第232話 ●「治世が壊れる音3」
「キスリング様、このまま中に!」
異常事態を察知した騎士がキスリングに告げると馬車の外へと出ていく。
そしてその後、キスリングの耳に入ってきたのは争うような声。
「ふむ、どうやらこのままでは埒が明きそうにないな」
いつまでも続く口論のような音に、キスリングはため息を吐くと馬車から外へと出る。
そこにいたのは二十人ほどの男たち。
馬車が動けないように前方に三人が道を塞いでいる。どちらにしろ御者は逃げたらしくそもそも動かすことはできない。
主を置いて逃げるのかとも思えるが、ただ戦闘経験のない御者に逃げるなという方が無理であろう。
そして護衛の騎士に対峙するように十数人。その誰もが手には剣を持っている。
どうやら扱いに慣れていないらしく不格好な剣の持ち方の者が多いが、数的不利である以上は安心できない。
キスリングが馬車から降りてきたことに一番動揺していたのは、騎士と対峙している暴漢者たちの方だった。
「さてと、これは何の騒ぎか、この馬車の家紋が見えないわけではあるまい?」
キスリングの凛とした声に暴漢たちがやや押されたのか一歩後ろに下がる。その様をみながら、キスリングは状況を判断しようと考えをめぐらす。
最初に疑ったのはウォーレン公爵公子の手による襲撃。だがすぐさまそれを否定する。
襲撃するならば自分たちが楽しんでいた『人間狩り』を止めるためにレザーリアに向かっていたタイミングであろう。
もしそれを邪魔されたからと動くにしては余りに早すぎる。
次に疑うのはウォーレン派閥と対立するファウント公爵……いや、それはますますありえない。
彼にとってキスリングは、利用価値がまだ十分にある。いや、彼にとっては今時点でキスリングがいなくなる方が問題なのだ。
キスリングにとっては忌々しい事であるが、自分が宰相として動くことで後継者争いが、国を割ることなく貴族同士の対立に終始していることを理解している各派閥の中でも数少ない一人だろう。
ファウント公爵が自分を除こうと動くとしてもイグルス王子が王になった後であろう。
その後も幾つも候補が上がるが全てが否定されていく。そもそもがこのような素人集団を送り込んできそうな馬鹿を思いつくことが出来ない。
そんな事を考えている間も護衛の騎士と襲撃者たちとの口論は続く。
その中でキスリングは襲撃者の中に見覚えのあるいくつかの顔を見つける。
「まて、そこの男。お主は確かデキストリ伯爵家の封爵であるアクス男爵家のフィレンツ・アクス・ベルクフォードであったか?」
名前を呼ばれた襲撃者の一人――フィレンツ・アクス・ベルクフォードの驚いた顔に他の男たちの視線が集まる。
まさか宰相であるキスリングが男爵家の人間を覚えているとも考えていなかったのだろう。
キスリング自身も伯爵以上の貴族ならともなく数多ある男爵の一人一人を覚えてなどいない。
覚えていた理由はただ一つ、バルクス辺境候と接点を持つ貴族だから。それだけであるからフィレンツ自身に興味があるわけではない。。
それでも突如として話題の中心となったフィレンツは、動揺しながらも貴族の
「キ、キスリング宰相閣下、あなたには我々の生活を取り戻すため、し、死んでいただく!」
「はて、そなたたちの生活と言われても何の事かもわからんな」
そう、彼らの言う理由に本当に思い当たる節がないのだ。だからこそキスリングは突破口を見つけ出すことが出来ない。
だがそれも無理はないだろう。実際に理由なぞ無いのだから。あくまでも『蟲毒』ルーディアスによってねつ造された理由なんだ。
その後もフィレンツの口からキスリングを糾弾する言葉が次々と語られ、周りの襲撃者たちも賛同するように声を上げる。
そのほとんどがキスリングには理解できない理屈である。それでも聞くふりを続けることで襲撃者――どうやら落ちぶれた男爵ばかり――も徐々に落ち着きを取り戻していく。
