかめっ面をしていたキスリングに護衛の騎士の一人が声をかけてくる。

 

 この騎士は、キスリングが宰相となった時から護衛についている最古参の部下である。

 ゆえにこうして個人的な空間では、彼から話しかけてくることも珍しくはない。


「いや、此度の件は私の失態だ。公爵家への伝令を命じた際に、直接レズナに伝えるように厳命しなかったからこそ、その穴を上手く利用されたのだからな」

「そうかもしれませんが、それは結局は結果論ではありませんか」


 そう、騎士の言うように結果論、キスリングの仕事は多岐にわたるゆえに一つの案件に深く対応する時間は無い。

 彼の目下の尽力すべきことは、後継者争いにより国が割れることを防ぐことなのだから。


 キスリングもレズナの他も含めて要注意と考えていたが、今回の『人間狩り』の延期について、御前会議で一年の延期が認められた時点で終わったと考えていたのだ。

 だがその見通しが甘かったと言わざるを得ないだろう。


「そうだな、これで次回以降の対策の取りようが出来た。そう思う事にするか」


 内心では納得いってはいない、今でも自分の目の前で命尽きた少年の遺体が思い出される。

 それでもそう口にすることで、国の宰相として状況を整理する。

 為政者にとって失敗を糧とするか繰り返すかこそが重要なのである。

 

 言い方は悪いが、こたびの犠牲が、未来に続くより多くの犠牲を防ぐことが出来たのだ。為政者としての数の原理だ。


 キスリングも貴族である以上、他の貴族より少ないとはいえ選民主義は存在している。

 彼にとっての優先順位内ではレザーリアの住民は、国に対しての義務である納税を十分に果たしていない存在であるから下位である事は間違いない。

 国全体で見た場合、損害としてはまさに微々たるものでしかないだろう、そしてレズナに釘を刺すことが出来たという意味では重畳である。

 それでもやはり目の前で死体を見るのは目覚めのいい話ではなかったのであった。


 ――――


 馬車はレザーリアから出て、レザーリアに入るほどではないレベルの下級平民が暮らす一帯を黙々と走る。

 もちろん高価な明かりなんてどこにも見えない。御者台に座る御者の持つ明かりと馬車の中に据え付けられた魔道具の明かりだけがこの周辺を照らしているといってもいいだろう。

 

 このまま何事もなく中央の城壁の中にある宰相屋敷まで辿り着く……はずだった。

 

 地面が震えると同時に攻撃系魔法による爆発がキスリングの馬車を突如として襲うのであった。

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