第230話 ●「治世が壊れる音1」

 エスカリア王国、王都ガイエスブルク

 

 人口は百六十万人。この一都市だけで増やしつつあるバルクス辺境侯とほぼ同数の人口を誇る。

 金・人・権力を一極に集中させているこの都市だが、その姿は歪といえるだろう。

 

 王都全体から見た場合、中央に南北約四㎞、東西約五㎞の長大な城壁により王城、伯爵以上の上級貴族の館が囲まれ、その周りに広大な街が拡がる巨大都市である。

 都市の東側は王立学校や中央騎士団寄宿舎、騎士団の訓練場など王国の行政機関が集中する。

 都市の北側は高級住宅街と共に整備された森林や草原が広がる。とはいえそれは住民たちの憩いの場として使用されるわけではない。

 王族や上級貴族たちの嗜みの一つである狩りを行うためだけの場所なのである。

 ウサギや鹿といった獲物が多く放たれ、それを管理するための人員に多額の税金が使用されている。

 だが、実際に狩りが行われるのは月に多くて三度ほど、まさに無駄金の象徴である。


 そして都市の南部は中央に近い部分から上流層、中流層、下流層の住居が立ち並び、さらに外側に巨大な商店街が広がっている。

 この北東南こそが王都の誇るべき景色といえるだろう。

 

 だが西部となると様子は一変する。まず目に入ってくるのはそびえ立つ巨大な壁だ。

 貴族が利用することがメインの北東と平民が利用することがメインの南との境にも壁はあるが高さとしては二mほどとそこまで高くはなく、八か所に存在する門で衛士による検問の為に作られているといってもいいだろう。

 

 だが西部の壁は十五mにもなる巨大な壁、しかも門はただ一か所のみ。しかもそこには衛士が人の往来を厳しく管理している。

 それは何かを隠すため……いや、隔離するための場所と言ってもいいだろう。

 

 人々はその場所をこう呼ぶ『汚物レザーリア』と。そこは最下層平民たちの隔離場所。

 南部に住む平民たちには『そこに住まない生活で良かった』と優越感を抱かせるため、貴族たちには別の目的のため。


 そして……今宵ここで一つの催しが行われていた。


 ――――


 平民、ましてや最下層の平民にとって、夜の照明というものは贅沢以外の何物でもない。

 それは辺境のバルクスだけでなく、王都ガイエスブルクでも同様である。


 貴族エリアである東部は、一定の間隔毎に照明が焚かれまさに昼がごとき明るさであるが、南北エリアは富裕層の住む家や歓楽街から漏れてくる明かり以外は闇が支配する。

 西部にいたっては、そもそも照明の様な贅沢品を使えるのであればこのような場所に住んでいるはずがないのだ。

 自然と全てが闇に包まれる。


 だが今日は、そこら中が明かりに照らされていた。それは、ここに住む住人たちにとっては死を告げる明かりであった。

 明かりが灯されているのは、簡素な掘っ立て小屋、誰かが寝るために敷いてあったのだろう寝藁、それに……息絶えた人。


 それは誰かによって意図的に燃やされる炎の明かり。

 そして普段なら皆が寝静まり耳が痛くなるほどの静寂に包まれるはずの一帯に響き渡るは人の悲鳴、怒号、断末魔。

 それは普通に生活している限り聞くことのない音ばかり。


 その中を多くの人たちがこの場所から逃げようと恐怖に彩られた顔で逃げ惑う。

 だが、逃げ遅れた人々は、突如崩れ落ちる。その背中に生えるのは一本の矢。その矢は、戦場で使用される武骨なものではない。


 矢羽には贅沢にも鷲の羽が使われ、鏃には奇麗な装飾が刻まれている。そのような高価な矢を使えるものなど一握りであろう。

 

 そう、この場で行われている催しとは、貴族たちによる『人間狩り』であった。

 貴族たちにとって、この場所の意味はこの催しのためといってもおかしくはないだろう。

 自身の武芸を磨くため、税金を納める事すらしない無駄な生き物の有効活用という狂気な言い分がまかり通っているのだ。


「まったく、たまにはこういった催しでもなければストレスが溜まるわ」

「いやいや、全くでありますなぁ。おぉウォーレン公爵公子様、あそこに獲物が」


 白馬に跨ったいかにも贅を尽くした衣服に身を包む二十代後半くらいの男――ウォーレン公爵公子に、隣で同じく馬に跨る中年の男が薄ら笑いで機嫌を取りながら前方を指さす。

 その指の先には、逃げ去ろうとする一人の――十歳くらいの少年。

 

 それにウォーレン公爵公子は、無言で手にもつ弓を引き絞り矢を放つ。


「おぉ、命中! 流石でございます」


 その矢は、少年の背中に深々と刺さると、まるで糸が切れた操り人形のように少年はパタリと地に付し動かなくなる。

 そして地面にはゆるゆると赤い液体――血――がひろがっていく。どう見ても絶命していた。


「ふん、ウサギの方がもう少し上手に逃げるぞ、まったく。べインド子爵、もっと兵どもに中心に追い立てるように命令しろ」


 その少年の死になんの憐みも持つこともなく不満を口にし、隣の中年の男――ベインド子爵に獲物を集めるように命令する。


 レズナ・ウォーレン・ボリス公爵公子。

 根源貴族である十四公爵にして第一位と呼ばれるウォーレン公爵家の次男であり、次期当主である。

 兄を幼少期に病気で失ったウォーレン公爵の過保護ともいえる育て方により、彼はまごうことなき貴族として成長した。

 まごうことなき貴族、それは平民を家畜同然に考える貴族たちにとってはいたって普通の感覚。

 

 そして成人した彼が熱中したのは狩り、特に人間狩りであった。


 ウォーレン公爵自身は、人間を狩るという事に関しては、まったく興味を示さなかった。

 いや、そもそも血を見ることを嫌っていた公爵は、狩り自体も少し嗜む程度であった。


 だが、その息子が血を見ると興奮するという狂気に魅せられたというのは何とも皮肉な話である。

 

 だがここ最近は上層部、特にある人物による監視が厳しく久しぶりの人間狩りである。

 それが、さらに彼にとってのストレスにもなっていた。


 にもかかわらず、逃げる獲物――下級平民の無様さにストレス発散どころか蓄積させられていた。

 その一方で至る所にひろがる赤色にも興奮をしていないというのも嘘である。


「汚物でもいい色が出せるではないか、知らなんだ、あの獲物もどうやら人間の端くれではあったようじゃ」


 そう微笑する。そんな、ウォーレン公爵公子に一人の老人が必死の形相で近寄ってくる。


「貴族様、お願いでございます。こちらをお納めしますのでこれ以上の殺傷は……」


 そう懇願する老人の両手には、銀貨が三枚。老人にとってはそれが必死で集めることが出来た全財産なのだろう。


「おねが……ガッ」


 だが、涙ながらに懇願した老人の胸に突如銀の柱が付き立つ。それはウォーレン公爵公子が抜き放った剣。

 それは老人の命の灯を消し去るには充分であった。


「ふん、無駄にしゃべるな汚らわしい。空気の無駄遣いだ」


 そう言い放つと剣を既に生命を失った老人から抜き取ると、その血で汚れた贅を尽くした剣を放り捨てる。


「さてと、次の獲物は何処かのぉ」


 次の獲物を物色していたウォーレン公爵公子の耳にある音が近づいてきたのであった。

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