このまま行けば、最後にキスリングが不問に付せば解決する――そのはずであった。
「ガッ」
突如として響き渡る二つの断末魔、それにキスリングや襲撃者たちも驚愕の表情を浮かべる。
視界に入るのは赤い液体――護衛騎士たちから噴出した血の色だ。
襲撃者たちの中で今までだんまりを決めていた二人が、手に持った小振りの赤い柄の剣で護衛騎士の首元を切りつけたのだ。
しかも首の頚動脈を確実に切りつけるほどの腕、それにキスリングはすぐさま理解する。この二人は『プロ』であると。
それは
「皆騙されるな! こういってこの男は後に我々を殺すつもりだ!」
二人組は、さらに襲撃者たちの背中を押すかのような言葉を投げつける。
「う……うわぁぁぁぁ」
その言葉に押されるようにフィレンツは手に持った剣を振り上げ、キスリングへと振り落とす。
無意識に身を守ろうと上げた左腕に焼けるような熱さとともに血が舞う。
不幸中の幸いか振り下ろした剣はキスリングの左腕を薄く切りつけた程度で終わる。
だがそれでもキスリングにとっては、初めての痛みだ。痛みに顔をゆがめる。
「やった。やったぞ! 宰相をやってやった!」
もはや混乱しているのかフィレンツは、興奮気味に叫ぶ。その声に他のものも押されるようにキスリングへと剣を振り下ろしてくる。
その多くは腰の入っていない剣ゆえに即キスリングの命を奪うまでにはならない。
それでも切られた箇所は十数か所に渡り、少しづつキスリングの生命を奪っていく。
痛みに足がもつれ、馬車に背中を預けるように倒れこんだキスリングが最後に見たのは、自分へと振り下ろされた鈍色に光る武骨な剣と夜空に浮かぶ三日月の淡い光であった――――
――――
「キスリングが、何者かに襲われた……だと?」
キスリングが何者かに襲われ意識不明の重体であるという報がファウント公爵のもとに届いたのは翌日早朝の事だった。
「ク、クク、ハハハハハ」
その報を聞いたファウント公爵の口からこぼれ出るのは笑い、それに報告に来た部下は戸惑う。
それは部下の心に一瞬とはいえ、首謀者が自らの主であったのかという疑念を抱かせる。だが……
「この国は馬鹿ばかりかっ! キスリングを排除するなど、王国を潰すつもりかっ!」
ファウント公爵の口から次にこぼれ出たのは、怒声。そして水を飲みほしたグラスを床へと叩きつける。
「キスリングの容体はっ!」
「は、はっ、命は何とか助かりましたが、意識が全く戻る兆候が無し……と。
怪我の方はどうやら襲撃者は素人のようで一つ一つはそれほどでもありませんが、切られた数が……」
「事件を見たものはっ!」
「逃げた御者の二人。護衛の騎士二人は既に息絶えておりました。その傷跡はおそらくプロの犯行とのこと」
「他の貴族たちの動向はっ!」
「突如の事ゆえみな混乱しているようです」
「出かける準備を、準備が出来次第、王城へ向かうぞ。必ずや犯人を見つけ出す。いや、見つけ出さねばならぬ」
ファウント公爵の圧力に押される形で部下は外出の準備をするため、駆けるように部屋を出ていく。
「くそ、キスリングがおったからこそ、後継者争いを慎重に進められたものを……このままではいずれ国を分かつことになる。
これからのかじ取り……より慎重にせねば」
ファウント公爵から漏れる言葉、それは王国の未来に暗雲が立ち込め始めたことを予測したかのようであった。
――――
王国歴三百十四年一月五日、エスカリア王国宰相、キスリング・レイート・ベルクスト暗殺未遂が勃発。
それは、後世においても王国の歴史の転換点として知られる事件。
そして、それは遠く離れたバルクス辺境候においても少なからぬ影響を持つ事件となるのであった。
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