第222話 ■「旅人1」

 王国歴三百十二年九月二十日


 月に一度のエルスリード近郊の直轄領の視察から戻ってきた僕は、侯爵家前で衛士達と誰かが揉めている所に遭遇する。


「これは何の騒ぎなのかな?」

「ユスティ様、騒ぎ立てして申し訳ありません」


 僕のお供についてきていたユスティの声に衛士達はこちらに振り返ると一礼してくる。

 そして何人かは不審者による僕に対しての襲撃を防ぐ為に揉めている人と僕との間に入り込む。ここら辺はバインズ先生の教育の賜物だ。


 ちなみにユスティは、僕との結婚を機に鉄竜騎士団の副団長の座をローザリアに譲り、僕の護衛役を買って出ていた。

 護衛が必要ないときには、バインズ先生の新兵訓練の手伝いやクリスと一緒にアルフレッドの世話をしてくれていたりする。

 まぁ、日がな一日何もしないと言うのは活発なユスティにとっては苦痛だろうからね。


「実は、この者がバルクス候に会いに来たというのですが、このように顔を隠しておりまして。

 顔を見せろと言ってもバルクス候が来たらの一点張りで……我々としましても身元不明なものを屋敷に入れることが出来ず、このような醜態を晒すことになっておりました」


 衛士の中の隊長が申し訳なさそうに僕に告げる。


「かまわん、そなた達は任務に忠実たれとしただけ。暴力に訴えなかった事こそ褒めるべきことだ」


 僕の言葉に隊長は頭を下げる。その後で僕は不審者へと視線を移す。

 長旅をしてきたのだろう、旅装束は少しくたびれているように見える。

 隊長が言うように布で目元以外を隠しているため、性別や年齢も判断できないがその体つきを見る限り女性だろうな。という推測が出来る。


 その視線が僕とぶつかると、布で隠れているにも関わらず微笑んだという感覚を僕は覚える。


「こうやって会うのは久しぶりね。エル君。大きくなったわね」


 僕の名を気安く呼んだことに衛士達は反応するが、僕が右手を上げたことで元の佇まいに戻る。

 布越しに聞こえた声に僕は懐かしさを感じる。

 その布を解き始めると、そこから出てくるのはあの頃から変わらぬ整った顔と青みがかった長髪。


「季節の便りは送っておりましたが、こうしてお会いするのは……十一年ぶりです。レスガイア様」


 僕は乗っていた馬から下りると、彼女――レスガイア・ヘンネに深く頭をたれる。


「ごめんなさいねエル君。お手紙を貰ったのに準備に色々時間がかかってしまって予定より来るのが遅れてしまったわ」

「いえ、僕の唐突な手紙だったにもかかわらず、こうして来て頂けただけで嬉しいです」


 僕の返しにレスガイアさんは、優しく微笑む。


 レスガイア・ヘンネ


 僕の父さんとバインズ先生の剣の師匠にして長命族ルフィアンの一人。

 グエン領の事を詳しく聞くために去年の十一月くらいに手紙を送っていた。


「ユスティ、悪いけれど父さんとバインズ先生にレスガイア様が来た事を伝えてもらえるかな?

 それとクリスとアリス、それにリスティも今後の事を相談したいから……そうだな一時間後に応接室に来てって」

「うん、了解だよエル君」


 ユスティは頷くと、僕とユスティの馬を衛士に任せ足早に家の中に入っていく。


「それじゃレスガイア様、お部屋にお連れするのでついてきてもらえますか?」

「そうね、ただ長旅で服もくたびれているから着替える場所を貸してもらえないかしら?」


「そうですね。それでは部屋とお風呂の準備をさせます」

「ありがとう、エル君」


 そう答えるとレスガイアさんは僕について、家に入るのであった。


 ――――


「ふぅ、お風呂と部屋を貸してくれてありがとうね。エル君」


 新しい服に着替えたレスガイアさんが礼とともに応接室に入ってくる。


「いいえ、お風呂の湯加減は大丈夫でしたか?」

「えぇ、これほど気持ちの良いお風呂に入れたのは久しぶりよ。どうしても旅の途中は水で体を拭くくらいしか出来ないしね。

 それに、あれだけの大量のお湯に浸かれるなんて本当に贅沢だったわ」

「我が家のお風呂は排熱を利用して、何時でもお風呂に入れるようになってますからね」

「あら、素敵」


 話をしながら、僕はレスガイアさんに目の前の席を勧める。それに従って目の前の席に座る。

 最初に会ったときと同じく、ターバンをつけているため特徴的な長い耳は隠れているが、これは事情を知る僕以外の人を驚かさないための配慮であろう。


「さっきも言ったけれど本当に大きく逞しくなったわね。人の十一年の時間の流れには驚かされるわ」

「レスガイア様にとっては、十一年は一瞬でしょうからね」


 平均寿命が百年チョットの僕たちにとっては十分の一の感覚が、長命族であれば六十分の一ほど。

 しかも最初の二十年ほどで成人した後は殆ど姿が変わることが無いらしいからより変化が新鮮なのであろう。


「それにさっきの……ユスティちゃん……だったかしら? 彼女は……」

「はい、僕の妻の一人です」

「あらあら、妻の一人って事は何人もいるのね。エル君も隅に置けないわね」


 そう、レスガイアさんはカラカラ笑う。

 そんな中、応接室の扉がノックされる音が響く。答えると三人の人物が入ってくる。


「ユスティに聞いたときにはまさかと思ったが……本当にきやがったのかババァ」

「バインズ、師匠に失礼だろ。お久しぶりですレスガイア師匠。二十三年ぶり……でしょうか?」

「そうよバインズ、貴方にとってもレインフォードにとっても師匠相手にそんな口の聞き方をしてぇ。

 ヘンネ姉さん、本当にお久しぶりです。こうして会えることが本当に嬉しい」


 それは父さんと母さん、バインズ先生の三人。遠く離れた師弟の久しぶりの再会である。


「バインズ、レインフォード坊、それに私の可愛いエリザ。本当に久しぶりねぇ…………年取った?」

「私ももう四十二ですよ? ヘンネ姉さんと違ってこちらは老いていくのですから」

「本当に人間のこういうところが嫌いよ。私をおいてどんどん先にいっちゃうんですもの」


 レスガイアさんはおちゃらけて言うがその言葉には哀愁が宿る。

 そうか、長命族の彼女にとっては寿命で見た場合、大体において彼女は送る側、残される側になってしまう……

 これまでの三百余年にどれだけ送ってきたのだろうか。長生きできるのも考え物なのかもしれない。


「それで結局何しにきたんだレスガイア、今さらバルクスの観光地めぐりでもないんだろ?」


 その空気をわざと壊すためだろうか、バインズ先生が口を開く。


「エル君に呼ばれたからね。私にとっては弟子の子供は、実の子供と言っても過言ではないわ。そんなお誘いを断るわけにいかないでしょ」

「はっ、一生独身で人生を謳歌するって言っていた奴の言葉とは思えねぇな」

「自分の子供じゃないから無償で可愛いってこともあるのよ。バインズ坊」


 バインズ先生のへらず口にさらりとレスガイアさんは返す。だが、すぐに真剣な顔になる。


「それに……どうやら王都がきな臭くなってきたのよ、だから退避してきたってのもあるの。

 だからエル君、ボロ家でもいいから住むところを準備してもらえないかしら?」

「勿論、これからも相談に乗ってもらいたいのでボロ家じゃなくてちゃんとした家を準備させてもらいますよ」

「あら、ありがとう。助かるわ」


 僕としてもこれからグエン領について考えるに当たってレスガイアさんの知識と恐らく予想以上に多いだろう人脈に期待している。

 出来ればバルクスに引っ越してきて欲しいと言うお願いをする必要がなくなったことはありがたい。


「それよりも王都……ガイエスブルクがきな臭くなってきたって言うのは?」

「エル君は、汚物レザーリアって場所の事は覚えているかしら?」


 その名称に僕はあの空気を、えた臭いの記憶が呼び起こされる。


「はい、あの場所は……うん、なかなか見ることが出来ない場所でしたから」

「その区域をね。上級貴族達がつぶして商業施設を作るべきだっていう意見が出始めているの」

「……待ってください。そんな事をすれば」


「そう、汚物に住む人間達は王都内に住む場所が無くなる。暗に城外退去をしろと言われたのに等しいわ」

「そこに住む人達にとっては汚物は最後の場所じゃないですか。そんな事をすれば生きてなんて……」


 それにレスガイアさんは笑う。だがその笑いは人間に対する嘲笑が強い。


「上級貴族たちにとっては下級民はその程度の存在でしかないのよ。おかしな話だけれど王都ではそれが普通なの」

「……であれば」


「おっとエル、変な気を起こすなよ。汚物に住む人を移住させるとかな」

「無理でしょうか?」

「汚物にいるのにはそれなりの理由がある奴が多い。そして多くが犯罪に手を染めた奴らだ。

 勿論、生きるために仕方なく犯罪をやっていると言う奴も多いだろう。それでもだ。

 軍令部の部長としてバルクスの治安を悪化させる要因は許容できねぇ」


 ……バインズ先生の言葉も最もだ。『可愛そうな住民を助ける』それはなんて綺麗な行動だろうか。

 けれど政治は綺麗ごとだけではやっていけない。特に治安に関する事項については慎重に事を進める必要がある。


 ルーティントの時だって、慎重に慎重を重ねてきていたにも関わらずたった一つの犯罪が切欠となり戦争になったのだ。

 同じ轍を踏む訳にはいかない。


「でしたね……もし最悪の事態になった際には領境の監視強化するように事前に検討をお願いします」


 その言葉は、いわば汚物からの流民を一切受け付けることはしないと言う残酷な判断。

 けれど領主である以上、千を助けるために百を切り捨てる判断が必要なのだ。


「了解だ。レスガイア、それは直ぐにでも実行されるような話なのか?」

「いいえ、後一・二年は大丈夫じゃないかしら」

「王都からの距離を考えれば十分余裕はあるな」


 バインズ先生は冷静にその時間的余裕を分析する。


「ま、嫌な話はこれくらいにして。エル君、今までの貴方のお話を聞かせてくれないかしら?」


 そんな暗くなりかけた空気を振り払うかのようにレスガイアさんは僕に笑顔を向けてくるのであった。

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